はかばどり
誰がこまどりを殺したか、と言われても、わたしは何も知りません。
マザーグースの話ではなくて、現実に「殺された」誰か。それとも、何もかもがただの思い違いで、本当はそんなことはなくて、ただ、学園からいなくなってしまったしまっただけなのでしょうか。
わたしには何もわからないまま、突然、クラスメイトのひとりの席が空になっている、そしてそれはこれからもずっとそうである、ということだけを思い出していました。
そして、わたしにとってただひとつだけ確かなことは、今のわたしは、学園にいる誰もが忘れ去ってしまったような、校舎裏の荒れた花壇の前に立っているということでした。
ひとりではなくて、スコップを手にして花壇に穴を掘る、女史と一緒に。
お砂糖をもらったので、一緒に見ていただこうかと思って、と女史は「言い」ました。相変わらず女史の声は聞こえなくて、ただ、彼女が考えている意味だけが何とはなしに伝わってくる、それだけ。
校舎の陰になって、薄暗いなかでも、むしろ薄暗いからこそしらじらと映える女史の横顔からは、何の感情も感じ取ることはできません。
女史が何を考えているかなんて、きっと学園の誰もわからないでしょう。先生たちだって、女史のずば抜けた成績を褒めはするけれど、女史について深くを語ることはありません。わたしだって、女史に連れられた理由を聞かされこそしたけれど、それが本当に「理由」なのかもわからないまま。後で、他のクラスメイトに「女史と何をしていたのか」と質問攻めになることは目に見えています。
……もちろん、嫌、なんてことはありません。まるで、自分の周りに誰もいないような振舞い方をする女史に、少なくともわたしは「ひと」として見えている、ということ。時間を共にしていい相手だと思われていること。それは、ちょっとした優越感の芽として、わたしのやわらかな部分から顔を出してくるのです。
けれど、現実に視線を戻せば、目の前にある土からは何かが生えているわけではなく。……ただ、端からいくつか何かを埋めたような痕跡と、それぞれの微かに盛り上がった土の側に、目印であるかのように「何か」が突き刺さっていました。それはペンであったり、定規であったり、時には櫛であったり。雨風にさらされてぼろぼろになったそれらは、何も語らないけれど、どこか、背筋がぞくりとするような心地がして、思わず腕で自分の体を抱きしめていました。
そんなわたしに気付いているのかいないのか、どう思いますか、と女史は問いかけてくるのです。それ以上の問いかけはなくて、多分、女史が目にしているその不思議な……、花ひとつ咲いていない花壇についての問いかけなのだと言うことは、かろうじて、わかるのですが。「どう」と言われても、上手く言葉が出てきません。
ただ、そう、何となく、連想したものは。
「……お墓、に見えます」
ああ、なんてとんちんかんなことを言ってしまったのだろう、と思ったのもつかの間、女史の細い顎が少しだけ動いて、その……、淡い色のくちびるが、微かに笑みを描いたのでした。
そう、これは「墓」なのです。
女史は、確かにわたしに「言った」のでした。
そして、スコップで花壇の一角に穴を掘りながら、饒舌に語りだしたのです。女史がこんなに言葉を並べ立てているところを見たのは、初めてでした。……それどころか、わたし以外に、これだけの言葉を聞かせたことはあるのでしょうか。そのくらい、女史はいたって静かながら不思議と熱の篭った眼差しで、自分が掘り進めている穴を見つめて「語る」のです。
今、女史が穴を掘っているのは、いなくなったひとりのおんなのこのためなのだといいます。
そのおんなのこのことは、わたしだって知っています。わたしたちのクラスメイト。誰よりも明るく笑って、誰よりも魅力的な声をして、誰よりも人を惹きつけ、それでいて、誰よりも危うさを覚えさせる眼差しをした、……そのおんなのこの名前を、わたしは、今すぐに思い出すことができずにいました。
わたしが思い出せるのは、そのひとは「空を飛ぶ」魔法が使えたということ。学園の天蓋を越えることこそできませんが、言葉通りにふわりと空を飛ぶのです。おとぎばなしの魔女のように、箒は必要ありません。空を蹴って、青い空を泳ぐように、高く、高く舞う彼女は何よりも自由で、空から降ってくるきゃらきゃらという笑い声は、わたしたちにとって当たり前のものでした。
けれど、その彼女が、「墜落」したと。
