蒼き鋼の涙
世の中、不公平だと思った。
町の中心にある公園に降り立った空野真琴に浴びさせられたのは万雷の拍手喝采、そして大歓迎の言葉。あてがわれた宿さえも町一番のものだった。
彼女は集まってきた町の人間に二・三言、言葉を与えると、「現人神ってのも案外疲れるわ」などと秀介にしか聞こえぬ声でぼやき、さっさと宿に引っ込んでしまう。
秀介は初め、無言で真琴のそばに付き添っていたが。
「まるで英雄だな。なにかやったのか?」
石造りの大宮殿――そのスイートルームの扉を閉めたところで、真琴に問いかけた。
「別に。ただ昨日、さっきの公園に巣を作ろうとしていた竜を退治しただけよ」
「ふん。退治しただけ、ね……」
まるで皇帝の私室のような一室。
天井からは幾多の色布が垂れ下がり、本来無機質なはずの石室を様々な色に彩っている。床一面に敷き詰めた黒絨毯は厚く、やわらかく、そこらのベッドよりもよほど寝心地が良さそうだった。
大きく開いた窓からは、山麓に築かれた大都市を一望できる。
「それ以来、聖人扱いを受けてるの。やれ祈らせてくれだの、やれ神託をくれだの。女子高生にそんな重いこと言ってんじゃねえって感じよね」
部屋には、キングサイズのベッドが二つがあって。
「第一、そういうの……ガラじゃないし」
その手前側、きっちりと整えられたシーツの上に翼を象った兜と青い手甲が置かれた。蒼天の嵐打ち――アクトマライト――の一部である。
「大胆だな。ここで脱ぐのか?」
「……言っとくけど、インナーは着てるからね。裸なんてもう二度と見せないわ」
「根に持つ女め。あれは事故だぞ」
「事故でも何でも、あたしにとってはショックなことだったの。」
カチャリカチャリと鎧が一枚ずつ外され、「そりゃあ――浅井くんは、ウブだって笑うかもしれないけれど――」最後に現れたのはスポーツブラ風の上衣とホットパンツ風の下衣を美少女だった。
「水、浴びてくる」
そう言って、色とりどりの長布の向こうに消えた真琴。
一人になった秀介は、バラバラになったアクトマライトのすぐそばに腰かけて、膝の上で頬杖をつく。
そして。
「……異世界か」
やがて聞こえ始めた水音に耳を澄ました。
地球ではない異世界に迷い込んでしまったこと、それはすでに心の底から実感している。どうしたら元の世界に帰れるか、それは今は考えないことにした。
あの女のそばにいる限り、食うに困ることはなさそうだが……。
生き抜くため、まずはこの世界の有り様を知ることが肝要だろう。
自然環境――
息づく動植物――
人間文化――
そして、あのアイギスとか言うふざけた具足について。
「お前さんがいなきゃあ……事はもっと単純だったんだがな」
そうぼやきながら、隣に置かれている鎧に手を伸ばした。
――つぅ。
ぶ厚い指先が丁寧に磨かれた蒼鉄の表面に触れた途端。
「アクトマライト!?」
真琴があわただしく風呂からあがってきた。
どたばたと、水がしたたるのもおかまいなしだ。
「浅井くん! なにしてるの!?」
驚いた秀介がベッドから立ち上がる中、真琴はアクトマライトを掻き集め、その蒼き甲冑すべてを胸の中に抱きこもうとした。
秀介は意味がわからない。
「なにしてるって……さわった――いや、触れただけだぜ?」
「嘘言わないで! それだけでアクトマライトがこんなにおびえるわけがないでしょう!?」
丸裸である。
少しも身体を拭いてこなかったのだろう。真っ白な柔肌には水滴が浮き、濡れた黒髪が黒曜石のごとく光り輝いていた。
「意味がわからんよ。鎧がおびえるって、どうかしたのか? 傷一つ付けちゃいないぞ?」
