第5話 師匠との再会

 謁見の間を出ると、すぐ近くに兵士だかりができていた。

 どうやら誰かを取り巻いているようだ。なんとなく浮ついた兵士の雰囲気から察するに、真ん中に貴族の美姫でもいるのかもしれない。


 それを横目に見ながら父上の従者を探す。

 扉の外に控えているという話だったけれど、それらしい人間は見当たらなかった。もしかするとあの取り巻きに参加しているんだろうか?


 私は少し呆れた気分で、その集団の中からサラントの制服を着た者を探した。……うーん、でも王宮の衛兵ばっかりだなあ。

 他に手がかりもないので集団を観察していると、会話の内容も聞こえてくる。


「教官、すぐにお戻りになってしまうんですか?」

「久しぶりに稽古をつけていただきたかったのに」

「ああ……教官は居てくれるだけで俺たちの癒やしなのになあ……」


 あれ、どうも中心にいるのは美姫ではないようだ。だとすると美人教官か何かなのか? ずいぶん慕われているっぽい。

 アイネルの軍に所属する女性なら、私も是非あいさつをしておきたいけれど……。


 しかし次に聞こえた声で、その想像は覆された。


「ごめんな、来月また修練の指導に来るから。今日はとても大事な用事があるんだ」


 教官とやらの声は、穏やかそうな大人の男性の声音だった。

 ……それも、どこかで聞いたことがあるような……。

 いやいや、まさか。あの人は、私が知る限りこんな柔和な科白を吐くようなタイプではない。厳しい声で「甘ったれるな」と一喝されるのがオチだ。


 頭で否定しつつも、私は大柄な衛兵に囲まれたその人物に意識を向けた。


「ほらみんな、俺なんかに構ってないで早く持ち場に戻りなさい。イオリス殿下に見つかったら大変だぞ?」

「……わかりました。教官、お帰りの道中お気を付けて」

「また衛兵詰め所に来て下さいね」


 教官にたしなめられて、衛兵が名残惜しそうに一人二人と去って行く。そこでようやく、人垣にできた隙間からその人物の姿をとらえた私は、驚きに三度見した。

 ……マジで?


 周囲のゴツい衛兵に比べるとだいぶ細身の身体。

 身長はそれほど高くないけれど、美しい姿勢の立ち姿は存在感があった。色素の薄い茶色みがかったさらさらの髪も、昔のようにきれいに整えられている。

 少し歳を食ったくらいで間違うはずがない。


「……師匠?」


 おそるおそる声を掛けると、それに気がついた師匠がぱあと破顔して、こちらに愛想良く微笑んだ。


「ああ、美由! 久しぶりだな! ずいぶん大きくなったなあ」


 ……ええと、どなたさんですか? いや、顔は明らかに師匠なんだけど、人格がまるで変わっている。向こうにいたときは師匠の笑顔なんてほぼ見たことがなかったし、雰囲気も刺々しくて施設の子供以外には超塩対応だったはず、なのに。


 それが、今の彼の周りにはふわふわと小花が飛んで見える。

 ……なんだろう、まだ周囲に残っていた衛兵たちが、その笑顔を目の当たりにしてキュンキュンしてるみたいなんですけど。


 しかし当の師匠は気付いていないようで、さらりと彼らの輪から抜け出してこちらに歩いてきた。


「出てきたのに気づかなくて悪かった。王宮の衛兵はみんな修練に熱心で、ここに来るといつも囲まれてしまうんだ」


 いや、あれは修練云々でなく単に師匠が目当てだと思うけれど、まあそれはこの際どうでもいい。それよりもこのほにゃほにゃと笑っている師匠の方がメガトン級の衝撃だ。歳を経て丸くなったというレベルじゃないぞ、コレ。


「し、師匠、こっちに来て何があったんですか!?」

「ん? 何って言われてもなあ……それを一言で言うのは難しいかな。それよりも今は美由のことをダン様が待っている。俺との話はサラントに帰ってからにしよう? 美由が昔好きだったクッキーも焼いてあるんだ」


 微笑みをたたえ、軽く小首を傾げて言う師匠に、くらくらする。

 今のこの人、確かもう三十を超えてるはずだよな……。鍛えてるおかげで歳より若く見えるとはいえ、何でこんなにクソ可愛くなってるの……? なんか甘くて良い匂いするし……!


「……父上の従者って、師匠のことだったんですか……」

「うん。向こうで美由に武道を教えていた縁で、ダン様が拾ってくれたんだ。今俺はサラントの練兵を担当してる。時々王都やあちこちの街に呼ばれて、剣士の教育係もしてるよ」


 今師匠が着ているのはサラントの上級ソードマンの制服だった。タイトな作りのそれは細身の身体によく似合っている。制服の上衣の裾は長めで動くたびにひらひらと揺れ、そして袖口は少し広く作られていて、手首に着いている腕輪がちらちらと見え隠れしていた。


 硬派だった師匠が腕輪なんかを着けているのがすごい違和感だ。

 本当に、一体何があってこんなことになっているのだろう。


「じゃあ美由、俺についてきてくれ。来賓室にいるダン様のところに案内するから」

「あ、うん」


 多大なる違和感を抱えつつも、私は歩き出した師匠に従った。廊下を進み、階段を下り、王宮とつながる迎賓の棟に向かう。

 ……その道すがら、すれ違う衛兵や騎士が一人も余さず師匠にあいさつをしてくるのは何なのだ。


 そんな中、私に声を掛けてくる者もいる。十中八九、「神の御印」目当ての貴族かその関係者だ。

 すると私が何かを対応する前に師匠がするりと間に入って、やんわりと彼らを追い払ってくれた。

 何だこの頼れる男。昔だったら間違いなく力尽くだったぞ。


「美由は『神の御印』っていう力を持ってるんだってな。ダン様から聞いたよ。お前は容姿も良いから、いろんな奴からモテて大変だなあ。誰もが欲しがるヒロインだもんな」

「そういう輩に言い寄られるのが嫌で、私は向こうの世界で師匠に稽古を付けてもらってたのよ。師匠がいなくなってからの五年間もだいぶ修行したわ」

「うん。筋肉の付き方と身のこなしでわかる。強くなったな」


 にこりと笑った師匠は本当に嬉しそうだ。弟子の成長を喜んでくれているのだろう。……それにしてもこの笑顔に慣れない。可愛い上に、おっさんだからこそにじみ出る大人の色香みたいなものが……。


「……師匠、もしかしてこっちで結婚でもした?」

「結婚? はは、まさか。昔から俺は女の子に全然モテないからな」


 この色気はもしやと思ったけれど、違うようだ。

 しかし、言っておくが師匠は決してモテないわけではない。ただ女の子からのアプローチに全く鈍感な上に、昔は刺々しい雰囲気で話しかけづらかっただけだ。実際子供だった私に接触してきて、彼に紹介して欲しいという女性は何人かいた。


 ただ紹介したものの、師匠に取り付く島がなく、そのまま女性が消えていっただけの話だった。


 今の師匠なら取り付く島はありそうだけど、全然モテないなどと言ってるあたり、未だにそっち方面は鈍感なのだろう。

 まあ、ゆくゆく師匠を向こうの世界に帰してあげることを考えたら、こちらでそういう相手を作らない方が後腐れがないかもしれない。




 ……そんなことを考えながら師匠の後ろをついて歩いていた私は、この世界に置かれた彼の状況を、まだ全然分かっていなかったのだ。


 その一片が垣間見えたのは、父上のいる来賓室の扉の前で、イオリス殿下と会った時だった。

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