第7話 後・九十九里
そこからの旅路は、何というか、途中で野蛮な妖怪にあんなことやこんなことをされると身構えていた少女にとっては、驚くほど起伏のないものだった。
二人は明かりの灯る町を避け、荒れ地の真ん中に線を引くように作られた細い道路を突き進んでいった。空が茜色から灰色がかった紫色に移り変わっていたころまでは何とか足元が見えたが、辺りが暗闇に包まれた頃には、目の前のかつて舗装された道路と畑の境目すら見分けることが難しかった。人間が住んでいたころは、民家の明かりであったり電柱の電灯が夜道を照らしていたものだったらしいが、今やそれらは電気の供給が断たれたために夜へと溶け込んでいた。
1時間ほど歩いてからだっただろうか。覚は深い生垣に囲まれた民家を見つけると、日本家屋特有の趣のある引き戸の入り口へズンズンと向かっていき、そこの戸をさも当然であるかのように蹴破って中に侵入する。もともとの住人でもこんな好き勝手の極みのような入り方はしないだろう。
民家の居間に放り投げられた少女が口をあんぐりと開けている間に、覚はどこかから埃の被った鉄鍋と、なんだかよくわからない細長い紙製の箱を持ってきた。すると覚は箱から銀色の紙を取り出し、土を払ったサツマイモを一つずつ包み込みこんだ。そして出来上がった大きな銀玉と鉄鍋を持って居間の前に広がる庭へ下りた。
突如、少女の目の前で星が輝いた。まぶしさで目がくらむ中、覚の手の中には、なんと小さな炎が揺らめいていたのだ。
な、何で火種も火打石もないのに炎が?!
「ライター、とかそんな名前だ。かつて人間が使っていたもの、らしいな」
へえぇ。昔の人は便利なものを持っていたんですねぇ。
「お前も人間だろ。聞いたことないのかよ」
私はずっと山にいましたから。火も火打石で起こしてました。
「それが昔この星を支配していた種族の生活かよ……」
余計な一言が多いことで!
それからは、火種とそのあたりの落ち葉を山盛りに入れた鉄鍋を前に、二人は目線も言葉も交わすこともなく、ごうごうと煌めく炎をただ黙って見つめていた。
覚は少女の心の内を読めているのであろうが、何か話しかけることもなかった。
この時、居間から移動しベランダに腰かけていた少女は猛烈な眠気に襲われていた。火を見つめているからだろうか。しかし、いくら自分を助けたとはいえ、目の前にいるのは人間と敵対し続けていた妖怪である。おいそれとすやすや眠ることはできないのであった。
あの、サトさん?
少女は眠気を追い払おうと、鉄鍋の傍にいる覚に話しかける。
「……」
サトさーん。
「……」
おーい。サ、ト、さーん。
「……一応確認するが、まさか俺を呼んでいねえだろうな?」
あ、やっと反応しました。
「……」
覚は何事もなかったかのように沈黙を保ったまま、最初に入れた火種が燃え尽きそうな鍋の中に分厚い紙屑を放り込む。火は少し大きく揺らめいたものの、すぐ元の落ち着いた勢いに戻った。
サトさんはあの船でどこに行こうとしていたんですか?
「どこだっていいだろ。あとサトさんて呼ぶな」
いいじゃないですか。覚さんだから、略してサトさん。
「一文字抜かしただけだろ。気色悪いからその呼び方はやめろ」
わかりました!……で、何でサトさんはあの船に?
「嫌がらせかこのジャガイモ……。別に、どこかに行こうとして乗っていたわけじゃねえよ」
じゃあ、どこかに行ってきた帰りだったのですか?
「話す必要もないだろ。あと、眠いなら寝ればいいじゃねえか。誰もお前を食いやしねえよ」
……心が読めるって便利ですね。流石に今のは節操がないですけど。
「読まなくてもお前を見れば嫌でもわかる。それに……」
それに?
「うるせえ。寝るなら寝とけ、ジャガイモが」
鍋の底には、ほとんど灰になった紙屑と小さな火が弱々しく燃えていた。熾火というやつだ。そこに覚はサツマイモを包んだ銀紙を潜らせるように埋めた。
彼の口調が陰ったような気がしたので、まさか何かしらの地雷を踏みぬいてしまったのではと膝を抱えて身構えた少女だったが、そのまま覚は石像のように口をつぐんで火を見つめているままだった。照らされているその表情からは、何を考えているのかはわからない。
再びの静寂。瞳に映る小さな火がゆらゆら揺れ、ほのかな熱気に当てられた少女は再び瞼が重くなってくる。ここまで覚に抱えられて移動していたといっても、いつ身の危険にさらされるかわからない緊張感を持ち続けていたのだ。
だから、少女が眠気に負けて、器用に窓の縁に寄りかかりながら熟睡するのにはそう時間はかからなかった。
覚は彼女の前で、時折ぱちりと音を立てる火を見守り続けた。
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