第5話

 ドローンのスピードは船よりも遅い。

 みるみるうちに後方に離れていく。

「事前に聞いては居たが・・・・・・実物を見るとまた違うな。ここまでとは」

 風速は確か、秒速二メートルから三メートル。

 瀬戸内海はその名の通り内海だ。基本的に、風は外洋に比べて遙かに穏やか。

 それでも時速十キロ程度の向かい風になる。

 その中を、複葉機型ドローンがのたのたと飛んでいた。

「計算上は時速四十キロ以上出せるはずだが、実際の移動速度は二十。いや、風によって進路を狂わされる分の修正も考慮すると、十五キロが精一杯と言ったところだろう」

 自転車にも抜かれてしまいそうなスピード。しかし眼鏡の男は満足げに続けた。

「だが、その分時間が稼げる。良いアイディアだよ」


 時速十五キロ。

 常識的に考えてしまうと、飛行兵器としては致命的に遅い。

 だが、大阪湾はさほど広くないのだ。

 ここから目標の神戸までは約二十キロ。

 時速十五キロでも一時間二十分で到達が可能となる。

 現実問題として、その時間内に飛行するドローンへの対応策を取るのは難しい。


 だとすれば、多少の遅延は問題にはならない。

 むしろ、その時間を有効活用することすら出来るはずだった。


 KG、HR、SR。そう名付けられた三艘は既に港に向かっている。到着に要する時間は三十分もないだろう。直ぐに船の返却手続きをしてから新大阪に向かえば、攻撃開始以前に東京方面に向かう新幹線への乗車が十分に可能だ。


 ただし二人の乗る船。

 AGだけは別のルートを取る。最後の仕事が残っていた。

「移動するぞ」

 長身の男が促す。

 眼鏡の男はタブレットを見たままの姿勢で頷いた。

「ああ、頼む」


 三機のドローンはそれぞれ数キロの距離を保ったまま、GPS航法で自動飛行していく。

 しかし、ここから先に難所があった。

 大阪港に向かう船が通る水路。

 これからそこを文字通り飛び越える必要がある。

 

 高度二十メートル以下を飛ぶドローンは遠距離からの視認が難しい。

 金属製部品が少なく、サイズが小さいことからレーダーによる探知も困難だ。スピードの遅さから、探知されたとしても無視される可能性は高い。

 一番の危険は近距離から人間に見られることだった。

 さすがにこれは対処のしようが無い。


 大阪湾中央にある水路は世界でも有数の運行量を誇り、無数の貨物船やタンカーが行き交っている。

 そして大型船の舷側は高く、そこからの視界は小型船の数倍届く。


 対策の一つは迷彩効果だ。灰色がかった青は、海上の靄に溶け込みやすい。

 もう一つはその見た目。

 人間とは単純なものだ。飛行する低速の複葉機を見て、それが危険なものだと認識するのは難しい。海上を飛行する物体のサイズは正確に把握できないため、遙か遠方を飛行している遊覧用飛行機。そんな風に誤解して見過ごされる可能性も低くは無かった。


