第3話
長身の男はゴーグルを嵌め、慎重にボトルの口を開けた。
息を吸わないように注意しながら、メインユニット側のパイプを取り出す。
パイプにはスクリューキャップ状の固定具がついていた。
ボトルにパイプを差し込んだ後、キャップを口に当てて確実に回す。
試しに少し横にしてみる。大丈夫だ。液漏れはない。
そのままボトルをメインユニットに固定した。
長身の男は機体から少し距離を置いた。
蓋を開けた際、農薬の一部が揮発したはずだ。
しかしここは海の上。風が直ぐに散らしてくれる。
暫く待ってからふうと息を吐いた。軽く吸って刺激を感じないことを確認してから、ゴーグルを外す。
「完了だ」
「いいぞ」
相変わらず距離を置いたままで、眼鏡の男は指示を下す。
「次は胴体全体を包むようにガワを被せてくれ」
全部俺かよ。そう言いたげな表情を見せるが、相手は涼しい顔でそれを流した。
ひょっとしたら手伝いに近づいてくれるかも、そんな期待を抱いた自分の甘さを反省しつつ、長身の男は作業を始めた。
これまたカーボン製とおぼしき繊維を袋から取り出す。指定の位置にフックを掛けて引っ張ると、早速注文が飛んだ。
「綺麗にやってくれ。空気抵抗が違ってくる」
やれやれと首を振り、灰色がかった青色の繊維を皺が寄らないように丁寧に伸ばし、張力でピンと伸びたところで固定する。
エンジンから伸びたシャフトにプロペラを取り付けると、全体が一気にそれらしい見栄えになってきた。
「スリットの位置を確認してくれ。ズレていないか?」
「大丈夫だ」
翼を取り付けるため、カーボン繊維にはあらかじめスリットが開けられていた。
位置を示すマークが見えることを確認する。
「次は翼だ」
揚力を生み出す翼の形状は重要だ。歪みがあれば飛行が出来なくなる。さすがに船の上で一から手作業という訳にはいかない。
そのため、湾曲した骨組みにあらかじめカーボン繊維を張りつけたパーツが準備されていた。三分割されているため、単体では正体が分からない。緩く湾曲した布の張られた四角形っぽい何か、だ。下水用のフィルターだと説明された警官が、それ以上の追求をすることは無かった。
組み立てた四枚の翼。そして水平・垂直の尾翼。
それを先ほどのスリットの位置で胴体に繋げる。最後に上下の翼同士を連結する翼間支柱と呼ばれるパーツを付ければ完了だ。
完成したそれは、飛行機以外の何者にも見えなかった。しかし。
「なんかバランス悪く見えると思ったら、車輪が無いんだな」
そのために一般的なイメージから少し外れているらしい。
「こいつは着陸をしない。だから、そんなものは必要ないさ」
なるほど道理だと長身の男は頷いた。
「それにしても、やっぱり華奢な造りだよな。こんなんでよく飛べるもんだ」
「スピードが遅いのは悪いことばかりじゃ無い。その分、強度が低くても飛行可能だという意味でもある」
長身の男は幾分かの疑念を抱いた眼で機体を眺めた。
だが、やがて首を振って考えを改める。
まさかテストもせずに持ってきている訳ではないだろう。
これは飛ぶ。そう信じるべきだ。
配線を繋げ、ラダーとフラップの動作を確認する。
簡単な造りだが、このドローンに高度な運動性は求められていない。
この程度で十分なのだろう。
「組立作業も意外に簡単だ。全体で二時間もかかってない」
「だろう?」
眼鏡の男は満足げに頷いた。
「ドローンを固定してくれ。風に飛ばされるとまずい」
「分かった。・・・・・・しかし、今時複葉機とはね」
長身の男は一人で固定作業をしながら、そう呟いて見せた。
背後から得意げな解説が聞こえてくる。
「複葉機は時代遅れ、単純にそう思い込んでいる奴らは多い。確かに技術の発展で複葉機は単葉機に駆逐された。だが機体や翼に使用する素材、空力に関する知識は日々増えているんだ。一度廃れた技術が、新たな技術と融合して復活するのは珍しい話じゃないさ」
ヘリ型はプロペラによる推力頼みで飛行する。
風に乗ることが出来ない分、航続距離が短くスピードも遅い。
通常の固定翼型は、入念に計算された一体成形の翼と、離陸速度を確保するための飛行場が必要となる。
一般的な用途ならば、それらは大きな欠点とされない。ヘリ型なら大型化してエンジン出力と燃料・バッテリー容量を増やせばいい。固定翼型なら、素直に飛行場を用意すればいいだけの話だ。
だが、特殊な用途であれば異なる解決策もあり得る。
二十キロを飛行可能なヘリ型ドローンとなれば、相当な大型にならざるを得ない。持ち運びにも手間取るし、所持しているのを見つかれば使用目的をしつこく問われるだろう。固定翼型であれば航続距離については解決できるかも知れない。しかし、離陸のためにスペースを確保せねばならず、町中では相当に目立つ。
