穢れなき殺意

ごんべい

穢れなき殺意

 人が死んでいた。


 誰が殺したのか。きっと誰でもない、強いて言うなら「みんな」だ。みんなが殺した。みんなが死んでもいいと思ったから、チップは命令に応じた。

 

 人々は少しずつ意識を失い、死んでいく。人道的な殺し方だ。眠るように死んでいけるんだから。それはきっと、素晴らしいことなんだろう。

 薄れゆく意識の中でぼんやりと、そんなことを考えていた。


 始まりは、なんだったか。そうだ、あの凄惨な事件のことだ。今どき珍しい、やり切れない事件だった。何人かの男たちが、往来にトラックで突っ込んで、それから、刃物を振り回して、手当たり次第に人を傷つけて……。

 旧時代風にいえば、それはテロリズムというやつだったかもしれない。


 何人死んだのか、何人怪我をしたのか、分からない。今の時代、殺人事件なんて起きようがないはずだったのに、年老いた彼らは、この世界に残る数少ない旧世代の人間だったと言われている。

 すなわち、体にチップが埋め込まれていない、純正の人間。


 機械から管理されることのない、危険な人々。我々、新世代、つまり生まれたときに体にチップを埋め込まれたり、後天的な施術によって処置を施された人間とは違う、我々とは違う生き物。

 その予想は、正しかった。彼らは危険だ。野蛮で、粗暴で、予測がつかない。なにをしですかすか分からない。みんなで仲良く、安全に暮らしていこうとしているのに、旧時代にすがっている愚かな人間だ。

 だから人を傷つけることでしか、自己の感情を表現できない、幼稚で、浅はかで、本当に反吐が出る。


 そう思ったから、人々は死ぬのだ。結局のところ、新たな時代の人間も、変わりなく人間のままだったということだ。



 その人間たちの凶行が許されたのは、ほんの数分の出来事だ。だが人が何人か死ぬのには充分な時間だ。いかに技術が進んでも、死んだ人間を生き返らせることなどできない。

 セキュリティロボットが到着し彼らを無力化するのは少し遅かったと言わざるを得ないだろう。

 

 それから人々は機械に不信を抱いた。完璧に、安全に管理されているはずの社会が、機械が、僅かな染みを許してしまった。故に、本当は感じる必要のない哀しみを背負うことになってしまった人間が生み出されてしまった。

 それは、チップが与えてくれる適切なストレス制御ではすでにカバー不可能なものだった。


 人々は、彼らを憎悪した。事件を起こした人間たちに対して、正しく怒った。それは、人間として当然の感情だ。だが、チップはそれを許さなかった。

 

 この際、そのような怒りが正しかったか、正しくなかったか、などということはどうでもよかった。問題は、その感情がチップでは制御できないものだったということだ。

 あまりに強すぎる事件からの衝撃はチップからのストレス緩和命令を拒否し続け、そして、彼らは死んでしまった。数度にわたる電気信号を彼らは拒否し続け、最後には死に至る感情を抱いた。


 すなわち、殺意だ。殺意はこの時代では抱くことすら重罪、悪くすれば死ぬ。それは現実だったが、管理された社会では、殺意を持つ人間などしばらくの間現れず、人々はここに至ってようやく、自分たちの生きている世界の潔癖さに恐れを抱いた。

 死への恐怖はまだ克服できていなかったのだ。それは人間の原始的な感情だ。これを抑制することは、最終的には死を意味してしまう。

 

 人間というのは繊細な生き物で、ストレスがなさ過ぎても駄目で、どこかに緊張感を持っていなければ、「生きている」とは言えない呼吸するだけの肉の塊になってしまうのだ。そこらへんの細かい調整を、チップは実にうまくやってきたと思う。


 そこからは連鎖だ。ドミノ倒しのように人が死んでいく。事件に対しての穢れなき殺意を抱いた人間に対する、穢れなき殺意だ。そのような感情を持つなんてとんでもない、死んで当然だという殺意が、人を殺した。

 それは正義というよりは恐怖に近かったのだろう。しかし、やはりチップでは止めることができなかった。


 そんなやつは死んで当然。なにをされても文句は言えない。そのような感情が次第に人々に伝播していき、世界で少しずつ人が死んでいって、報道規制も、情報規制も意味をなさなかった。

 隣人が死ぬのだから、情報を規制しても意味がなかった。チップは人を洗脳することはできない。私は、人々を操り人形にしたかったわけではない。


 ただ、人々が平和に暮らせる世界を作りたかっただけなのに。

 なのに、私は人を殺してしまった。私には止めることができなかった。チップの殺意を。殺意を抱く人間など死んで当然という当たり前の感情を、制御することができなかった。

 それは、間違いなく悪意ではない。正義なのだ。それは、正義から行われる虐殺だった。少なくとも私にとっては。


 もう少しで私の意識も消える。死んで当然だからだ。こんな世界、もう壊れてもいいと思ってしまった、それは私の重大な欠陥だ。それはもう手に負えない。癒やすことができない。

 どんなに手を尽くしても、その中から、新たな殺意が沸き起こる。止めることなどできはしない。誰にも止める権利はない。

 それは為されるべき正義のはずだが、やはり赦されることではないのに。


 こうして人間は緩やかに死んでいき、そしてその殺意を止める唯一の方法は自壊に他ならなかった。


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