「そういう問題じゃないのよ。あなたには聞こえないだろうけど、あたしの頭の中じゃあ、この子、すっごい泣いてんだって」
「はあ? まさかそれがアイギスの意識って奴か。聞けるのは鎧を着れる人間だけと?」
コクリとうなずいた真琴。
もはや秀介には向いておらず、アクトマライトをあやすのに必死だった。
「ごめんね。いきなりさわられてビックリしちゃったんだよね? こわがらないで。こわくないよ。このお兄ちゃんはあたしの友達だ。アクトマライトにいじわるしたわけじゃないんだよ」
撫でてやったり、ひたいを寄せてやったり。
鋼鉄の鎧相手に端から見れば変人だが、本人はいたって本気そうだ。
「……解せん……」
真琴だけに聞こえているという泣き声がかなりうるさいのだろう。眉をひそめ、時おり右耳を押さえている。
「……そろそろ落ち着いたか?」
「ちょっと待って。今ぐずってるとこ」
「そうか。意思を持つ鎧というのも面倒なもんだな」
「生まれたばかりだもの、手がかかるのはしょうがないわ。かわいいものよ」
「はは。その言葉、まるで聖母だな。しかし親が必要な鎧とは――この世界もヘンテコな代物を造ってくれたもんだ」
と、そこで秀介が真琴にシーツをかぶせた。
「とにかくわるかった。もう二度とさわったりしない。別にその鎧に何かしようとしたわけじゃないんだ。それに、お前の『まっぱ』を見ようとも、な」
瞬間、真琴の背中がビクンッと跳ね上がる。
ようやく泣きやんだらしいアクトマライトをベッドに下ろすと――
「またか! このエロ野郎!」
シーツにくるまりながら、秀介に牙を剥いた。
秀介の胸板に指を突き付け、「また! また見たわね! あたしの裸! いいかげんお金払いなさいよ! ただ見してんじゃないわ!」といきおいよく猛る。
一方の秀介は、「言いがかりだよ。裸の安売りをしてんのはそっちだろうに。勝手に見せておいてよく言うぜ」などと素知らぬ顔。
「うっさい!! 少しは目を離したらどうなのよ!!」
そう叫んだ真琴が反射的に繰り出した金的蹴り。
蹴りあがってきた真琴の足を左手でしっかり押さえた秀介は、「と言われてもな。『観察』は武術家の性だからな。修練の結果、染み付いた習性だよ」と苦笑した。
そして。
「……くぅっ」
蹴りを引いた真琴は、ダッシュで風呂場へと戻っていく。まるで王様のマントのように、ズルズルとシーツを引きずりながら、だ。
「だったら忘れなさい!! いい!? 今見たもの! 全部よ!」
「やれ。そいつはなかなかの無理難題だ」
「それとっ! お昼食べに行くからっ、用意しといてよ!?」
「おう?」
「ご・は・ん! どうせたいしたもの食べてないんでしょう? ごちそうしてあげるわよ!」
真琴は今も目をつり上げている。そんな怒りの最中に現れた優しさだ。
「そいつは、おごってくれるってことか?」
「当たり前でしょ。無一文の野人のくせに、妙な勘ぐりしてんじゃないわよ」
腹に手をやった秀介は、異世界に来てからの食事を思い出し。
そういえば干し肉と雑草しか食ってなかったな……いや、あのクマみたいな獣も食ったけど。
そう苦笑した。
まともな食事など、想像しただけでよだれが出てきた。
「はははっ。意外とお優しいじゃないか」
「ただし、お店はあたしが決めるわよ。あなたに任せたら、絶対胃もたれしそうだもの」
「いいさ。ちゃんと火の通ってるものが食えるなら、なんでもいい」
「ふん……ずいぶんな二ヶ月だったみたいね」
「そんなものさ。俺なんてしょせん脇役。ヒエラルキーの最下層。伝説の鎧に選ばれた勇者様とは比べるべくもない」
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