第12話 後・印旛
「冷泉ちゃんの声を盗んだ奴のこと、心当たりがあるよ」
狐は何の前振りもなくそう言った。うな重をあっという間に平らげ、『ごちそうさまでした』と古紙に書いていた冷泉だったが、食い入るように狐へと身を乗り出す。
「声を奪ったのは間違いなく直前に見たっていう妖怪だね。しかも、そいつが冷泉ちゃんに気付かなかったまま声を奪ったのならば、多分それはただの妖怪じゃない。災霊というやつさ」
サイレイ?
聞きなれない単語に首をかしげる冷泉の横で、半分ほど食べ終えたうな重を片手にさとりが口を開いた。
「昔、人間を追い詰めた英雄、とかいう奴らだったか。見たことはないがな」
「そう。覚が言うように、私たち妖怪にとっては英雄さ。冷泉ちゃんにとっては生まれる前の話だろうけど、聞いたことある?」
小さく首を振る冷泉。狐は「それもそっか」と苦笑いをした。
「かつて妖怪と人間が戦い、長い時を経て人間がこの星を去ることになった。でも人間が移住せざるを得ないところまで追い詰めたのは数多の妖怪じゃなくて、たった数体の悪霊だったのさ」
『それがサイレイですか?』
「そう。災害をもたらす霊と書いて災霊さ。まあ名付けたのは人間たちだろうけど、妖怪側もそれで定着したみたいだねえ。あいつらは人間にとっての影響が、それはそれはとんでもない。一体の災霊が町を通り過ぎる。ただ通り過ぎるだけで、そこの住人は老若男女関係なく心が病んでしまうんだとさ。とある町は憎悪で満たされ隣人同士で殺し合い。とある都市は人だけでなくすべての生物が魂を抜かれて人形のようにされた。とある国は空を目指す希望で覆われ、そこらのビルや橋から身を投げて国民全員が転落死さ」
まさに言葉が出ない、といった様子の冷泉。そんなにわかには信じられない、そんな馬鹿げたような存在が人類を衰退させたのか。
「とにかくそいつらは歩く絶望さ。なんせ全世界の人間を半分くらい減らしてしまったもんだからねえ。で、声を盗んだやつについて話を戻すよ。冷泉ちゃんが見たって妖怪は、冷泉ちゃんに気付いた様子はなかったのかい?」
『たぶん、ないです。遠くから見えただけですし、私の方を見てもいなかったです。すごく嫌な気配はありました』
「じゃあほぼ間違いないね。冷泉ちゃんは声が出なくなったと言っても、声帯を引っこ抜かれたわけでもないしね。そもそも近付かずに人間に害をおよぼすなんて、普通の妖怪ができる芸当じゃない」
……通り過ぎるだけで、人は影響を受ける。ということは――
「だからこいつの声を奪ったのは災霊、ってことか」
「十中八九そうだろうね。冷泉ちゃんは通りすがりの災霊に声を奪われた。それが私の予想さ」
「……待て。なぜ災霊はこいつの声を奪う必要があるんだ」
それまでは話半分で聞いていた冷泉も、ハッと意識の背を正す。
理由。そう、それは冷泉が声を奪われた時から、頭の片隅に引っかかっていたことである。冷泉にとっては雲一つない青空から雨に降られたようなもので、自身が何かを奪われるような悪行を積んだり、危険に踏み入った覚えなどなかったのだ。
「さあね。そいつばかりは災霊本人に聞いてみないとね」
えっ。
覚の質問に対する狐の回答は、そよ風のように重さがないものであった。
「さて、どうするんだい?」
どうするって。
「声を求めて山から出てきたんだろう?で、声を盗んだ犯人の見当も付いた。これからどうするかは冷泉ちゃんの気持ち次第さ」
しかし、今、冷泉の頭の中では様々な情報がごった煮のようになっていたのだ。そもそも本当にその災霊が声を奪ったのか確証もない、ただの想像である。しかもそれはかつて人類をこの星から追い出すような存在であり、見つけたとしてもそこから何ができるのか。話を聞く限りではお茶を用意して話し合いで解決、なんてのが通用するとも思えない危険な相手である。
どうするなんて聞かれても、冷泉の答えは決まっていた。
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