野球部は何であんなに練習するのか?
野球の練習の考え方に於いて、我々が現役だったひと昔前と現代野球とには隔たり、違いが見られます。
我々の世代は、ちょうど近代野球の考え方との端境期にあったように思います。高校3年の頃には今ではほとんど常識の「プロテイン」を飲んだり、「水・飲料」を積極的に摂取する様になりました。恐らく現在は練習時間も短縮されているのでしょう。
少し前は「根性論」が当たり前で、水などあまり飲めなかった様に思います。練習時間もボールが見えなくなるまでやっていた気がします。
聞いた話によると、「ノック」において、今は最後の捕球・送球がうまく行かなかった時は「それで終了」になるケースもあるそうです。
我々の時は「もう一丁」でうまく行くまで続きました。
前者の考え方は「試合でもう一丁などない」という考え方です。すごく「合理的」な考え方だと思います。
後者は「自分や周りが納得するまでやり続ける」という考え方です。確かに今と比較すると自分でも少し「ばからしい」様に思います。
確かに試合では2球と同じ打球など来ないでしょう。しかし、ノックを受けている選手的に納得するのか?と考えると、消化不良になるような気がします。
さて、標題の件ですが「野球はあらゆる事に備えなければいけない状況、分岐が多いので、そのあらゆるケースを頭と体に染みつけて試合で実行するため」だと個人的には思います。
例えば、先頭バッターがバッターボックスに立ちます。攻撃側も守備側もカウントに応じて想定しなければいけない事が出てきます。
まずが投手が投球しないと事は始まりません。その際、バッテリーは「投手は何を投げるのか」を決めて初球を投じますが、その前に「このバッターは初球を打ってくる傾向が高いのかどうか」「前の打席はどうだったか」という事やほかの事もバッテリーは考えるでしょう。ここでまず分岐が起きます。
簡単にいうと、このバッターは初球を打ってこないのか、打ってくるのか?打ってこないならストライクを取りに行く、打ってくるならボール気味の投球を選択する、といったような事が考えられます。
その投球に応じて野手も「もし打ってきたらここに打球が来そうだ」と守備位置を変えるでしょう。内野手ならセーフティバントをしてくる事も頭に入れていると思います。
なのでたかが一球、されど一球なのです。ボールは一つしかないので当たり前ですが、勝負を左右するのも一球です。初球を投じるにもこんないろいろな状況が考えられるので、それに対応しないといけません。
さらに回が進んでいくと打球の行方は勿論、アウトカウントや走者の状況、イニング数、試合の流れ、天候など様々な内部・外部要因があり、それに応じて対応する必要があります。
なので、野球の練習は長いのではないか?と思います。ほかのスポーツも同じような事の繰り返しですが、野球は特に分岐が多いような気がします。だから面白いのではないか?とも思います。
しかも「野球の神様(魔物もいます)」がたまに現れます。そこでぐっと試合の流れが変わってきて、勝敗に影響してくる場合もあります。それはいくら練習しても必ずは現れないのでどうしようもないですが、「選手の想い、勝つための執念」などが影響するのではないのでしょうか。それには、序盤で言った「根性論」が少し関係していると私は思います。
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