古き者たちが信じた女神

 暗い。


 遺跡内部を下へ下へと下ってきた秀介と真琴を取り囲む暗黒は、まるで粘り気を持っているかのような密度であった。


「そこ、崩れかけてるわ。気を付けて」

 真琴の周囲を漂う二つの雷球を照明代わりにしなければ、おそらく一歩も進めなかったろう。


「なあ、空野」

 いつも通り堂々と、しかしいつも以上に注意深く階段を下りていた秀介が、ふと声を上げた。落ち着いたハスキーボイスが狭い通路に反響し、ゆっくりと暗闇の深淵へと消えていく。


「お前、ここは王族の別荘だと言ったが……ただの避暑地にこれほどの地下はいらんだろう。墳墓とかならまだしもよ」

「彼女の偉業を飾るために必要だったのよ。まるで、強欲な皇帝が、ギリシャ神話の神々を並べたみたいにね」

「ということは、この先にあるのは石像かなにかか?」

「石像、ねぇ。いい線ついてるとは思うけど、ちょっと違うわね。多分、石像よりはぜんぜん悪趣味で、ずっとずっと奇跡的なものよ」

「ほう。ずいぶんと期待させてくれるじゃないか」

「浅井くんの度肝を抜けるとは思ってないけどね。でもまあ……興味深いものではあると思うわ」


 やがて階段を下り終えた二人。

 ずいぶんと仰々しい大扉が行く手に立ちはだかっており、秀介の意見は「壊せばいいのか?」だった。


 真琴のチョップがぺシッと秀介の後頭部を叩く。 

「バカ。普通に開くわよ」


 そして大扉に身体を寄せた真琴が、「ちょっと――重い、けどね」全体重をかけて扉を押し開いていった。

 ゴリゴリと床を削りながら、わずかずつ動いていく分厚い扉。


「………………」

 しかし右手を突き出した秀介が「ふんっ」と力を込めれば。


「ぅわわっ!?」

 まるで機械仕掛けであったかのように、あっさりと開け放たれた。

と同時に、突如として支えを失った真琴が地面に突っ伏してしまう。


「おう? 大丈夫か?」

「………………」

「空野?」

「………………」

「空野?」

「……いきなりひどいじゃない」


 上半身を起こした真琴がジト目で睨んできたのは当然のことで。

「悪い悪い。存外に軽かったもんでな」

 秀介の態度に反省の色がなかったのも、いつものこと。


 扉の奥には通路以上の暗闇が立ちこめていた。


 むくりと置き上がった真琴が先行し、その華奢な背中をのんびりと追いかけた秀介。

「ずいぶんと広い部屋なんだな……五〇畳ぐらいはありそうだ」

 卓越した感覚機能とハスキーボイスの反響音で、すぐさま空間のおおよその広さを把握してしまったようだ。


「お疲れ様。ここがゴールよ」

「とは言われても、なにも見えんがな。その――空野の周りを回っている光、もうちょっと増やすことはできんのか?」

「ふふっ♪ それでもいいけど。でも今回は、もっと面白い奇跡を見せてあげるわ」


 そう言った真琴が右手を掲げる。

 青白い雷光に映し出された彼女の横顔は、感情を超越した神々と同じ表情だった。


あたしは天雷と白雲の主――」


 瞬間、大量の電撃が空気を打ち鳴らし――激しい光の点滅と耳をつんざいた轟音に、秀介はまぶたを下ろす。


 ざわめいた空気が落ち着くのを待って、ゆっくりと目を開ければ。

「この派手好きめが……」

 明るさの余りなにも見えなかった。


 ――――――


 真っ白な視界の中、秀介が思わず取った構えは、両手を前方にかざして脇を締める〝前羽の構え〟であった。

 目が慣れてくるまでの数十秒間、全神経を防御と反撃だけに注いだその立ち姿。


「なにやってんの?」

 一足先に視界を取り戻した真琴には苦笑されたが――おそらく今の秀介ならば、飛矢でさえも打ち落とせただろう。


 やがて秀介の構えが解かれ。

「ほう……こいつはすごいな」

 巨漢の喉から感嘆のため息が漏れた。


 およそ芸術に明るいとは思えない超絶朴念仁、美術の成績はいつも赤点ギリギリ、そんな浅井秀介でも――今、我が身を取り囲んでいる美術品の凄まじさぐらいはわかる。


 広い室内を埋め尽くした石像の群れ。

 それは、とある女神の戦いの数々を表現したものだった。


「空野、説明をくれ」


 部屋に充満していたはずの暗闇を全滅させた空野真琴の御業――高い天井を覆い尽くした一面の雷光は彼女の仕業だ。

 雷の厚さは一メートルにも及ぶだろうか。

 神様ならではの武器を蛍光灯代わりにするとは、なんたる贅沢。

 本来ならば、石像よりも光放つ天井に感激しなければならないのだろうが。


「……女の方はすべて同一人物……怪物の方が、全部違うのか」


 不世出の空手家は、同級生神様の異能を華麗に無視して言った。

「この女の鎧、どこか空野のに似てるな」


