第22話 中・廃棄楽園 東京
もちろん、お通じというのはとっさの嘘である。とりあえず、冷泉としては覚に心を読まれないように離れて落ち着く時間が欲しかったのだ。線路から降ろしてもらった冷泉は、河原の傍の適当な草地に隠れた。
今の状況を考えると、文字通り頭を抱えてしまう。
ここからサトさんと二人きり……ってぇ、ついさっきもサトさんのことについて悩んでいたのに!そりゃ考えてみるとは言ってみましたし死ぬかもしれないけれど頑張っていこうと思いましたが!……あの時のサトさんはとても怖かったのです。のです、がぁ!いやいやもちろんサトさんは私を助けてくれたいい妖怪ってのもわかってます!怖いけど、優しいのもわかってるからこそ、ごちゃごちゃしてしまうのです……。
冷泉は芋虫が暴れるように身もだえた。考えれば考えるほど思考の沼に沈んでいき、彼がどのような妖怪であるかわからなくなる。
うーむむむ。これ以上長い間悩んでいても、サトさんに怪しまれますね。……戻りましょうか。
そして、覚が待っているはずの小さな戸建ての前に戻った冷泉が見たのは、他の妖怪の胸倉を掴んでいる覚の姿だった。三百六十度どの角度からでも脅しているようにしか見えない。
ちょっと引き気味の冷泉に気付いた覚が声をかける。
「おう、遅かったな。快便じゃねえか」
ばか!いやもうすごいばか!じゃなくて、何しているんですか!?
「何って、通りがかったコイツに、センソウ寺への道を聞いているんだよ」
「いや……これあなた聞く時の態度じゃない……教えるからとりあえず降ろし……おぇっ」
「お、死んだか?いや死んだら困るな。おいお前生き返れ。すごい勢いで生き返ってこい」
蚊の鳴くような声でギブアップを告げたその妖怪を、ゆさゆさと乱暴に揺らす覚。
冷泉は、覚のことがいよいよわからなくなってきた。
「そういうことで、今、妖怪同士のコミュニケーションが上手くいっているのも、人間が言語体系を整えてくれたということに私は感銘を受けているの!ああ他にも、人間が育んできた文明、その中でも特に物を小型化する技術は目を見張るものがありますねえ!あなた、携帯電話ってご存知?持ってた?」
は、はあ。
「ええと確かここに……これ!これが携帯電話!今は使えないけど、なんとこの小さな箱には離れている者とも話せる機能の他、写真撮影、音楽再生――ああもう語りつくせない!あなた、この後時間ある?」
ないです。
「あるなら一緒にお茶しましょう?ああ素敵、うっとり、夢みたい……人間がまだこの星にいたなんて、ああ捗るわぁ!」
「……そんな時間はねえよ」
「ああそう。じゃあ覚さんだけ行って、どうぞ。私と冷泉さんは二人きりのベリースウィートタイムに突入するので」
大変な妖怪、いやもう変態と言ってもいいだろう。厄介な者に捕まってしまったなと思わずにはいられない。なんて妖怪と絡んでしまったのだ、と後ろに控えている覚を恨めしそうに振り返るのであった。その覚は、出来得る限り空気になるように徹していた。
センソウ寺への道を尋ねるためにターゲットとした妖怪は、覚が言っていたようにこんな状況の都に残る物好きの妖怪だった。しかも、その物好きベクトルはなんと『人間』に向かっていたのだ。
そこに正真正銘の人間である冷泉が現れた。交渉の結果、怪狸と名乗った少女の姿の妖怪は事情を知ると、快くセンソウ寺への案内を引き受けた。しかしその代償として、道中にて冷泉が彼女のマシンガントークの的になってしまったのだ。
この妖怪は人間に近い容姿をしているが、目の周りにクマがあったり、こげ茶色のふかふかな尻尾だけは残っていたりする。アモロウナグとは違い、人間に対して危害を加えはしないという印象を彼女に持った。だから、人間を襲う妖怪でないことはわかっていたが、別の意味で危険な妖怪であることもこの数分で十二分に伝わったのであった。
「ね、冷泉さん!今度はあなたが知っていることも教えて頂戴、いいえ、教えてください!何でもしますから!」
ハアハアと息を切らして迫る怪狸。手を取られた冷泉は思わず後ずさりをしてしまう。
……教えろって言われても。
「そいつは今声が出せない。無茶を言うな」
「え、あら大変。……でもそのスケッチブックで意思疎通はできるんでしょ?ねえ、一休みしている間でもいいからお願い!」
冷泉の手を握る力がほんの少しだけ強くなる。脅しているというよりは、感情を制御しきれなかった結果だろう。
覚を見ると、げんなりした表情で二名かたは距離を取っていた。少なくとも怪狸に対して危険視はしていなさそうである。
鉛筆も握れないので冷泉は首を縦に何度も振って了承した。
「やった!こういうのを『交渉成立』って言うんだよね?」
コーショー……聞きなれない言葉ですね。サトさん、知ってますか?
「……香辛料だろ、多分」
なるほど!
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