今日の朝のホームルームで先生は言いました。確かに今日の朝のホームルームに彼女の姿はありませんでしたし、ざわざわと、居心地の悪いざわめきが教室を支配したことは記憶に新しい……、はず、なのですが。
帰りのホームルームの頃には、担任の先生もいつも通りの言葉を告げて、皆、いつも通りにそれを聞き流して、主を失った空っぽの机のことなんて気にすることなく、そのまま放課後に入ったのだということを、今、女史に「言わ」れて初めてはっきり思い出すことができました。それまで、今日、ひとりのおんなのこがいなくなったことを、すっかり忘れていたことに気づいたのです。
忘れていましたか、と。女史は淡々と「言い」ました。全部ではないけれど、確かに忘れていたのは事実でしたので、わたしはひとつの頷きで返しました。女史はいつも半分くらいまで伏せられている瞼を更に閉ざして、そういうものなのです、と呟きました。
女史は、わたしよりずっと以前からその違和感に気づいていたらしいのです。クラスメイトが時々、ふっと消えていく。消えたということすら意識していなければ忘れてしまう。それを知ってから、女史はこの「作業」を始めたのだそうです。いなくなってしまったおんなのこのお墓を作る、という作業を。
もちろん、消えた女の子が死んだかどうかなんて誰にもわかりません。女史にもわからないのだといいます。ただ、いたはずのものが、いなくなって、忘れられていくのがただただ寂しいから、自己満足としてこうしているのだといいます。
「この、ペンや定規は、いなくなった女の子のもの、ですか?」
わたしの問いかけに、女史は、さあ、と端的に答えました。どれだけお墓を作っても、忘れてしまうものは忘れてしまうのです。ただ、この場所にお墓を作るようにしている、という習慣だけは忘れずにいられているからこうしている、それだけの話なのだと、どこか皮肉っぽい響きで「言い」ました。
しん、と静まり返った花壇の墓は何も語ってくれません。かつてそこに誰がいたのかも、どうしていなくなってしまったのかも。
唯一、わかるのは、今、女史が作ろうとしている墓は今日いなくなったおんなのこのためのもの、であるということ。もう、名前も、思い出せなくなりかけている、おんなのこのための……。
――誰がこまどりを殺したか?
不意に女史が「言い」ました。ほとんど囁くような響き。きっと、わたしがもっと深く考え込んでいたら聞き取ることもできなかったでしょう、声ではない「こえ」。
「マザーグースですか?」
いいや、現実の話ですよ、と女史は言います。その、冴え冴えとした横顔によく似合う、冷たい「こえ」でした。
「……殺された、と言っているのですか?」
女史ははい、ともいいえ、とも言いませんでした。何せ、わたしがいなくなった彼女のことを思い出せないのです、女史にだって全てが思い出せるわけではないのは間違いないでしょう。なのに、女史はどうして突然、そんな物騒なうたの一節を「現実の話」なんて言い出したのでしょう。
――これは、あくまで、ただの想像ですが。
女史はじっと、手元の穴を見つめながら「言い」ます。
墜落するだけの理由が、彼女にあったのではないのでしょうか、と。
女史の「こえ」が響くたびに、ひとつ、ひとつ、忘れかけていた、今も忘れ続けているひとりのおんなのこの姿が蘇ってくるような気がします。いつでも人の輪の中にいたおんなのこ。よく響く笑い声と、それから、それから。
ふと、脳裏によぎるのは、割れた硝子のきらめき。静まり返った空間の中で聞こえる荒い息遣い、椅子を両手で握り締めたひとりの、おんなのこの、すがた。
――普段から、彼女は、ひどく情緒不安定だったはずです。
誰をも惹きつける魅力の反面、荒れ狂う感情を胸に抱いたおんなのこ。人の輪の中心にいはしたけれど、その輪を形作っているのは果たして魅力だけだったのでしょうか。
もちろん魅力もあったと思います、と、まるでわたしの心を読んだかのように女史は「言い」ました。そうでなければ、本当にただただ遠巻きにされるだけだったでしょうから。まさしく、自分がそうであるように、と。女史はちいさな口の端を少しだけ持ち上げてみます。
わたしは、女史が魅力的でないなんて、全く思いません。しかし、女史の言葉を否定することもできませんでした。
女史が誰かと一緒にいるところなど、わたしには想像できませんでした。女史がひとりでいるのは当たり前のことで、それに疑問を覚えたこともありませんでした。女史は「そういうもの」だったのです。
