執念の気配
浅井秀介には友人が少ない。
冗談ではなく、本気でほとんどいない。空手関係者を除けば、一人か二人だろう。
希薄な人間関係の理由は――空手一筋に打ち込んできた人生というのも大きな要因だろうし、周囲を威圧・圧倒するその風貌もやはり関係しているのだろう。
しかしそれ以上に、特徴的なその性格が原因だ。
人嫌いというわけではないのだが、秀介は、自ら他人に関わっていこうということを一切しないのである。
話しかけられれば返事をするが、自分から誰かに話しかけることは滅多にない。
それは、ひとえに、防衛本能に起因したものだった。
周囲と断絶していれば面倒事も舞い込んでこない。
仲間と思っていた人間に後ろから刺されることもない。
己を守り抜く力・技術を他人のために使ってやる余裕などない。
浅井秀介という人間を形作っている根底がそんな感じなのであった。
だからこそ。
「…………よくやる……」
得体の知れない女剣士を部屋に引き入れ、その上、彼女の身の上話まで聞いてやる空野真琴を、秀介は変な女と判断した。
「…………ふ……」
スイートルームの隅で蹴り技の稽古をしながら、空野真琴と女剣士、二人の話を聞いていた。
女剣士はこの町よりはるか西方の出。
名をセシリア=マイゼン=ヴィトオリナと言うらしい。
歳は一七。
十二の頃にあの金髪男に故郷と家族を焼かれ、それからはずっと天涯孤独。
誰かの元に身を寄せたことも、どこかに定住したこともない。
女として身体を売りながら、我流で剣の腕を磨き、アイギスにさえ通用すると噂される武器を探していたと――ずっとずっと復讐の機会をうかがっていたという。
ぽつりぽつりと悲惨な現実を語ったセシリアは、大体の事情を説明し終えた今、ベッドの上でぐったりとうつむいている。
緊張が途切れ、疲れが溢れ始めたのだろう。
「もう、大丈夫だからね」
そんなセシリアをひしっと抱き締めた真琴。
ボフッ――
二人してベッドの上に倒れ込み、それでもなお離さない。
「なんてことよ。あたしたちと同い年じゃない……っ!? なのに身体を売って、復讐に生きてさ。そんな人生ってある……!? そんな、悲しい生き方……!!」
ギリギリと歯を噛む音。
日本の女子高生からすれば、セシリアの歩んできた道は信じられないほど凄惨で、むなしく、腹立たしいものだったらしい。
「はっ、離してくれ! 別にいいんだ。同情なんかいらない」
そうもがいた小さな身体を、「うるさいわね。黙ってハグされてなさい」どうしても離してやることができなかった。
おせっかいとはわかっていても、抱き締めずにはいられなかった。
それが空野真琴の愛情表現であり。
「今だけは……抱っこさせてちょうだい」
空野真琴は、人よりもずっと愛情深い少女である。
見かねた秀介が、「やれやれ。まるで中学生の馴れ合いだな。見ていられん」ほとんど無感情に言った。
「空野よ……あまり人様の人生に入れ込むな。なにもできんし、報われんぞ? 良いも悪いもない。そいつは人生の岐路でそういう選択をしてきただけだ。身体を売ったのも、復讐という自己満足に生きてきたのも、な」
安易な同情を認めない強い言葉。
秀介らしいといえばその通りだが……遠慮のない言葉の数々が、真琴の神経を逆なでしてしまったようだ。
ベッドの上で膝立ちになった美少女は、顔にかかった黒髪をはねのけると同時――部屋の隅で上段回し蹴りの体勢を
「浅井くんっ! あなたって人はどこまで――!?」
しかし侮蔑の言葉よりも速く、なにかが懐から飛び出したために喉が詰まる。
「――自己、満足だとっ――!?」
それはセシリア。
竜の牙からつくったという刀を抜き放ち、ベッドの縁を蹴った女剣士。
「ッ!!」
五メートルもの間合いを飛び越す大跳躍からの片手上段斬り。
右脇を大きく晒した片手大上段の構えから、秀介の脳天めがけて刃を落とそうとした。
「………………」
上段回し蹴りの姿勢から自然体に戻った秀介は、それを真っ向から迎え撃つ格好。
「――チ――」
空手家が放ったのは斜め上への足刀横蹴りだ。
弧を描いて襲いかかってくる白刃に、左足刀――左足の小指側の側面――をぶつけた。
軽い衝撃音が響いた直後――宙を舞い踊ったのは、鮮血でも、秀介の足でもない。
セシリアが握っていた刀である。
切れ味鋭い名刀が、跳ね飛ばされた勢いで天井に突き刺さる。
部屋中を彩っている色布が吹き込んできた涼風に揺れ踊り。
「おう。ドンピシャだったな」
秀介は抱え込んだ左脚をゆっくりと地面に下ろした。
セシリアは苦悶の表情。
「……っなんだ今のは……」
右手を押さえながら、痛みに歯を食いしばっていた。
「まさか……狙ったのか? 私の握りを……」
「まあな。
「そんなっ。一歩間違えば片足をなくすというのにっ。避けようともせず、一撃当ててくるなんて――」
「人間技じゃない、か? 弧を描く斬撃と直線的な横蹴り。お前さんの剣速よりも俺の蹴りの方が速いなら、あとはタイミングだけだ。煮るなり焼くなり好きにできる。まあ、
「…………く……」
