「偉業」を成し遂げた選手が何故あまり技術論を語らないのか
テレビで「落合博満」氏の特集番組があってそれを見ていました。以前も観たのですが、よく観ていなかったので再放送で見直しました。
「練習は人に見せない」
うーん、流石。私も同感です。その真意は「人より抜きんでる選手は並の選手の倍以上練習していているからであり、人がやっていない時にしているし、その詳細な中身は見せない」からだろうと汲みました。
ある本かTVで見ましたが「長嶋茂雄」氏は表向きはスーパースターで、練習せずに直感で野球をしているイメージがありますが、やはり落合氏と同様に陰で人一倍練習していたそうです。プラス「プロ意識」で試合にて魅せる野球をするのですからリアルに観ていない私としては脱帽以外無いです。
練習もそうですが、野球に限らず「偉業」を成し遂げた選手・人物(特に落合氏)には「一般人が分からない事を言ってもしょうがないから言わない」のではないかと思うようになりました。だから、野球でいう所の細かい「技術論」は「言っても分からないし、その真意も伝わらないから話も長くなるし面倒くさい」のではないのでしょうか。それは本人が長年培ってきて得たものであり、他の個人には該当しない部分が多いからなのだとも思います。
「バットの握りの太さが0.1mmの違う事を素手で握ってわかった」
というエピソードがありました。バット職人さんの「ノギス」のはかり違いが素手でバットを握ってわかったと言います。素手でほぼ打席に立っていた落合氏にとってはその感覚を説明しろとか、その事がバッティングの何に関係するのかなんて言い出したら番組時間は終わってしまうと思います。それも本人のフィーリングでしか分かり得ない事ですが、
「これで飯食ってるんですから」
でまとめる所も視聴者配慮の発言だと思います。
その後、「道具を大事にしないで成績を残せる訳が無い」とも言っていました。
ごもっともです。特別な事では無く、至極当然の事です。いまや道具が良くなったり気軽に購入できるので、私も耳が痛いお話ですが皆さんにも再認識して欲しい点だとも思います。バッティングセンターで野球のボールを足先で蹴るような人がいますが、野球をする資格の無い人だなぁ思いながらニコニコしてムカついてます。そんな人が野球を上達するとは1mmも思いません。
やはり上記の事は当人だけの一種の「美学」であり、それが表面だって出て来るだけの事なんだとも思います。我々はその「表面」しか見ていないのだと思いました。
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