けれど、女史のつくりもののような指が汚れて、爪の間に土が入り込んでいるのを見ると、女史もまたわたしと同じおんなのこでしかないのだと、改めて気づかされる思いでした。わたしは、わたしたちは、勝手に女史を「そういうもの」だと思い込んだまま、女史をひとりに「して」いたのでしょうか。
そんなわたしのいたたまれない気持ちに、女史は果たして気づいているのか、いないのか。うっすらとした笑みを消して、手にしたスコップを地面に刺し、傍らの地面に置いてあった鞄の中から何かを引き出します。
それは、一本のカッターでした。
桃色の柄に、自分のものという主張のつもりでしょうか、空色のテープが巻かれています。女史はそれをわたしに手渡しました。よくよく見れば、カッターの刃と柄の隙間や、空色のテープの一部に、黒ずんだ何かがこびりついているのがわかりました。わかって、しまいました。
「……墜落した彼女の?」
女史はひとつの頷きだけでわたしの問いかけに答えました。いつ手に入れたのかはわかりませんが、きっと件の彼女がいなくなる前には、女史の手にあったものなのだと思います。今日の朝目にした彼女の机には、もう、何も残っていませんでしたから。
もう一度、カッターに目を落として、それから、わたしは問わずにはいられませんでした。
「これは……、血、ですよね」
女史はもうひとつ、頷きました。特に何の感情も見出せない横顔で。
「女史は、これを誰の血だと思っているんですか?」
その言葉に、女史は不思議そうな顔をわたしに向けました。そんなこともわからないのか、という顔に見えましたが、別にわたしの愚かさを嘲ることもなく、落胆を見せるわけでもなく、ただただ、当たり前のようにこう「言った」のです。
彼女自身の血でしょう、と。
つう、と。女史は土に汚れた右の指で、自らの左の手首に線を描きます。よく見れば、女史の血管が透けて見える手首にもうっすらと傷痕がありましたが、それについて問いかけることはできませんでした。
とにかく、女史は、墜落した彼女が、自らの手首に刃を走らせていたであろう、ということを、示唆してみせたのでした。
「けれど、どうして?」
彼女はその問いに、ご存知ありませんか、と首を傾げて「言い」ます。
手首を切るという行為は、確かに致死の可能性を秘めますが、実際に死に至る可能性は極めて低い。どちらかといえば、自らを傷つけるという行為によって、自らを慰めるものであることがほとんどです、と女史は饒舌に「言い」、それからこう、付け加えたのです。
もしくは、自らがこれだけ傷ついているのだと「見せつける」行為である、と。
きっと彼女の場合は後者だったのでしょう、女史は自らの左手首を撫ぜながら「言い」ました。彼女は誰かに見てもらいたかったのでしょう。どのような手段であっても「注目される」ことが彼女にとっての全てであったのではないでしょうか、と。
女史の言葉を聞いていると、薄れていた、もはや完全に消えかけていた彼女の姿が少しだけ思い出されたような気がしました。わたしの知っている彼女は、そう、その時は屋上のフェンスの向こうに立っていて、笑っていたのでした。
『もし、ここから一歩踏み出して。飛べなかったら、死んじゃうよね』
おんなのこの「魔法」は、わたしたちの中にある……、と、先生は言います。けれど、実際にそうではないということもあるのです。魔法は、おんなのこを形作る「すてきなもの」のひとつで。自分自身の「すてきなもの」を見失ってしまう時、魔法もまた、おんなのこの手をすり抜けてしまうのです。
その時のわたしは……、彼女を止めたのでした。別に彼女に対して特別な感情があったわけでもありませんが、目の前で彼女が墜落するところを思い浮かべてしまって、たまらず彼女に向かって手を伸ばしたのでした。
フェンス越しに伸ばした手が彼女の服の裾を掴むまでに、彼女は屋上の縁を蹴って――もちろん墜落などせず、きゃらきゃらと高らかに笑ってみせたのでした。
『大丈夫。あたしは飛べるもの』
ええ、知っています。知っていました、けれど。
からかわれたのだ、と、わたしは腹が立ったのを思い出していました。彼女の笑い声を背中に聞きながら、屋上を走り去ったです。それきり、彼女とは関わらないようにしていたのです。
わたしが彼女を見限ったところで、彼女には親しい友がたくさんいて。彼女はいつだって輪の中心にいるのだから、わたし一人が彼女から離れたところで彼女にとってはどうということはなかったはずです。
――けれど、それが、積もりに積もったらどうでしょう?
