第6話

「船灯を点けるぞ」

 長身の男は、そう言って幾つかのスイッチを操作した。

「まだ明るいだろう」

「視界が悪くなってからだと遅いんだ」

 マストに取り付けられた照明が光を放つ。

 だが十秒ほど経って、それは一度消えた。

 一瞬後にまた光り出す。

「接触不良かよ」

 照明は不定期に点滅を繰り返した。

 長身の男はわざとらしく笑って見せた。

「こりゃあ早めに戻った方がいいな。日没後だと整備不良で海保が寄ってくるぞ」

「ああ、分かった」

 眼鏡の男はそう言って船縁にどっかりと座った。

 計画の時刻まで、あと三十分を切っている。


 眼鏡の男は懐から煙草を取り出した。

 ジッポーで火を点け、ゆっくりと煙を吸う。

 ふと視線を感じ、動きを止めた。

「吸うか?」

 煙草の箱を投げる構えを取る。

「いや、俺はやらん」

「そうか」

 そう言って今度は携帯用の灰皿を出し、丁寧に灰をその中に落とした。


「しかしまあ、だ」

 操舵席に座ったまま、長身の男が語りかけた。

「狙いは分かる。テロによって株価を暴落させて一儲け。だが、最近はチェックも厳しいんだろ。派手な空売りでも仕掛けたら直ぐに足がつく。簡単に上手く行くとも思えないんだが……。海外資本か?」

 眼鏡の男は二本目の煙草に火を点けた。

「オレは計画を売り込んだだけだ。スポンサーの正体と目的は知らん。だが推測はつく」


 紫煙が風にながれる。

「株で使用した資金を回収する。当然だがそれも計画の中にあるさ。だがそれは単なるオマケだ」

「日本経済に対するダメージか。まあ、相当に酷いことになりそうだよな」

「いや、本命は更に別だ」


 ドローンの消え去った北の方角に視線を泳がせる。

「この攻撃が成功したあと、この国のドローン規制はどうなると思う?」

「・・・・・・ひどく強化されるだろうな」

「欧米各国もそうなるだろう。だが、そもそも民衆を強烈に締め付ける監視体制を敷いているような国々は、セキュリティに関して新たな懸念を感じる必要が薄い。彼らだけが自由にドローンを使用する環境を享受できるようになるんだ」

 眼鏡の男は薄く笑った。

「すると妙なことが起きる。国民に広く自由を認める国では技術の進歩が遅れ、むしろ自由を阻害する国が優位になっていくのさ」


 長身の男はその言葉に意表を突かれる。

 眼鏡の男は、その様子を楽しげに眺めた。

「従来、技術の発展のためには自由な社会が必要だとされていた。イノベーションにはそれが不可欠な要素だと。しかしそれは極めて僅かな期間のトレンドから判断した、近視眼的な分析だったのではないかな」

「そんなものか」

「簡単な思考実験だ。道行く全ての人々が一発ずつ核爆弾を所持している国があったとする。そんな国が広く人々の自由を認めたら、何が起きる?」

 一瞬だけ考えてから、長身の男はその答えを言った。

「三日もしたら全土が焼け野原だろうな」

「そうだ。現代社会は既にそのラインに近づきつつある。たかだか数千万円の資金と十数名のメンバー。その程度が集まるだけで、ちょっとした核兵器並の被害を発生させられるんだ」


 株価の暴落とそれに伴う混乱。確かに、金銭的な被害はちょっとした大量破壊兵器の効果を超えるだろう。

「近い将来。社会は個人の自由よりも、個人を管理することによって手に入るセキュリティをずっと貴重なものとして考えるようになる。これはその証明の第一歩、といったところだ」


 長身の男は長く息を吐いた。

「煙草はいらんが、酒が欲しくなるような話だ」

「酔っ払い運転は駄目だ。港に戻ってからにしろ」

 長身の男はやれやれと首を横に振る。

「それを証明するために、こんな計画を立てたのかよ」

「ああ。他人の常識に縛られて、世界の現実が変化していることを見ようともしない。そんな連中に囲まれているのが馬鹿馬鹿しくてたまらなかった。世界の真実を暴くのはいつだって最高の知的興奮だ」


 男の視線が操舵席に向けられる。

「そう言う君はどうなんだ?」

「俺がこんなことをしている理由か? まあ要するにカネだな」

 長身の男は複雑な笑みを浮かべた。

「この社会をくそったれだと思う気持ちはあるんだが、どうも冷静に考えてみると俺がこの社会をくそったれと思っている理由は、単に自分が手にするカネが足りないだけのような気がしてな。懐が温かくなれば次の日から、世界は素晴らしいと歌って踊り出しそうにも思える」

「実に素直な意見だ」

「即物的だろ? 軽蔑されても仕方ない」

「いや」

 眼鏡の男は、好意的な表情を見せる。

「むしろ共感するよ。現代社会において評価というのは要するにカネの多寡だ。だが、実際にカネを多く手に入れている奴ってのはイカサマ野郎ばかりさ。この社会では、正しい評価というものが機能していない。不満を抱いて当たり前だ」


 プレッシャーから解放された反動からか、眼鏡の男は常に増して饒舌になった。

「日本におけるフィクションの世界では過去や異世界・・・・・・知識や技術レベルの低い環境に移って活躍するというジャンルが人気だ。知っているか?」

「ああ、多少は」

「あれには理由があるんだ。現代人は、実はもの凄い力を発揮している。オレ達は今日、三十ノットで動く小型船で海を渡り、空を飛ぶ機械を組み立て、それを二十キロ先まで飛行させた。そして国家経済に強烈な衝撃を与えようとしている。百年も前なら、どれも超人的とされる行為さ」

 眼鏡の男は、手の中のタブレットをこつこつと叩く。

「技術の発展で、現代人は過去の人々よりもずっと大きな物事をこなせるようになった。だが超人であるはずのオレ達は、なぜか無能な凡人として扱われ、顧みられることがない。自分達はもっと凄いはずだ、賞賛されるべきだ。こんなに多くのことを成し遂げているのに。あれは、そう叫びたい人たちの代償行為なのさ」


「現代は超人だらけの世界、か」

「そうさ。人々の賞賛を得られないままスーパーパワーだけを得た奴は、全員心を病むことになっている。そして、自分に強大な力を与えた存在を呪いながら世界を滅ぼそうとするんだ。これからの時代は、そんな連中だらけになる」

「面白い発想だな。だとすると、世界を救おうとするヒーローも出てくるのかな」

「ああ。未来の人間は選択を迫られるのかも知れん。自分自身でスーパーパワーを揮い、超人の仲間入りをして世界を救うか滅ぼすか。あるいは無力なままの存在として逃げ惑うか。どちらにしても、碌でもない結末しか待っていなさそうだが」


 翳りかけた日差しの中、くぐもった笑い声が響いた。

「そんな風に理解すると、アメリカ人の作った現代風刺劇もなかなかに洒落が利いて面白い。そうは思わないか?」

 長身の男は肩を竦めた。

「ストレートにこの世界をぶっ壊すアメリカ人と、なぜか異世界を壊しに行く日本人か。まったく、文化の違いってのは奇妙なモンだな」

 話はそれで終わり、潮騒だけが船を覆っていった。

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