気まぐれの月華

 それは――明るい明るい月夜にて繰り広げられた惨劇。


 ………………………………………………………………………………。


 人気のない街道に、四台の大きな幌馬車が横倒しになっている。


 ………………………………………………………………………………。


 不運の直撃を喰らったのは、山間の都市を目指していた行商の一行だった。


 土の地面に散乱している木箱の中身は、塩漬けにされた生魚で。

「セイリル! ノルフィージ! コルネイト! レイジィ! お前たち一体なにを……!?」

 小高い丘のたもとを沿うように整備された街道は、今や、阿鼻叫喚の様相を呈していた。


 仲間割れ……だろうか。

 なたを握った三人の男と一人の女が、丸腰の面々に襲いかかっている。


 重たい車体を引っ張っていたマユーという馬に似た運搬家畜は、三頭とも首を飛ばされており。


「カ……カミガ……カミノコトバガ……オオセラレルニハ……」


「コロセ、ト……コロセト……」


「アアア……アアアアアアアアアアアアアアアアア……アギル……アギ……アギアギギ」


「ニゲ……オフィーリア……アナレテ……ワタ、カラ……ハナレテ……チカズカナイ……」


 それは、つい先ほどまで手綱を握っていた裏切り者どもの仕業である。


 蛮行の始まりは、あまりにも突然だった。

 ――ガラガラと音を立てる車輪。

 ――小石の多い街道に揺れる幌馬車。

 忠実な運搬家畜たちは、主人たちの命令通りに走っている最中に殺されたのだ。


 数瞬後、バランスを崩した馬車が派手に横転することになる。

 馬車の上にあったすべてのものが投げ出され、それでも死人が出なかったのは奇跡としか言いようがなかった。


 否。

 つい数分前まで家族同然であった者たちに殺されるなら、生き延びてしまったことこそが、最大の不幸といえるだろうか。

 数え切れない擦過傷や幾多の打撲――重大な骨折に軋む身体。


 正常な意識を保っている二人の男、三人の女、一人の少年は、ユラリユラリとおぼつかない足取りで近づいてくる血迷い者どもに凍り付いた表情を向けた。


 蒼い月が妖しく光り続ける中。

 大事故による負傷すらまったく意に介することのない四人が、手にした鉈を振りかざす。


 脚を骨折していた男は、その場から動くことがかなわず、呆気なく元・仲間の暴力の餌食となった。


 結果として――丘上へと逃げ出せたのは、男が一人、女が二人、少年が一人という有様。

 仲間の断末魔を背後に。

「どうしちまったんだ!? 一体なにが起きているんだ!?」

「オフィーリア! 早く来なさい! ミゴゼットもッ、早く!!」

「ミグっ。痛いだろうけど、今は我慢して! 走って! お願いだから走りなさい!」

「わぁあああああああん! おかぁあさあああああん!」

 五人の生存者は、必死に丘を駆け上る。


 しかし。

「とにかくあそこまで逃げ――」

 まず先頭を走っていた男の身体から、頭部が消えた。


「――っ!? カイルぅ!」

 髪の短い女が崩れ落ちようとした男の身体を支えようとして。

「カイ――」

 しかし、真横から突っ込んできた巨大な銀影に、全身を持って行かれた。首なしの男ごとだ。


 そして青草そよぐ丘の中腹に取り残された、一組の母子。

「ゴオオオオオオウウウウウウウルルルルルルルルルルルルルル!!」

 姿を見せない猛獣の雄叫びが轟き、力なき母子は抱き合って震えることしかできなかった。

 救世主が現れるのを待ち望むことしかできなかった。


 その時――ガシャリ

 この場にはふさわしくない鋼鉄の一鳴き。


 おびえた二つの視線が捉えたのは。

「あぅ…………神、さま…………?」

 この蒼月光の内部にあって、赤銅色に光るプレートアーマーだった。


「神様……ぁ」


 とうとう涙をこぼした母親が、突然現れた神なる鎧に、おそるおそる指を伸ばし。

 神を纏いし優男は、驚くほど穏やかな微笑みを浮かべている。


 なかなかに美しい母親。

 やがてその指先が冷たい赤銅鉄に届き――しかし、か細い手首を取り上げた優男の行動は、善神のそれではなかった。


「きゃあっ――」


 乱暴に母親を引き寄せて、一見優しげな微笑みが言う。

「お前たちはアリだね」

「え?」

「目についたからとりあえず踏んでみたけど、なんの気持ちも湧いてこないんだよ。罪悪感も、感動も、感慨も、後悔も、何一つ。やっぱりあの女とは、ぜんぜん違う」

「え――?」

「お前たち人間は、ボクの記憶に残らない。どんなにボク好みのやり方で殺したって、一晩眠ってしまえば、顔がわからなくなる。二晩眠れば、殺してやった記憶さえなくなっている。まるで蟻のようにね。だけど……あの女は、きっと違う」

「――――っ!?」


 その時、母親はめざとく気付いてしまったようだ。


「あの綺麗な女は装着者だから……蒼天の嵐打ちアクトマライトに選ばれた人間だから、きっと違う。あいつと遊べば、感激がある。最高の暇潰しになってくれる。それで、あいつの絶望は、ボクの心に深く刻まれるんだ。意味はないけど」


 目の前にいる神具装着者が如何なる神であるか、について。

 この優男の内部でどんな狂気が燃え盛っているか、について。


 瞬間。

 ――――――――――――――――――――――――――――

 大きな大きな羽音が空を覆い。

 相変わらず姿を見せない猛獣が遠吠えた。


「ミグ逃げてぇえええええええええええええええええええ――!!」

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 まぎれもない悪神が、偽善的な微笑みを崩して、邪悪に笑った。


「……お、かあ……さん…………?」

 なだらかな傾斜に立ちすくむ少年の視界には。

「……お、かあ……さん…………」


 悪神に囚われた美しき母の姿と。


 意志を持たぬ人形がごとく、優男の背後に控えた四人の裏切り者と。


 赤銅色の頭上を飛び交った、赤黒いドラゴンの雄姿と。


 かつて少年を可愛がってくれた女の細腕をバリバリと噛み砕きながら宵闇から出てきた銀色の肉食獣と。


 一粒のおそれも知らぬニヤニヤ笑いがある。


「退屈だなあ。この世界、この人生、この運命……すべてが退屈だ。美しいものが見たい」

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