 そして、万が一通報されても迅速な対応がされることはないだろう。

 計画はその想定で組まれていた。


 海上を飛行しているドローンに対して、地上の警察は何も対処出来ない。

 海上保安庁は動くかも知れない。しかし、結局は日本の官僚組織だ。大阪湾の真っ只中で発砲し、ドローンを撃墜するという荒っぽい決断を下せるだろうか。

 結局は監視するだけに留める公算が高い。


 そして、海岸付近まで接近してしまえばそれで終わりだ。

 夕方近い神戸の海岸は一般人で溢れている。その上に落下する可能性が生じてしまった後、どうやってドローンに手を出せるというのか。


 成功の見込みは十分にある。

 とは言え、できる限り目立たぬ方が望ましい。そもそも、ドローンの飛ぶ高度二十メートルでは大型船に衝突しかねないのだ。距離を取るのが安全だった。

 ドローンの離陸は、それを考慮したタイミングで行われている。


 湾内の大型船は事故防止のため、それぞれが自分の位置情報を発信している。

 各ドローンもまた、搭載されたGPSから位置の概略を知ることができる。

 双方の位置関係がタブレットに表示されていた。


 長身の男は、眼鏡の男の様子をじっと見つめた。

 今のところ問題は発生していないようだ。


 いざとなった場合、漁船の無線を利用してドローンを直接操作できるようにはしていた。高度を上げる、下げる、目的地の位置を変える。そして薬剤を散布する。たった四つのシンプルな命令だが、作戦には十分だ。


 問題は、漁船から直接無線を飛ばすことの危険性にあった。

 男のタブレットからはドローンの位置情報や連絡用のSNSなどに対し、直接のアクセスを行っていない。

 まず海外に設置したPCが直接のアクセスを行い、その画面を別のPCでキャプチャ-。暗号化して送信。更にもう一度、別のPCを経由してからタブレットに送られている。そう簡単に経路を辿れるものではない。


 だが、自身で無線を発信すれば話は全く違ってくる。

 この大阪湾で不審な電波を出して、痕跡を残さない事など不可能だ。

 現場でコマンドを出せるのは確かに便利ではあるが、これまで積み上げてきた隠蔽の努力を全て無にしかねない。攻撃の成功率を上げる代わりに、警察に大きな手掛かりを与えてしまう両刃の存在だった。


 この機能を残すかどうかについては最後まで議論になった。

 長身の男はドローンを飛ばした後は運を天に任せた方が良いと主張したが、眼鏡の男はあくまで最終決定権を自分の手中に置くことに拘り続けた。


「一機、遅れている。組み立て精度に問題があったようだ」

「おいおい、勘弁してくれ」

 長身の男は思わずぼやいてみせた。

「そもそもこの計画は、攻撃の成否よりも証拠を残さないことが重要なんだろ。中途半端にやって警察に嗅ぎつけられるぐらいなら、誰にも見られないままドローンを海中に突っ込ませる。そういう話だったはずだ」

「ああ、分かっている」

「だったら」

「それでも最後の決断は、責任者が行うべきだ」

 はあ、と長身の男は溜息をついた。

「上司としては見上げた態度だが、俺としてはとっとと逃げ帰りたいね」


 まったく妙な奴だと首を捻る。

 国際大会中で警備の厳重な関東に拘る必要はない。

 むしろ人手の不足する関西を狙う。

 盛り上がる大会初期ではなく、ややダレてきた後半の時期。

 目的のためには死傷者の数など大した意味を持たないと割り切って、致死性の高い物質の使用をあっさりと諦める。


 ミニマムな努力で最大限の効果を狙う合理性と、現場に残って危険なコマンドボタンを弄ぶ自己意識の強さがどうにも結びつかない。

 まあ、人間なんてモノは矛盾の塊で。

 人としてはその方が正しい在り方なのかも知れないが。


「よし、水路を越えた」

 眼鏡の男が呟いた。長身の男はほっとした様子で応える。

「じゃあ、帰港するぞ」

「いや、もうしばらくこの辺りに居よう」

「おい!」

「今から急いでも、どのみち攻撃前に帰港出来るかは怪しい。オレたちが大阪湾に居たという記録も残る。だがドローンの航続距離内に何隻の船が居ると思う? 陸上から飛んできた可能性だって捨てきれない。単にそれだけでマークされる可能性は低いさ」

 眼鏡の男は西の海に視線を投げた。

「それより、しばらく待てば大阪湾の夕焼けが見える。関東から来たんだ。そのために少々長居しても、おかしくはない」


「女連れでもないのにその設定はどうかと思うぜ」

 さすがに言わずもがなの指摘をせざるを得ない。

「お前、どうしても攻撃の現場近くに居たいだけだろ? 言っておくが、絶対に神戸方向には近づかないからな」

 眼鏡の男は沈黙のまま、にやりと笑った。



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