女史は、わたしの心を読んだかのように「呟いて」みせました。
ぞくりと、背筋に冷たいものを注がれたような感触。ああ、どれだけ彼女が魅力的で、彼女を慕っていたとしても、わたしがあの日腹を立てて彼女から離れたように、同じようなことを繰り返されて、果たしてそのまま彼女を慕い続けていられるのでしょうか。
彼女の血痕の残るカッター。フェンスの向こう側の彼女の影。
わたしは、もう、彼女についてほとんど思い出すことはできないけれど、果たして、彼女は誤って墜落したのか。それとも――。
「誰がこまどりを殺したか……?」
古くから語り継がれてきたマザーグース。
他愛のない、言葉遊びの繰り返し。けれど、まさしく死んだこまどりの墓を前にして。
――犯人は、こまどり本人を含めた、彼女に関わった『全員』ではないでしょうか。
女史は、きっぱりと「言い」きるのです。
彼女は誰かに見ていられなければ耐えられなかった。けれど、彼女にとってその手段は結果的にはその「誰か」を失うことにしかならなかった。それとも、誰かが彼女を諫めて、本当の意味で共に手を取っていたら何かが変わったのでしょうか。いくつもの選択肢は浮かぶけれど、それは全て「もしも」の話。
事実として、彼女は墜落した。その結果だけは揺るがないのです。
その時。
――まあ、最後の一矢を放った自分が言うことではありませんが。
女史は特に感情を交えずにそう「言った」のです。いいえ、女史の「こえ」はいつだってそう。ただ、意味ばかりをわたしに伝えてくるばかりで、女史の感情を伝えてくれるわけではないのです。
けれど、『最後の一矢』とはどういうことなのでしょう。
その言葉をそのまま取るならば、彼女を殺したのは女史だということになってしまいます。先ほど、女史は彼女に関わった『全員』だと言ったばかりだというのに。
果たして私の混乱は女史に正しく伝わったのでしょう。女史はあくまで静かに、昨日起こったことを告白したのです。
昨日の昼時、昼食の時間。わたしたちは大体が連れ立って食堂で食事を採りますが、何人かはめいめいのパンや甘いものを手に好きな場所で食事をするものです。女史も、そういう「誰かと共に食事をしない」ひとりでした。
女史が屋上に赴いたのは、あくまで気まぐれ以外の何でもなかったようでした。人がいない方が、静かでいい。ただそれだけ。
ただ、その日に限ってそこには先客がいたのです。今までなら、きっとたくさんの「友達」に囲まれて食事をしていただろう彼女が、たった一人。女史がそこにいることに気づいた彼女は、フェンスの向こう側から、わたしにしたのと同じ問いかけをしたのです。
『もし、ここから一歩踏み出して。飛べなかったら、死んじゃうよね』
そうして、足を一歩、虚空に踏み出してすらみせたのです。
そんな彼女を目にしたという女史は、少しだけ困った顔をして、わたしに「言う」のです。
柄にもなく、腹が立ってしまったのです、と。
腹が立つ。いつも静かな横顔をさらしているこのひとには、とても似合わない言葉でした。ただ、嘘のようにも聞こえませんでした。女史は、ひとりのようでいて、わたしよりもずっと彼女のことを知っていました。よく、見ていたのでした。
ですからきっと、その時の彼女がどういう心持ちでフェンスの向こうに立っていたのか、その問いを投げかけてきたのかも、わたしよりよくわかっていて。わかっていたからこそ、彼女の変わらない態度に、苛立ちを覚えたのでしょう。全ては己の招いたことなのに、まだ同じことを繰り返そうというのか、と。
だから、女史は、こう「言った」のだといいます。
死にたければ勝手に死ね、「誰か」の承認なんて必要ないでしょう?