 石像に近づき、腕組みをしながらまじまじとそれを見やる。

 すぐに気付いた。

 手の届く距離にある彫像――剣を振りかざした彼女がまるで生きているような色艶を有していることに。どう見ても、彩色された石像には見えなかったことに。


 巨大なドラゴンと戦う少女騎士。


 百手巨人の心臓に剣を突き立てる少女騎士。


 骸骨騎士の群れを薙ぎ払う少女騎士。


 ロボットらしき鉄塊に苦戦する少女騎士。


 身体中に角を備えた巨牛を翻弄する少女騎士。


 道化師のような怪人に膝を付く少女騎士――。


 彼女は襟の立った大外套を羽織っており、その下にはやけに露出度の高い鎧を着ていた。そして巨翼を模した特徴的な兜。

 偉業の怪物も少女騎士の装備も、石を削って形作ったものであることは間違いない。


 しかし。

「こいつは死蝋……まさか、永久死体なのか?」

 肝心要の女神像本体には、美少女の死体が用いられていた。特殊な防腐処置を施され、まるで生前のみずみずしさを保ったままの特殊なミイラである。


「なるほどな。これを保管するための地下かよ」


 見れば一三体ある石像のすべてで、女神役の顔が違っていた。つまり、秀介と真琴は今、一三体もの死体に囲まれていることとなる。


「さすがに詳しいわね」

「地球じゃあ、イタリアの〝ロザリア=ロンバルド〟が有名だったが……ここまで変色の少ないもの、そうはないぞ?」

「……凄惨だと思わない?」

「なにがだ?」

「たかが最古のアイギスを賞賛するためだけに、何人もの女の子が殺されたことよ。ここだけじゃないわ。ミーメギーア時代に建造された宮殿や神殿、そのすべての彫像でこの製造法が用いられたの」

「名前は?」

「え?」

「この鎧の女の名前だよ。実在はしたのか?」

「〝全智の光翼〟アニエス=アリア=マルギッド。今から二〇〇〇年前に突如として人間の前に現れた戦乙女。実在はしたかどうかまでは知らないわ。歴史家じゃないもの」

「そうか」


 そして石像を一つ一つ見て回った秀介であるが、「おう?」と、とある石像の前で足を止めた。


 それは戦乙女アニエスと奇妙奇天烈な邪神が戦っている場面だったが……邪神の杖がアニエスの心臓を貫いていた。アニエス役の美少女ミイラは、天空を仰いで恍惚の表情だ。


 すると、最古の戦乙女の最期に興味を持ったらしい秀介に、真琴が声をかける。

「彼女はその戦いで命を落としたわ。深手を負った邪神は姿を隠したけど……いつかまた世界を滅ぼしに現れるんだってさ」

「正義のヒロインのくせして、最後は敗北か。役に立たんな」

「……もしかしたら、あたしが戦うことになるかもね」

「邪神とやらとか?」

「うん」

「そうか。もしもそんな事態になったとして、邪神とるのは俺が地球に帰ってからにしてくれよな」

「あははっ♪ 手を貸してはくれないの?」

「馬鹿を言うな。一介の空手家なんぞが邪神と戦えるか。そうだな、俺が伝説の剣を手に入れたら考えてやるよ」

「ちぇ。相変わらずノリの悪い人。『お前は俺が守ってやる』ぐらい吹いてもバチは当たらないと思うわよ?」

「遠慮しておく。そんなこと言ったら、本当に戦わされそうだ」

「意気地無し」

「その通りだよ。なにも間違っちゃいない」


 そして秀介がもう一度『戦乙女アニエスの最期』をまじまじと見つめた。

 腕組みをして考えたのは――戦い続ける限り、いつの日か空野にもこんな日が来るんだろう。俺には関係ないことだが――である。


 空手家・浅井秀介は、何人も生涯不敗でいられないことを知っている。

 力量・油断・不運・謀略・老い。

 人を敗北へと導く要素など星の数ほどあるのだ。女神となった空野真琴にも、いつの日か死神に追いつかれる日が訪れるだろう。戦い続ける限りは、絶対に。


 そして浅井秀介には、彼女をそんな苛烈な運命から救い出すだけの力がない。空手家では英雄譚の主人公にはなり得ないのだから。


 ふとした拍子に問うた。

「どうして俺をここへ連れてきた?」

「え?」

「お前のことだ。昼飯のついでにこの彫像を見せた理由があるんだろう? わざわざこんなところまで飛んできてよ」

「ああ、それはね――」

 そう言いかけながら秀介に歩み寄った真琴。ドアをノックするような仕草で分厚い胸板をコンコンと叩き、フッと口端を持ち上げた。


「ここにあるのが、この世界そのものだからよ」

「おう?」

「浅井くんは知りたかったんじゃないの? あたしたちが迷い込んだこの世界が、どんな有り様をしているのかを」

「そういえば、そうだったな」

「だったら、それはここにある通り。この世界には数多もの怪物がひしめいていて、地球じゃ考えられない自然現象とかもあって――人間は守護者たるアイギスを生み出すことでそれと戦ってきたの」

