第21話 前・廃棄楽園 東京

 太陽が真南よりさらに西の空へ傾いた頃になって、冷泉たちは幅二十メートルほどの川の前にたどり着いた。ここまで線路を辿り続けて来たが、川の手前になると線路が橋脚によって周囲よりも高い位置に上げられるようになり、そのまま対岸へと伸びていた。

 その川から先、そこがまさに彼女たちが目指す都、そう――。

 あれが、トウキョウ……。

 橋の手前で思わず立ち止った冷泉。それに伴って覚と天狗のその歩みを止める。

 かつてこの国で最も多くの人々が集い、四百年以上の繁栄が築かれた土地。人間はこの地を「東京」と呼んでいた。冷泉もそのかつての風景は本や写真で何度も目にしていた。しかし、この国が築いてきた人類史の発展は、今や見る影も形もなかった。

 遠くに見えるビル群の大半は、ネズミにかじられた跡のように風化して崩壊しているものか、根元からツタと葉に食われて覆われているものか、あるいはそのどちらも併せ持つものであった。秋晴れの空の下にあるというのに、その町並みは煤煙に包まれたように黒くくすんで見える。

 その光景を前に、冷泉は生唾を飲み込む。あの都を見ていると、なぜか秋風が原因ではない震えが手足にまとわりつく。

「以前来た時と雰囲気がだいぶ違いますな」

「ってことは、災霊がいるんだろ。かえってわかりやすくていい」

「それもそうですな。……ふむ。そろそろ、というところ。ちょっと時間をいただけますかな?」

 天狗は何かを待っているかのように都の方向を見つめていた。

 すると間もなく、都から一羽の影が飛来した。細部を目視できるところまで来ると、冷泉はそれがカラスであることに気付いた。一見何の変哲もないカラスは滑るように、突き出された天狗の腕に止まった。そしてそのまま、天狗とカラスはしばらく見つめ合っていた。時折カラスが「アー!」と鳴いている。

 サトさん?

「……その名前で呼ぶのはやめろ」

 天狗さんって、動物とお話ができるのでしょうか。

「だろうな。というかカラスとなら俺でも喋れるぞ。お前はできないのか?」

 覚は人間がどんな存在だと思っているのだろうか。

「――さて、待たせましたかな」

 傍らで様子を見ていた冷泉と覚の元に、天狗がズシズシと近寄ってくる。その肩の向こうでは、カラスが都へ飛んで小さな粒になっていくのが見えた。

 覚が胡散臭そうに尋ねる。

「あのカラスはお前の友達か?」

「ふーむ、友達の友達、といったところでしょうな。彼からなかなか有益な情報が得られましたぞ。橋を渡りながら話しましょうかな」


「アキレス殿の話によりますとな――」

「誰だアキレスって」

「先ほどのカラスの名前ですぞ。吾輩の知り合いが使い走りで飼っているカラスの一羽ですな」

 妖怪もペットを飼う時代ですか……。

 橋を渡る一行。先頭を歩く天狗を、彼の話を聞きながら覚、冷泉の順に後を付いていく。

「彼の話によりますと、数日前から都の妖怪や動物が何かに怯えだす奇妙な現象が起きているようですな。どうやらその現象は今も続いていて、それでも残っている妖怪はそれなりにいるようですぞ」

「ここでも嫌な気配が伝わってくるのに、まだ残っている物好きもいるんだな」

「住み心地がよっぽど良いのでしょうなあ。なんせ災霊も寄ってくるくらいですからな」

『カラスさんは災霊の居場所を知っていたりは』

「それも教えてくれましたな。まあ、知っていたというよりは嫌でもわかってしまうらしいですがな」

 動物の本能、もしくは気配とかオーラとか、そのような感じで大体の場所が掴める、ということなのだろうか。

「場所はセンソウ寺。そこに冷泉殿の声のありかを知っている者がいるのでしょうな。お二人の目的地はそこかと」

 天狗は対岸まで渡り終えると、こちらを振り向いた。

「……お前は付いてこねえのかよ」

 ――冷泉殿が都に向かう目的にはほとんど興味がないですからな。

 冷泉は天狗の言葉を思い出した。

「吾輩はプロテインを調達してくる故、ここでお別れですな。何、またどこかで会うこともありましょう」

 彼の筋肉がプロテインを一秒でも早く求めている、とでも言ったらよいのだろうか。あっさりとした別れの言葉を告げると、天狗は線路から飛び降り、昼過ぎだというのに嫌に薄暗い街並みへと消えていった。

 取り残される冷泉と覚。いきなり未知の領域に放り出された、という感覚なのだが、それ以上に気がかりなことがあった。

「あいつ、センソウ寺がどこにあるのか教えなかったな。……まずは場所を調べるか。で、どうした?」

 い、いえっ!や、ああそういえば私、ちょっと、お通じがですね!行きたい!のですが!

「ああ、そんなことか。後ろくらい向いていてやるから、早く済ませろ」

 ……ばか!

「何なんだ、お前……?」

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