第23話 後・廃棄楽園 東京

 怪狸は冷泉と覚を引き連れてビル群へ入っていった。

 そこは印旛よりも崩壊の跡が随所に見える地だった。掠れた看板をいくつも携え、コンクリートで固められた建物は原型を留めているものが数えるほどしかない。外壁が明らかに風化ではない原因で崩されており、その破損個所の大小さまざまな欠片が道一杯に広がっていた。コンクリートの破片や石を踏んだ際の鋭い痛みが、履物を通して冷泉に伝わる回数が増えた気もした。その足元をよく見ると、道路にいくつも引かれた白線がかすれながらも僅かながら残っている。

 さらに、彼女たちを追い返そうとするように埃っぽい強風が襲う。ビル風、という名前だったかと冷泉は知識を掘り起こす。

 風に乗った枯れ葉と何回もすれ違って進んでいくと、冷泉の目の前をふらふらと宙に浮いた何かが横切った。思わずビクッと身体が跳ね上がってしまう。

 その正体は、日が出ているにもかかわらず鮮やかに燃え上がる火の玉だった。燃やすものがないのにもかかわらず青白い炎は勢いをそのままに、風に揺らめきながら建物の隙間へと消えていく。

 周りを見渡すと火の玉はそれ一つではなかった。冷泉たちの前後や頭上では、空中に木の実が成るようにいつのまにか複数が現れていた。いずれも大きさは人間の握り拳くらいか、それよりも小さい。あるものは何かを求めて彷徨い、あるものは街の飾りのようにその場にとどまっていた。

 覚を見るが火の玉に対する反応はない。つまりは、無害ということだろうか。

「触れれば燃えるに決まってんだろ。焼きジャガイモになりたくなければ近付くな」

 早く言ってください!

 鼻先を掠めそうになった火の玉――鬼火から飛びのく冷泉。思わず覚へ速足で駆け寄り、彼の着物の袖を思い切り掴む。

 その反応を見た怪狸は小石を転がした音のような笑い声を出す。

「そんなに驚かなくても、そのサイズ一匹なら冷泉さんでもやっつけられるよ。動くだけのちっぽけな火だから」

 動くだけでも充分な脅威だと思うのですが……。

「……歩きにくい」

 ちょっとの間だけですから!

 離せ、とは言われなかったのでそのまま千切れんばかりに服を握りしめる。

「……それにしても雑魚の鬼火が多いな。」

「そりゃあ、たくさんの妖怪がここから出て行っちゃったし、鬼火をいじめる妖怪も減ったから。……そういや覚さん、市場を通っていかないのはどうして?ここよりは妖怪の数が多くて情報も得られやすいと思うけど」

「お前。こいつを妖怪どもの巣窟へ放り込む気か?」

「……それもそうだね。納得」

 妖怪が集まるところを通ってくれているらしいが、その話を聞いても冷泉は一呼吸も安心できる時は訪れなかった。


 ――ひぃ!

「今度は何だよ……」

 天敵に遭った子リスのように小さく跳ねた冷泉の目線の先には、首から上がない人体が道端で転がっていたのだ。手足をツタのように地面に投げ出し、岩のようにピクリとも動かない。

 最初は人間かと思われたそれは、よく見ると衣服をまとわず全身が赤褐色の錆びで覆われており、明らかに人体の成れの果てではない様相をしていた。

「ああ、あれは汎用人機と言ってね。かつて人間が生活の補助に使っていたロボットというやつだよ。……錆だらけなのは持って帰る気はしないなぁ」

 ろ、ろぼっと?

「油や電気で動く人形のことだ」

「あれは太陽光や水素といったものも原動力になるのさ。動けるものはみんな人に持っていかれちゃったけど、昔の都にはたくさんの人と人機で溢れかえっていたらしいよ。夢の国だよねぇ」

 確かに、今となってはそれは夢でしか見れない世界だ。

 この機械の残骸と同じく、やはり同族に取り残されてしまったのだという現実を冷泉は改めて見せられた気がした。本で触れたこともなかった人類の足跡が見えて、どこか遠い宇宙で生き延びている人々へ一歩近づいたような気がしたが、そこに広がるのは永遠に埋まることのない幅である。

 少しだけ、この汎用人機と呼ばれた物体が愛らしく思えてしまう冷泉だった。

 

 そして通りを進んでいくと、今のトウキョウが抱える狂気を垣間見た。

 鬼火ももちろん不気味だが、通りの真ん中で獣のように食事をしている妖怪と出会った時は戦慄した。

 それはトマトを地面に叩きつけたように体液らしきものが跳ね飛んでいる場の中心で、他の妖怪の肉片らしきものを貪っていたのだ。つまり、共食いの現場である。

 覚の袖が汗まみれになるくらいに握りしめていなければ、きっと冷泉は卒倒してしまっていただろう。

 妖怪が食に没しているその場を通り過ぎても、よく見れば同じような共食いの跡が瓦礫の影に点々とあった。

 印旛でもよく探せば同じものがあったのかもしれないが、明らかにこの地はこれまで訪れたどの場所よりも異常だという雰囲気が漂っている。そしてその靄のような感覚は、歩みを一歩進めるごとに蜜のように濃厚な重さを増していくのであった。

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