第7話

 時折点滅する船灯と傾いていく太陽。

 その中で暫しの時が過ぎ。

 水平線に微かな影が浮かんだ頃。


 ふと、眼鏡の男が表情を変えた。


「どうした?」

「妙だ」

「何がだよ」

「ドローンの位置が変わっていない」


 手中にあるタブレット。

 それに表示されたドローンの位置情報が変化を見せなくなっていた。

 いや、それどころか。

 後退しているようにすら見える。


 眼鏡の男はこれまでの移動経路を線にして表示させた。

 間違いない。南にじりじりと下がり、再び北に向かい。そしてまた押し戻されるような動きを繰り返している。


「どうしたんだ? 警察からの妨害か」

「分からん。だが」

 眼鏡の男は言い淀んだ。

 ドローンの位置はまだ海上だ。この状況で警察組織に妨害を行う手段があるだろうか。コントロールを奪われたとも思えない。一度も発信していないコマンドの暗号設定を、外部から破れるはずがないのだ。


 しかし現実には。

 ドローンはまるで酔ったようにふらふらと定まらない経路を飛行し続ける。

 そして、GPSの反応が一つ消えた。


「落ちた・・・・・・」

 呆然として呟く。


 それが皮切りだった。

 また一機。そしてもう一機。

 ドローンの反応が消えていく。

「馬鹿なっ! なぜだ!!」


 眼鏡の男が怒りと混乱で我を忘れそうになったその瞬間。

 長身の男が突然に身を伏せた。

 ハッとした眼鏡の男に向け、低い声で呟く。

「右方向を見ろ。ゆっくりだ」


 眼鏡の男は視線を動かした。

 近づいてくる船。巡視艇だ。


「くそっ・・・・・・どうしてこのタイミングで」

「こっちの正体を知っているなら全速で来るはずだ。おそらくだが、ただの海上臨検だろう。釣り船に声を掛けてくるのは珍しいことじゃない」

 長身の男は甲板を這って眼鏡の男に近づいた。右手を伸ばす。

「タブレットを寄越せ! 海に捨てる」

 逡巡する相手に言葉を重ねる。

「決断しろ! 今更それを持っていても意味が無い。証拠を残す気か!!」


 眼鏡の男は表情を改めた。

 巡視艇に気取られぬよう、舷側の下で静かに右手を伸ばす。


「このまま大人しく座っていてくれ。多少緊張しても問題は無い。臨検を受けて平然としている方が変だ。だが挑発的な態度は取るなよ。面倒になる」

 素早く言い終えると、そのまま船の反対側に向かい這っていく。


 操舵席を挟んだ影となる位置。

 そこから、確かな水音が聞こえた。

 いささかの敗北感と共に、眼鏡の男はそれを受け入れた。


 巡視艇からボートが降ろされた。

 眼鏡の男は落ち着きを取り戻し、冷静に現実を見る。


 今回は失敗だ。

 しかし問題は無い。証拠は何も残っていないのだから。

 ただ、次の機会を待てばいいだけだ。

 今日のところは大人しく引き下がるとしよう。


 隠し持った防水袋で素早くタブレットを包み、メンテナンスハッチの内側にそっとそれを置いた。

 船に素人のあいつが、ここを開ける恐れはない。


 最重要であった証拠の確保。そして“可能ならば”とされていた破壊活動の阻止。

 その双方に成功した。

 満足すべき結果だ。


 潜入捜査員である男はマストの灯りを見上げた。

 状況の概略は既に伝達済みだ。

 変則のモールス信号。不安はあったが、どうにか気づいて貰えた。

 実行犯の確保も確実と見て良いだろう。


 男は静かに立ち上がった。

 なかなか見事な計画だったが、詰めが甘かったな。


 残念ながらお前はアマチュアだ。きちんとした軍事の基礎を学んでいない。

 だから、航空作戦の際には徹底的な気象状況の調査が必須であることを知らず。

 ここ半月ばかりのデータを確認しただけで目的地の変更に同意してしまった。


 関東から来たお前は実物を知らないだろう。

 だが、名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないのか?


 六甲颪。

 神戸の北。六甲山から吹き降りる強風だ。


 風の影響を受けやすい複葉機はそれに煽られ、押し戻され。

 狂ったコースを修正して目的地に向かおうと空しく旋回を繰り返した挙げ句。

 どこかの時点で横風を喰らって墜落したのだろう。


 夏にはあまり発生しない気象。

 秋が近づいているとは言え、この季節に吹くかどうかは賭けだった。

 しかし、悪いな。

 結果は俺の勝ちだ。


 甲板を踏みしめ、超人になり損ねた男にゆっくりと近づいていく。

 今回はこれで終わりだ。

 だが、次もまた上手く行くかは分からない。


 非殺傷型テロ、か。

 安価で身近にあり、誰でも入手できる材料を使いながら、社会に絶大な恐怖と混乱を与える裏技。


 事前に察知することは極めて難しいだろう。

 そして何よりも恐ろしいのが。

 未遂の場合、ほぼ罪に問うことが不可能な点だ。


 今回もそうだった。

 購入した物品は全て合法。

 犯した罪といえば、農薬取締法違反と禁止区域でドローンを飛ばした程度。

 外国のテロ組織との繋がりを示すタブレットという証拠が無ければ、罰金刑に出来るかどうかすら怪しかっただろう。


 彼らは成功するまで何度でもチャレンジすることができ。

 そしていつの日にか、超人を生み出してしまうに違いない。


 強大な力には、大きな責任が伴う。


 自覚の無いままに強大な力を得てしまった現代人達は。

 それに伴う責任を背負う覚悟を持っているのだろうか。

 それとも社会の安全のためにその力を封じ、自由を失う道を選ぶのか。

 あるいは。


 まあいい。全ては先のことだ。


 空は微かに茜色に染まり。

 静かに、ボートが近づいて来る。


 終わったら、まずはビールを頂こう。


 fin

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