そこで低速でも揚力を稼げる複葉機型というチョイスになる。
ありふれた釣り船程度のスピードでも離陸が可能で、最高速を捨てた代わりにプラモデルのような組立型に出来る。今回のようなケースで、そのアドバンテージは圧倒的だ。
部品をバラバラにして業者用のバンに積んだおかげで、検問も簡単に突破できた。カーボン製のパイプと布、釣り船用に偽装されたエンジンとプロペラ。それぞれを別の車で見つけたとしても、警官が不審を抱く可能性は極めて低い。
見つかれば一番危険な農薬も、ジュースとビール缶の詰まった段ボールの中に紛れ込ますのは難しいことではなかった。
「しかし、若干勿体ない気はするな。これだけの準備をしたのに、撒くのがただの農薬ってのは。出来ればBC兵器の方が効果的だっただろうに」
「農薬だって立派な化学薬品だ。ケミカル兵器を名乗る資格はあるさ」
そう言って眼鏡の男は薄く笑った。
「そうだな。確かにその方が効果的だったろう。しかし運用が難しいのさ」
少し考え込んでから、例え話を始める。
「君はペットを飼ったことがあるか?」
「犬なら」
「ある日、自分が今まで見た事の無いペットを渡されて、一週間世話をしろと言われたとする。犬や猫とは全く違う、なんだか良く分からない生き物だ。一週間後、そいつを元気一杯のままでいさせられる自信はあるか?」
長身の男は首を横に振った。
「いや、無理だな。とてもそんな自信は無い」
「病原菌の管理も同じぐらい難しい。取り扱える知識を持った専門家と一定の設備が必要だ。化学薬品ならもう少し簡単だが・・・・・・事故が怖いのは同じだ」
眼鏡の男は、視線をケースに向けた。
先ほど、ペットボトルが入っていたケース。
「単なる農薬なら、ペットボトルに入れて運搬しても我慢出来る。だが、うっかり間違えれば自分が死んでしまうような代物をぞんざいに扱う気になるか?」
「そんなものが車内にあったら、とても平静じゃいられないね」
「そう。そして警官は平静で居られない人間の匂いを直ぐに嗅ぎつける。あいつらはそれなりに優秀な犬どもだ。ただそれだけで、検問を突破できる確率は大幅に下がる」
長身の男は確かにそうだと頷いた。
「何より、そういったものは足がつきやすい。入手も運搬も困難で、所持しているだけで立派な罪になる。だが、農薬とカーボン製のパイプその他を購入して車に積み込むのは市民の自由な権利さ。警察には止めようが無い」
そう。それでいて効果はさして変わらない。
アメリカの同時多発テロで生じた最大の被害は、二つのビルの倒壊と三千人ばかりの人命ではない。
それによる経済の混乱と、際限も無く広がり続けた対策コストだ。
空中のドローンから正体不明の液体が撒かれ、人々が身体の不調を訴えた。
大事なのはその事実。
撒かれたのが本当に農薬だけだったのか。
その疑問への回答を確信を持って行うことは難しい。
なぜなら、それは悪魔の証明だからだ。
しかしテロ活動が発生した場合、政府はその証明を行うことを求められる。
迂闊な対応は出来ない。神戸には、そして国際大会中の東京には、世界中から観光客が集まっているのだ。
だが、慎重を期せば期すだけ動きは鈍る。
その間に噂は広がり、加速度的に対応は難しくなっていくだろう。
際限なく不安が拡大する中。
経済は停滞し、株価は暴落を続けていく。
この国が受ける被害は恐るべきものになるだろう。
こんなおもちゃのような、たった四機のドローンで。
「他の船は?」
「まだ作業中のようだ」
「そうか。じゃあ、少し時間があるな」
そう言って長身の男は船内に入ろうとする。
眼鏡の男がはそれを呼び止めた。
「どこに行く?」
「どこって・・・・・・トイレだよ」
「そこでやれ」
そう言って海を指さす。
「大きい方だぜ」
「それでも、だ」
長身の男は呆れた様子を見せるが、眼鏡の男は頑として譲らなかった。
「オレは君を同士だと思って信頼しているが、それでもこの重要な局面で視界外に行かせるほど不用心では無い」
何度目か分からない溜息をついて、長身の男は海岸と反対側の舷側に向かう。
ベルトを外しながら、思わず嫌みが口を突いた。
「念のために聞くが、妙な趣味で言っているんじゃないよな」
「それは趣味というものを理解していない人間の台詞だぞ」
眼鏡の男は、大真面目にそう言った。
「趣味とは、すべからく奇怪なものだ」
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