空飛ぶ空手家

「はあぁ!? それじゃあ、さっきまでセシリアと闘ってたの!?」


 太陽は天高く、つい先ほど正午を迎えたばかり。


 手袋をはめた秀介は真琴の足にぶら下がりながら。

「闘いというより稽古だな。セシリアの奴がどうしても俺に一太刀入れたいと悔しがるから、木の枝を使わせて遊んでやってたんだ」

 眼下に広がる雄大な山並みを眺めていた。


 地上五〇〇メートル。


「ふぅん――」


 浅井秀介と空野真琴のすぐ隣では、大型の猛禽類が空中から獲物を探している。


「浅井くん? 一ついいかな?」

「なんだ?」


 地球から迷い込んだたった二人きりの異邦人。現在は大空を舞い踊る鳥と化して、異世界の涼風を全身で満喫中だった。


「あたしが戻った時、セシリアはもう寝込んでちゃってたけど……ひどいことしてないでしょうね?」

「ひどいことっつーのは?」

「昨日みたく怪我させたりとか。彼女のプライドを傷付けたりとかよ」

「ふむ……プライドはよくわからんがな、怪我はさせていないはずだぞ? セシリアが倒れた理由はアレだ。どうにかして俺に一撃喰らわせようと、脳みそを使いすぎたんだろう」

「なにそれ。知恵熱ってこと?」

「集中力だよ」

「……当たってあげればよかったのに。どうせ木の枝でしょ?」

「お断りだ」

「優しくないわねぇ。余裕のない男の子ってモテないわよ?」

「別にいいさ。どうせ生まれ付きだ。それに――あの女も、手加減なんぞ望んじゃいなかったろうしな」

「そうなの?」

「そんなもんだ」

「ふぅん。面倒な人種なのね、武道家って」


 そして真琴がゆっくり高度を上げていく。


 まずは一〇〇〇メートル。


 次に一二〇〇メートル。


 最後には一五〇〇メートルまで。


 眼下の景色はすでに山間ではなく、広大なるすそ野であった。


 だだっ広い平野を背の高い樹木が覆い尽くしており。

「ほう。絶景だな」

 大いなる緑色は遙か地平線まで続いていた。一見すれば、人類の手は入っていないように見える。


「しかしよ――」

 すでに一〇分以上真琴の足にぶら下がっている秀介が言った。

「散歩にしてはずいぶんな遠出じゃないか? 見せたいものがあると言っていたが……俺はいつまでこうしていればいい?」


 飛行速度を落とすことなく真琴が応えた。

「ん? 疲れてきた?」

「さすがに片手で支え続ければな。一二〇キロの体重を、一〇分も。俺にはお前さんみ たいな不思議パワーはないんだ」

「根性出してよ、男の子でしょ?」

「根性か……あんまり好きな言葉じゃないんだがな……まあいい。落ちたら末代まで恨んでやるだけだ」

 真顔でそんなことを言った秀介。


 真琴の明るい笑い声が青空の只中に響いて、白雲へと消えていく。


「もうちょっとで着くから。そしたら、お昼にしよ♪ あーんしてあげるわ」

「ふーぅ……すっかり子供扱いだな。優しすぎるぜ女神様」


 そして異邦人たちが降り立ったのは、突如として密林の中に現れた――「遺跡か」


 それは、真緑の蔓草に覆われた巨石建造物だった。

 かなりの年代物らしく、大木の根に締め付けられて崩壊した部分も多数ある。それでも一目で広大な庭園とを備えた大宮殿とわかるのだから、かつては相当規模の文明が息づいていたのだろう。


 宮殿の入口らしき場所に立った浅井秀介。「ふむ……」と腕組みをして、じょうそくていで足下の石畳をガスガス蹴りながら問うた。

「ここは?」


 両手に提げていた弁当箱を広げながら真琴が応える。

「ミーメギーア」


「ほう。それが、亡国の名か」


 秀介の黒瞳に映っているのは崩れ落ちた宮殿の上層部だ。まるで、地球の世界遺産であるタージ・マハルを連想させる球形の天蓋。今は半分が欠け落ちて、割れた卵のように見えた。


「どうして知っているのか――って顔ね」

「ああ。異世界歴二ヶ月の地球人にしては、物知りだと思ってな」

「座って。とりあえずお弁当食べましょ?」


 真琴の言葉に従い、秀介が腰を下ろす。

 植物に浸食された遺跡を背もたれにしたのは、密林に潜む猛獣類を警戒してのことであった。空野真琴と蒼天の嵐打ちアクトマライトがいるから戦力は問題ないだろうが、歴戦の空手家は不意打ちの恐ろしさを嫌というほど知っている。万が一、捕食者が真琴の反応速度を上回って襲ってきた場合、自分の身は己で守り抜くしかないのだ。人間の肉体と格闘術で、大自然に立ち向かうしかないのだ。


