第16話 後・荒廃路線跡 北総線


 どこまでも上へと続くような晴れ渡る空なのに、空から大粒の雨が降ってきた。

「ははあ、これは天気雨ですなぁ。まあ、気が済んだらすぐ止むでしょうな」

 仰ぎ見る天狗のその独り言に、誰の気が済むのだろう、と気にかかった冷泉だったが、ともかく雨をしのぐために丁度通りかかった廃駅で休憩をとることにした。

 開けた土地に忘れ物のように立つその駅は、線路に面するホームが三つあり、その上に乗りかかるようにかつての市街と駅のホームを繋ぐ橋があった。橋には階段とエレベーターがあり、そのどちらから駅のホームへ下りるという構造だった。もちろんエレベーターへ扉は赤銅色に変色し二度と開きそうにない。

 駅のホームにはそれぞれ錆びた屋根とベンチがあり、その一つに冷泉は膝を抱えて座っていた。わざわざ覚と天狗からは見えないところを見つけて休んでいた。

 冷泉には覚がわからなかった。どうしてカク猿をあそこまで叩きのめす必要があったのか。守ってもらった自分にそんな贅沢な注文をする権利などない、ということは冷泉自身も重々承知のことである。しかし……同じ妖怪であるカク猿たちの命を、何のためらいもなさそうに奪っていく覚。まずは追い払おうとする素振りもなかった。

 もし同じような状況に立たされたとしても、覚の行動や心理は冷泉にはどうしても理解できないのであった。

 理解できない。だから怖い。今、冷泉が抱いている覚への感情は、他の妖怪に対するそれと何ら大差のないものであった。

 ここから先も彼と行動を共にして、大丈夫なのでしょうか……。

 雨足が強くなり、錆びたトタンの屋根を叩くトツトツという音が激しさを増す。

「食べないのですかな?」

 背後から不意に声がかかる。冷泉が振り向くと、天狗が弁当箱を包んだ風呂敷を差し出して立っていた。仮面の口元はにこやかなものだ。

 もう彼に驚かなかった冷泉は黙って風呂敷を受け取った。食べ物を目の前にして、突然思い出したような空腹に襲われた冷泉は結び目をほどいていたが、その手を止め、スケッチブックを片手に天狗に尋ねた。

『妖怪の方たちにとって、他の妖怪を殺すことって普通なんですか?』

 スケッチブックの質問を見た天狗は、仮面から見える目をほんの少し丸くさせたが、すぐに質問の意図を読み取ったようであった。

「それは一言ではなんとも……。冷泉殿は、そもそも妖怪がどういうものかご存知ですかな?」

 はぐらかされたような気がした冷泉だったが、素直に首を振った。

「それでは、筋肉以外のことはあまり語れませぬが、妖怪という存在について少しばかりのお話を」

 天狗は冷泉の傍らに立ったまま語り始めた。はた織機をゆっくりと動かすような、低く繊細な声色だった。

「吾輩たち妖怪と人間がこの星を巡って争うまでになった理由は至極単純。決定的にそのあり方がそれぞれ違ったのですな」

『あり方?』

「ええ。それは、妖怪は生まれ持った本能に生き、人間は生まれた後に備わる自我に生きる、というところですな。我欲に従い生きたいだけ生き続け、エネルギーを使い果たして満足すれば消えるだけ。そんな四方万里の何事をも考えず好き勝手やる妖怪と、社会性を持ち調和を良しとする人間が共存できることなど、あり得ない話でしてな。まさに筋肉と脂肪。あとは生存をかけて争うしかありませぬ」

 筋肉と脂肪の例えはピンときませんが。

「さて、冷泉殿の質問の答え……というより、先ほどの覚殿の行動も妖怪が持つ本能によるものでしょうな。人間であればブレーキになり得る倫理観などが、吾輩たち妖怪には欠如している。何せ、本能を妨げるそういったものに興味が全く向かないのですからな。かく言う吾輩も、ここまで来ましたが実のところ、冷泉殿が都に向かう目的にはほとんど興味がないですからな」

 かなり驚いたが、改めて思い出すと、そういえば天狗には何も言ってないし、何も聞かれてはいなかったと気付く冷泉。戸惑いと焦りが筆を荒々しく走らせる。

『じゃあ、何で付いて来てくれたのですか』

「都でプロテインの工場が動いておりましてな。手元の在庫がなくなりそうなので調達を」

 つまり、たまたま行き先が同じだった。それだけだったのだ。

『でも、サトさんは、私のことをここまでずっと助けてくれました』

「……そこは不思議なところですな。覚殿の本能がどのようなものかは吾輩も知りませぬ。抱き名を教えてもらうくらい仲良くならないと、彼は本心を話してくれないでしょうなあ」

『イダキナ?』

「『抱く』と『名前』で抱き名ですぞ。人間でいうところの忌み名、もしくは真名でしたかな。天狗や覚が種族名ならば、抱き名は信頼した者にのみ教える個体としての名前ですな」

『天狗さんは、サトさんの抱き名を知っているんですか?』

「それがまだ教えてもらってないのでしてな。……失礼、話が反れましたな。人間にとって妖怪は、その生き方故に行動原理を理解することは難しいでしょうな。あの時の彼をどうとらえるか、吾輩の話を聞いても、冷泉殿の中にはまだ答えがありませぬでしょう。この世界で生きていくとしたら、しばらく考えたほうがよいかと」

 確かに、天狗の話は、冷泉の頭の中を余計に混乱させただけであった。しかし、何について考えたらよいかという点は見えた気がした。

『考えてみます』

「それがいいでしょう。筋肉は時間をかけて育てていくのと同じように、誰かを理解することが考える時間もなしにできるはずもありませんからな。では、吾輩は覚殿を探してきますぞ。そろそろ雨も止みそうですからな……彼女も、心配性ですなあ」

 はっはっは、と短く笑いながら天狗はホームを歩いていく。いつの間にかトタン屋根を叩く雨脚は弱まり、天気雨が過ぎ去ろうとしていることを告げていた。

 くぅ、とお腹が鳴った。

 ……考えるには、まず頭に栄養を送り込まないといけませんね!

 スケッチブックをベンチに置き、冷泉は風呂敷の包みを解いた。狐の店で見た漆の器が包まれており、その中にはまだほんのり暖かいうな重が入っていた。

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