それは。
誰か、を必要とし続けていた彼女にとって、決定的な「否定」であろうことは、頭の鈍いわたしでも、十分にわかることでした。
その時は、彼女は女史を振り返ることもなく、飛び去っていったということでしたが……、
――結局、翌朝には彼女は墜落していました。
どうしたって、その事実に帰結してしまうのです。
女史は、その事実について、特にそれ以上の言葉を加えることはありませんでした。きっと女史の中では終わってしまった出来事なのです。彼女の言葉を借りれば、「こまどり本人を含めた、彼女に関わった『全員』」が罪人であった、既に決着した事件。
きっと、明日にはこれが誰の墓なのかも忘れてしまうのでしょうね、と女史はいつもより少し強い空調に揺れる長い髪を押さえながら「言い」ました。
この学園からいなくなったおんなのこのことを、わたしたちはどうしてか忘れてしまいます。今はまだ、かろうじて記憶の片隅に焼きついている彼女の飛ぶ姿も、笑い声も、何もかも、忘れてしまうのでしょう。
それでも、女史は淡々と作業を続けるのです。
まずは、掘った穴の側に、消えた彼女を示すカッターをそっと立てました。それは確かに墓標のように見えました。
続けて鞄から取り出したのは、赤いリボンで封をされた茶色の小袋と、それから――。
「あっ」
思わず声が出ていました。
それは昨日、わたしが女史に渡した砂糖の袋でした。袋に刻まれた水玉模様は、奇しくもカッターに巻かれたテープと同じ、空色をしていました。
その二つを、掘った穴の中へ。
――お砂糖とスパイス。その他の材料は知らないので、これだけです。
それは、マザーグースの一節。わたしたち「おんなのこ」を形作るもの。お砂糖とスパイスと、それからすてきなもの。消えてしまった彼女そのものを葬ることはできないから、せめて、その「一部」だけでも葬ろうというのでしょう。
わたしたちがすぐに忘れてしまうとしても。もはや名前も思い出せない「彼女たち」はここにいたのだと、この花壇に立つ墓標たちが教えてくれるように。
女史は、わたしを見上げて、ほんの少しだけ、小首を傾げてみせます。
――何か、すてきなものは持っていますか?
すてきなもの。突然そんなことを言われたところで、弱ってしまいます。鞄の中に入っているものといえば、筆記用具に宿題用のノートと教科書、それから……。
それから?
「これは、どうでしょうか」
日課となっている放課後のお菓子作り。そのために持ってきていたアラザンが、ちょうど一袋。銀色の小粒が、斜めに差し込んできた夕日を浴びて赤く染まって見えました。
――ああ、これはいいですね。お砂糖の仲間といえば、仲間ですが。
女史は、くちびるの端をほんの少しだけ持ち上げました。笑った、のかもしれません。それもすぐ、陰になって見えなくなってしまいましたが。
袋を開けて、二つの小袋の上に銀色の粒を雨のように降らせます。土の中でもなおきらめくそれは、夜空に輝く星粒のようでした。星を掴むかのように空を飛ぶ彼女の、ようでした。
アラザンを撒いた後は、スコップで丁寧にそこを埋めなおします。小袋二つぶん質量の増えたそこは、ほんの少しだけ盛り上がり、墓標代わりのカッターと共にまさしく「墓」としての形を成して見えました。
……わたしと、女史以外には、そうは見えなかったとしても。
「女史は、いつも、誰かが消えたらこうしているんですか?」
わたしは、スコップの土を払って片付けを始める女史に、つい問いかけていました。女史は嫌な顔ひとつせず、わたしの問いに答えてくれました。
――気づいたときだけですけどね。ただの、自己満足です。
確かに、自己満足以外の何でもないと言ってしまえばそれまでです。葬った本人が葬ったという事実すらも忘れてしまう、名前のない墓たち。けれど、そう言った女史の横顔は、ひどく穏やかで、どこか寂しげで……、わたしの知らない顔を、していました。
女史は、果たして彼女にあの言葉を投げかけたことを後悔しているのでしょうか。それは、女史でないわたしにはわかりません。
ただ、その横顔が、とても、とても。
うつくしかったということだけは、きっと、忘れない。
忘れたくない、と思ったのでした。
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