「ほら、あーんして。おいしいから」


 ホテルが用意した弁当を全展開させた真琴が、秀介の顔にサンドイッチらしき料理を突き付けてきた。


「空野……お前、本格的に俺のことを子供だと思ってるだろ?」

「しょうがないじゃないの。昨晩以来、浅井くんのことが可愛くてしかたなくなっちゃったんだから」

「ったく。本当に変わり者だよな、お前さんは」


 大きくため息を吐いた秀介。注意深く辺りを見回し、物言わぬ植物と虫しかいないことを確認して、真琴の施しに齧り付いた。


「やっぱり小熊ちゃんみたいで可愛いわね♪」

 真琴の秀介弄りはそれで終わり。

 彼女も野菜たっぷりのサンドイッチを口に入れた。

 ゴクリと呑み込んでから、先ほどの話の続きを言葉にする。


「ミーメギーアってのはね。昔々この世界のほとんどを支配してた大帝国。一二機もの神鎧アイギスを保有してた時代もあったみたい」

「ほぅ。そりゃあとんでもないな」

「ここは――多分、王族の別荘かなんかじゃないかな? 王宮があったのは、ここから遙か西方だっていうから。あたしは、行ったことも、見たこともないけど」

「ずいぶんと詳しいじゃないか」

「エオスのところにいた時にね、彼女が面白がって色々教えてくれたのよ。要ること、要らないこと――なにもかもね」

「なるほどな。それで? お前はそれを覚えたのか?」

「七割方は。ほら。あたしって、テストには一夜漬けで挑むタイプだったからさ。土壇場の記憶力には自信あるんだよね」

「ご苦労なことだ――って、ちょっと待て。その肉が挟まってる奴は俺が狙ってたんだぞ?あっ、くそ。逃げるな」


 竹編みの弁当箱を抱えて空中へと舞い上がった真琴を捕まえようと、秀介が手を伸ばした。

 しかし、あと少しというところで届かない。


 とある遺跡の屋根へと降りた真琴は、口の中のサンドイッチを胃袋へと流し込んでから、秀介へと指先を突き付けた。


「浅井くぅん? あなた、食べ過ぎだと思うわ。ちょっとはあたしのことも考えてくれない?」


 あまりにも正当な意見に、秀介が鼻を鳴らす。

「小熊みたいで可愛いって言ったのは、そっちだろうが」

 ブスッとした仏頂面。しかし、どこかイタズラを咎められた少年のような気まずさも混じっていた。


 秀介の手の届かない位置で、サンドイッチにパクつく真琴。

 巨漢の空手家は名残惜しそうに、「限度ってものがあるわよ。あたしだってお腹すいてんだからね」とお怒りの真琴を見上げ。

「それで? そろそろ教えてくれるんだろう? 俺をこんなところに連れてきた理由――」

 手近な大木の幹に拳を入れた。蠅の止まるほどの速度で、だ。


 そして拳頭が硬質な樹皮に触れると同時に、ゆっくりと拳を捻り込む。腕だけを捻ったのではない。上半身すべて――とりわけ背中を中心にして拳に捻りを入れたのだ。

 秀介の鉄拳に巻き込まれて、ベリベリと剥がれていった木の皮。


 すると。

「だ、ダメじゃない……自然破壊、しちゃあ……」

 真琴が、キリストの奇跡でも垣間見てしまったかのような反応を見せた。

 さしもの戦乙女も古流空手の技術には舌を巻いたようだ。


「コホン」とうやうやしく咳払いして、気を取り直す。


 まったく浅井くんってば……なんともない顔して、人間離れしたことするからタチが悪いわね。ホントに人間なのかしら?


 そんなことを思いながら、秀介の隣までジャンプした。

 フワリと羽のように降り立って、「はいこれ。ちょっとはデリカシーも身に付けてよね。将来苦労するわよ?」とまだ半分は残っているであろう弁当箱を秀介に渡す。


 結局甘すぎる空野真琴の態度に、秀介は苦笑だ。

「おう。気を付けよう」

 そう頭を掻きながら、サンドイッチを一つ取り上げ――たったの一口、たったの二噛みで胃袋に入れた。


 持参しておいた水筒で喉を潤してから、一言。

「なんだか知らんが、案内してくれるんだろう? この遺跡を」

 答える真琴は、まばゆい光を放つ雷球を二つ、自身の両肩辺りに召喚して遺跡の入口へと歩を進めた。


「ええ。そろそろ浅井くんにも、この世界がどういう性質ものか見せてあげようと思って」


 ため息を吐いた秀介は。

「ちょっと意味がわからんな」

 しかしなんの迷いを抱くこともなく、遺跡内部へと消えた真琴の背中を追いかけた。


 密林を吹き抜けた風にざわめく木の葉。


 かくして地球で生まれた空手家は、空野真琴とは異なる女神――悠久の果てに死した彼女が遺した意志と出会うことになる。

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