「本当に石像ここにあるような怪物がいるのか?」

「ドラゴンはもう見たわよね?」

「ああ。デタラメもいいとこの化け物だった」

「ふふふっ。この世界に地球の生物学者が迷い込んだら、きっと発狂死しちゃうでしょうね。それぐらいこの世界は、怪物たちにおおらかだから」

「俺の常識もぶっ倒れそうだよ。こんな――人間様が食物連鎖の下の方にいる世界」


 そして秀介は石の巨大魚にコツンと拳を当てる。


「まあ、大体はわかった。今後生きている奴と鉢合わせたら、全部お任せするよ」

「浅井くんは戦わないの?」

「俺はまっとうな人間だからな。怪物退治は伝説の勇者様か神様の仕事だろ――」


 と、そこで入口の方に首を振った秀介。


 数瞬遅れて真琴が秀介の反応を追いかける。


 二人の視線の先にいたのは――「……地竜ドラゴン……」――体長一メートルを超えるかどうかという四つ足の幼竜であった。まだ鱗は柔らかそうで、今ならば人間でも狩り殺すことができるだろう。


 いける。

 そう即断した秀介が、真琴の反応を待つことなく動き出した。

 ズッ――空手独特の運足で間合いを潰すと、まったく事態を把握していない幼竜の顔面めがけて下段蹴りを放ったのだ。


 豪ッと渦を巻いた空気と殺気。


「待って!!」

 そんな叫びがなければ、秀介の蹴りは幼い命を確実に蹴り殺していたことだろう。


 秀介の剛脚が幼竜の顔面数センチ手前で急停止。

 遅れて発生した旋風に、幼竜は「きゅう~?」と鳴いた。


 たった一歩のバックステップで真琴の隣に降り立った秀介が、憮然とした顔で問いかける。

「なぜ止めた?」


 真琴はその疑問にすぐには答えることなく、「……そうね……」ゆっくりと幼竜の元まで歩を進めた。


「きゅう?」

 首を傾げる猫とトカゲを足して二で割ったような竜顔。


「それはね、浅井くん。この子が邪竜じゃないからよ。いつの日かこの森の守護者に成長するはずの希有な存在なの」


 ガシャリという音と共に膝を付いた空野真琴が、愛らしいほっぺたにたおやかな指で触れた。そのままコロコロと撫で回し、誇り高き竜の眷属を手際よくなつかせていく。


「ねえ、君――お母さんはどうしたの? あたしたちが珍しくて、こんなところまで付いてきちゃったのかな?」


 まるで無邪気なペットを可愛がるような真琴の後ろ姿を見下ろしながら秀介が言った。

「邪竜とかそうじゃないとか、そんな簡単にわかるものなのか?」

「ん。蒼天の嵐打ちアクトマライトがこの子に触りたがったからね」

「どういうことだ?」

「空、雲、光、風、星、清流、深緑――この二ヶ月間、蒼天の嵐打ちアクトマライトが触れたがったのはそんな綺麗なものばかり。だからきっと……このおチビちゃんもいつかね――あっ、ちょっと――あははっ! くすぐったいってばぁ」


 あっという間に真琴に恋してしまった幼竜。

 竜と呼ぶにはあまりにも頼りない身体で真琴を押し倒すと、彼女の顔をペロペロと舐め回す。ぎゅーうっと頭を胸に押しつける。


 まるで飼い犬に甘えられる美少女の図だ。


 秀介は――やれやれ。当面の危険は無さそうだな――と判断し、本格的に幼竜とじゃれつき始めた真琴に背中を向けた。

 手近にあった彫像を見上げれば、犬耳とフサフサの尻尾を生やした半獣半人の少年に、古代の戦乙女が手を差し伸べている場面である。


 最古の神鎧装着者・アニエス=アリア=マルギッド。

 死してなお生前の色香を称える美少女ミイラに浅井秀介はどこか困ったような笑みを浮かべた。


「やれやれだ。多分あんたも、空野みたいな女だったんだろうな。馬鹿が付くぐらいのお人好しでよ」

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