立体の影と響く音
はっきり言おう、意味が分からない! 引ったくり犯を追っていたら、そいつは人間ではない存在で、それが今は俺を襲おうとしている。
誰が思い付くかそんなこと! 狂人の思考を持っていても無理だ、そんな頭のおかしい事を想像するのは!
混乱冷めやらぬ状態ではあったが、反射的に振り下ろされた腕を掴み、
そして受け止めた事で、より目の前の存在が人では無い、異形な者である事を知らしめられる。
俺は確かに腕を掴んでいる、だがこの感触が、まるで粘土質の泥を触ってるかの様に柔らかく、指と指の隙間に入ってこようとする。
そんな柔い感触なのにパワーがかなりある。押さえる手が震え、今にも脳天に押し込まれそうになる。
こんな力があるなら最初から攻撃出来たはずなのになぜしなかったのか。それに考えれば、動きが単に逃げてる時とは違って妙に滑らかだった。
恐らく、きっと、どういう原理かは分からないが、あの変に痙攣してから動きが変化したに違いない。
――だがそんな事、今分かった所でどうなると言うのだ! 原理が何か、こいつが何なのか、今はそんなのどうでも良い。
とにかく盗まれたバックを持って逃げるか、それが重要だ。最悪、怪我してでもバックは取り返さないと、あの女性に申し訳が立たない。
俺はわざと力を抜いて一気に謎の存在の腹を横切り、落としてあるバックへと滑り込んだ。
急に抵抗が無くなったせいで、その存在は体勢を崩し、盛大に顔から地面へと倒れた(最も顔なんて物は最初からないのだが)。
滑り込んだ勢いのまま、素早くバックを拾い上げると、ガッシリ落とさない様、ラグビーボールを持つかの様に両手で抱える。
よし、これで取り返す事は出来た。後はこの勢いのまま目の前を突っ走れば…………!
そう考え、すぐに足を早めるがすぐに止まる事となってしまった。
それもそうだ、冷静に考えれば誰にでも分かる。いくら他人の為なら考え無しに行動できたとしても、これは流石に無いだろと自分でも思ってしまった。
何であの存在が逃げるのを止めて襲いかかって来たのか。
もう逃げられないからだ。俺はただ呆然と、俺の身長より二回り程大きい壁を見ると変な声が漏れた。
後ろでは地面をズルズルと鳴らしながら起き上がる音が聞こえる。さすがに今ので警戒されてるはず、堅実に攻めてくるだろう。
あまりの脱力感が体を覆ってき、後ろを振り返る気力さえ失われてきた。
ヤバい、もう無謀過ぎて耳鳴りまでしてきた。なんで俺に関する事は即決できないのに、それ以外は考えなさ過ぎだ。
この事はもう十分に理解していると思っていたが全然だ。自分の事は自分が一番分かってると言うが絶対に嘘だ。
次第に耳鳴りも近づき、大きくなってくる。それは飛行機が離陸する時に出る音の様な高周波がどんどん迫ってくる。
――ん? 迫ってくる、だと。
何か妙だ。いや妙なのは現在進行形そうだが、また何かおかしな事が起こっている気が……!
更なる異変を感じた直後、何かが頬を掠めたかと思うと、目の前の壁に一点を中心に亀裂が走った。
ほんのりと頬が温かくなりながら、諦めて見ていなかった後ろを振り向くと、立ち上がっていたソレが、無くなった腕の断面を押さえながら踞っていた。
何でだ、何でこいつは腕を吹き飛ばされて……?
「君には見えているのかしら、この能力は? まぁ見えているから、そんな訳の分からない顔をしているのでしょうけどね」
整理のつかない頭に、突如として透き通る様な涼しい声が駆け抜けた。
ハッとその声がした方に目を向けると、ブレザーにスカートを着た、俺と対して変わらない背格好の女の子が一人、踞るそれを冷徹な目で見つめながら立っていた。
これは何だ、一体どうなっている、君は何か知っているのか、聞きたい事は山程あったが、あまり急すぎて口をパクつかせる事しか出来ずにいた。
そんな口をパクパクさせてる間に、黒いソレは狙いをその女の子に換え、まだ残っている腕をいきりたたせていた。
「危ない、逃げろ!」
それを見て、今まで出なかった声が急に喉から飛び出した。何か出来る訳でもないのに、俺は踵を返し女の子へと手を伸ばそうとする。
だが確実に間に合わない! 嫌でもそれを実感させられていると、まるで呆れた様に、それでいて感心した様にこっちを見ていた。
「全く、今この状況でどっちがピンチか分かってるのでしょうね。それに私を助けるなら、あまりソイツの背後に立たないでしゃがんでいて欲しいのよね」
そう言うや否や、右手を真っ直ぐ突きだし、ブレを少なくする様に反対の手を添える。
ほんの一瞬だったが、突きだした手で何かを摘まんでいるのが見えた。この暗い路地裏に指す僅かな光を、その摘まんだ何かを照らしたのだ。
それに気付いた次の瞬間には、女の子の目と鼻の先まで近づいていたソイツが、手を伸ばそうとする俺の頭上を通り過ぎていたのだ。
「…………ッ!」
「驚いてるとこ悪いけど退いてくれる? 早いとこ止めをさしたいから」
あまりの出来事で声が出ないでいると、冷静に、荒らげる事なく淡々と言ってくる。
そして再びあの高周波が辺りに響き始めた。そうだ、飛行機よりも適切な表現がこの音にはあった。歯医者だ、治療に使うドリルが回転する音にこれは近い。
なら何が回転しているのか、すぐには分からなかったが近づいた彼女を見て気が付いた。
白魚の様に白い指と指の間を何かが浮いているのだ。何かが分からないのは、それが小さく、そして高速で回転しているからだ。
「君、早く伏せて」
「えっ、はい!」
決して大きな声ではなかったが、その威圧感に圧され、すぐに俺は手にしたバックを両手で抱え込みその場に伏せた。
その直後に頭上で風を切る音が響くと、壁が砕ける音が再び聞こえてきた。
恐る恐る頭を上げると、あの存在で頭にあたる部分が吹き飛び、体がゆっくりと溶け地面へと吸い込まれようとしていた。
死んだのか? これは死んでしまったと捉えていいものなのか?
この数分間、一体なんだったのか。未だ理解が追い付かないず、頭を掻く事しか出来ないでいた。
「君は……、あの力が見えていたの?」
「…………あの力というのは、今溶けてる事を指してるでいいのです、よね?」
それを聞くと何か考える様に顎に手を置き、少し節目がちになる。そして何か納得した様に、少し息を吐いた。
「君、今から私に付いて来て。話たい事があるから」
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