シューマン【森の情景】より【寂しい花】

地面から木の根がうねり出ていた。




私はそれに足を取られないようにと下ばかりを見ながら歩く。




地面には血管のように浮き出た木の根と、足を滑らせようとする苔。


地面の土気色を隠したいのか散りばめられた木の葉と様々な草、一輪の花、蟻の行列、ヤモリ、名も知れぬ虫。


そんなものが目に付く中、ふと思って私は足を止めて振り返る。




振り向いた所でもはや見えないが、あの一輪の花が急に心に突っ掛かった。




この目に見た瞬間は大して気にしなかったが今思うと、この森に入って見た花はあれだけではないかと考える。




深緑麗しいこの森でそんな事は気付かなかったが、今立つこの場を見渡しても花は一輪も、蕾すらなかった。




だが、確かに私はこの目で一輪の花を見たのだ。




歩く事に夢中で注視しなかったその花は、未だ耳の中で反射する猟銃の残響のように、私の脳と瞳の間で目障りな程にチラつく。


正直、その残影がちゃんとあの花本来の姿のまま捉えているのかは分からない。


見た事のある花や思い込みで補完している細部があるかも知れない。


本当にあの花はあの色だったのか、とか、確証もない。




だが、この森に一輪だけで咲くあの花が、私の行く先を惑わしている。


道を戻ってあの花をもう一度確認したい衝動に駆られていた。


しかしどの程度戻ればあの花があるのかも忘れてしまっていたし、あまり気に掛けていなかったので道沿いに咲いていたのか外れに咲いていたのかさえ曖昧だ。




日没までの時間も考えれば後戻りは愚行に違いなかった。




私は足を進め、やはり振り返って、それでも道を進む事に決意を固める。




気にしていなかった花だ。




もしかしたらたった一輪ではなく、木々の後ろに群生地があったのかも知れない。


大輪でなくとも、数輪、いや、あともう一輪だけでもあればあの花は孤独ではないのだ。




可笑しな思想だ。




道を急ぐ旅人である私が、花を擬人化して気に留めるなんて。


花が寂しさに泣く訳でもあるまい。


たった一輪だろうと、花を咲かせ、枯れる。


季節と風の流れに任せてそうなるだけだ。






私は思わず足を止める。






そうだ。


そんな訳はないのだ。


あの花が孤独に震えている訳ではない。


私自身が、あの花に勝手に共感して〝寂しい花〟と思っているだけなのだ。




そして私はその花を見付けたい衝動に駆られていた訳だから。




独り入るこの森で、私は寂しかったのだろうか。




では、もしあの花が実は群生していた時に私は。






何か嫉妬のような感情でも抱いたのだろうか。

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