「おう? すまん。指でも折れたか? そんなに蹴りこんじゃいないが、確実に剣を飛ばしたかったもんでな。悪かったな――」
と、その時なにかに気付いた秀介が軽く首を回すと。
「めんどぉ起こすなああああああああああああああああああ!!」
真琴の飛び膝蹴りが、顔面めがけて飛んできていた。
秀介はその一撃をたっぷりの余裕をもってかわし――逆に、真琴の襟首を掴まえると。
「がふっ――!?」
彼女を絨毯の上に叩き付けた。
「素人にしちゃいい蹴りだが」
ポツリとそう呟いて……引き絞られた拳が狙うのは、うつ伏せになった真琴の首筋だ。このまま下段突きを落としたならば、簡単に脊髄を潰せるだろう。
浅井秀介。
「………………」
空野真琴。
「………………」
セシリア=マイゼン=ヴィトオリナ。
「………………」
三者の間に流れる長い沈黙。
相変わらずバサバサとうるさくたなびくカーテンと色布。
そして。
「……調子に乗ってんじゃないわよ……」
集中していなければ聞こえていなかったかもしれない、学校のアイドルが発したマジ切れ声。
「――っ」
と同時に、秀介の巨体が本気のバックステップだ。
空中で手形を拳から
攻防一体となったその立ち姿は、まるで口を開いた獅子のようにも見えた。
「…………へえ……」
ゆらりと幽鬼のように立ち上がった空野真琴。
「空手家ってすごいのねぇ。今、マジでお仕置きするつもりだったのに……逃げられたわ」
「ははは。冗談きついな。それを、同級生に使う気かよ」
真琴の左手から電光が飛び、彼女が着ていた服をちぎり燃やした。
そして現れたのは、黒のインナー一枚となった戦乙女。
「来なさい。
真琴がいつになく冷たい声でそう呟いた途端――ベッドに置かれていた有翼の鎧が跳ね上がり、宙を舞い、空野真琴へと飛びかかった。
そのまま、魅力的な四肢にしがみつく。
「……おいおい……冗談じゃないぞ……」
あっという間に紫電を散らす戦闘天使の降臨である。
「セシリア……少し下がっててくれる? 今、この冷血漢に鉄槌喰らわすからさ」
「……本気か?」
「本気よ。あたしにだって堪忍袋ってのがあってね、デリカシーのない言葉にカッチンくることもあるのよ。その性根、叩き直してあげるから、そこから動かないで」
「……加減はできんぞ」
「はんっ! 空手家ふぜいが笑わせてくれるわね。もしかして抵抗する気? あたしもう普通の女子高生じゃないわよ」
「戦いの女神……とはいっても、なりたてのルーキーだろう? 二ヶ月程度で全能気取りとは、気が早いんじゃないか?」
じりっと秀介がわずかに間を詰めた。真琴はそれに気付かなかったようだ。
「今さらだけどな……空手をレクチャーしてやるよ」
秀介の歩幅で四歩半――この距離なら十分突ける。秀介にはその自信があった。
胸中に秘めた技は〝飛び込み突き〟。
浅井秀介が持つ攻撃手段の中で、最長射程を持つ手技である。
真琴の綺麗な顔を撃ち抜くのは少しばかり気が引けたが、一撃で昏倒させねば後がないのだ。
だが。
「…………いや、違うな……」
不意に――秀介が構えを解いた。
両腕を下ろし、「違うよな。どう考えても悪いのは俺だったし。手向かうのは、筋違いだ」無防備な形で真琴に歩み寄る。
真琴は一瞬だけ驚いたような顔をした後、相好を崩した。やわらかい笑顔を作ったのだ。
「ありゃ? もっと強情なのかと思ってたけど、殊勝じゃん」
「別に。神様に拳向けるよりは、おとなしく罰を受けて、同級生の慈悲にすがった方が安全だって判断しただけだ。それ以上はないよ」
「…………ふぅん…………っ――――」
そして室内に響いた快音。
真琴の手の平が、思いっきり秀介の頬を叩いたのだ。
秀介の太い首は戦女神のビンタでは少しも揺るがず、ダメージといったダメージはなかった。多少、頬がヒリヒリするぐらいだ。
真琴が腰に手を当てながら言った。
「お風呂が沸いてるわ。いい加減、ひげ剃ってきなさい。セシリアの手当てはあたしがしとくからさ」
「いいのか? 今の一発で?」
「なによ? もう一回喰らいたいの? 浅井くんがお望みなら、次は
「いや、いい。勘弁してくれ」
そして風呂へ向けて歩き出した秀介は、おもむろに上着を脱ぎ捨て……真琴とその後ろに控えていたセシリアを軽く一瞥した。
セシリアは、鍛え抜かれた秀介の上半身に口をパクパクさせており。
真琴は、美麗なる戦闘姿のまま、綺麗なモデル立ち。肩に掛かった黒髪をふわりとたなびかせた。顎をしゃくって秀介に入浴をうながす。
秀介が苦笑しながら言った。
「本当に優しいよな、お前さんは」
そしてぶ厚い背中が、天井から垂れ下がった幾多の色布の向こうに消える。
「さて、次はあなたの怪我をどうにかしなくちゃね――」
残された真琴がセシリアに振り向こうとした瞬間だ。
――カラン
彼女の右手から、手甲が落ちた。まったくのひとりでに、である。
突然の異変に真琴の瞳孔が開き――右手にはいまだ、秀介を叩いた瞬間の衝撃が残っていた。
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