第29話 覚

 最初に来た時と同じセンソウ寺の東門を潜ると、手を引いていた覚の足が急ブレーキをかけた。

 何事か、と冷泉が覚の腕の横からひょいと前を覗くと、十メートルほど手前に、またもや立ち塞がる背の高い影が夕暮れに映し出されていた。しかし、今度は一つだけ。災霊ではない。

 冷泉はその陰に見覚えがあった。昨日、狐の店に立ち寄る前に河原で出会った、侍の風体をした翁の妖怪である。以前会った時と同じく、目玉がギョロギョロと辺りを見回している。

 妖怪にも斜視があるのでしょうか?と下らない疑問が思い浮かんでいた冷泉だったが、覚はそれを無視した。じっと目の前の妖怪を見据える。

「……以前の私の言葉、忘れておるまいな?」

 静かに口を開く翁。そんなことは冷泉だって覚えていた。

 覚はふう、と短く息を吐いた後、冷たい声色で応じる。

「顔合わせの次は、切り合わせ、だろ」

 ……ギドさん。

「……好きに呼べと言ったが、それはやめろ」

 あの妖怪は、万が一にでも味方ってことは。

「あり得ないな。詳しくは省くが、あいつ、隠れ座頭も俺と同じ本能を持ってる。つまり、戦わなきゃ死んでも死ねない。そんな妖怪さ」

「そう。そしていみじくも同じ戦いの中で満たされる欲望を持つ我らが、再び出会った」

 ためらいもなく、流れるような動作で腰の刀を抜く隠れ座頭。右手に持った身の丈ほどの刀を一振りすると、足元に土煙が舞い上がった。

「切り合い、どちらかが満たされるまで殺し合うのみ」

 もう左右の目はあらぬ方向を向いていなかった。質量があったら刺し殺せてしまいそうな目線が覚を捉える。殺意というものがどんなものか、身に覚えがないが、これがそうなのだろうと冷泉の心が震え上がる。繋いでいた手を握る力を強める。

 それに応じるように、覚は姿勢を僅かに下げ、手を思い切り引っ張って冷泉を抱き寄せた。

 ガン!と金属がぶつかり合う音が響く。

 何が起こったかわからない冷泉だったが、覚が振り上げてたシャベルの柄と隠れ座頭の刀の刃が交差していることから、隠れ座頭が刀を振り下ろして襲い掛かってきたのだと悟る。位置から考えて、覚ではなく冷泉の腕を狙ったのだろうとわかった瞬間、どっと汗が噴き出てきた。

「……こいつは関係ないだろ」

 冷泉は覚ではないが、今だけはセリフの端々から考えていることがわかる。この一瞬で覚は怒りで煮えたぎっていた。

「そうか。しかし片手に荷物を持っている故、切り落としてしまえと思ったが。有難迷惑だったか」

 カタカタと震えて交わるシャベルと刀だったが、覚が大きく薙ぎ払って両者は大きく距離をとる。片手とは思えない力だった

「どうやら、俺が一緒に行けるのはここまでのようだ」

 覚は隠れ座頭から目を離さずにそう言った。冷泉の腰に回していた手を緩め、静かに自分から離れるようにとそっと押す。

「俺にも、お前にも、叶えたいものがある。俺は今ここでお前の願いを守って、自分の欲望を叶える」

 今の覚には喜びと怒りと、少しばかりの躊躇いが入り混じっている。彼の横顔を斜め下から見上げる冷泉の目にはそう映った。

「行け!夢を取り戻せ!」

 火薬が炸裂したような覚の声に弾かれ、駆け出す冷泉。隠れ座頭の脇を通り過ぎないように、大きく迂回してから本殿を目指して駆け出した。

 そのまま寺の奥に広がる闇夜に消えていく、その手前で立ち止った冷泉は覚を振り返った。

 ――。

 それは、覚にしか伝わらない声。何を伝えたかは覚にしか理解できない。しかし、その心の叫びが、覚の複雑に入り混じった表情を解きほぐしたということは、ここで彼を見ていた誰もが気付くことだろう。

 冷泉は闇夜に消えていった。もう振り返らなかった。

 それと同時に覚は隠れ座頭へ迫る。足取りに迷いはなく、瞳に躊躇いの色はなく。ただ目の前の本能を満たすためにシャベルを手に駆ける。

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