第33話 冷泉

 災霊はセンソウ寺を出てから北への道のりを歩いている途中、ふとした拍子に寺の方向へ振り返った。

 当然、誰もいない。そもそも自分に近づける者はいない。

 もしいたとしても、すぐにその精神を病んでしまう。

 今振り返ったというのも、昼過ぎに現れた少女の姿がふと思い浮かんだからである。久しぶりに出会った人間だった。自分も元は人間であったため親近感を覚えたのだ。

 しかし、追ってくる気配はなかった。

 まあ、あの変わった少女のことなど、もう思い出すこともないだろう。そう思い直し、北への旅路を再開させた。

 させたのだが、またすぐに歩みを止めることとなった。

「すごいですね、お嬢さん」

 もう一度振り返ると、息を千切らせて佇む冷泉の姿があった。

 最初に出会った頃と比べ、今の彼女の姿は酷いの一言に尽きた。着物から出る足や腕、顔に至るまで、小さな擦り傷や大きく肉がえぐれた傷口で埋め尽くされていた。立っているのもやっと、といった様子である。

「何度も言いますが、僕にはお嬢さんの声については本当に何も知らないんですよ。ゾウの足跡が水たまりになって小動物の住処になったとしても、ゾウにとっては身に覚えがないことでしょう?それと同じですよ」

 ……構いません。もう……何をするかは今……決めましたから……。

 もちろん、その声は災霊にも届いていない。無言で身体を引きずるように近付く冷泉を、災霊もまた黙って見つめ返していた。

 辺りは完全に日が落ちる時間帯。途切れようとする最後の夕日が、振り上げた冷泉の拳を真っ赤に染める。

 ……自分で取り返します。


 冷泉は残った体力のすべてを使い、災霊の顔面を殴りつけた。

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