第4話 王子イオリス
謁見の間には、玉座に通じる通路を挟んで両脇に多くの貴族や領主が立ち並んでいた。『神の御印』を持った私を見に来たのだろう、全く物好きな。
そして通路の先、数段の階の上の玉座にはアイネル国王が座っていて、さらにその隣には体躯の優れた厳めしい雰囲気の若い男が立っていた。
……王子のイオリスだ。十年前の面影がある。
正直彼は、私がこちらの世界で一番会いたくない人間だった。だって昔の印象が悪すぎる。
当時十二歳だった王子は、いっそ清々しいほどに『神の御印』の力目当てに、八歳の私に脅しまがいの求婚をしていたのだ。
まあ、さすがにこの歳になったら、そこまであからさまなことはしないだろうけれど。
こちらを見下ろすイオリスに、少し警戒心を持ったままアイネル王の階下に立つ。
先導していたジョゼが役目を終えて脇に退いたところで、私はドレスのすそをつまんで軽く持ち上げ、一歩下がってお辞儀をした。
大丈夫、十年のブランクがあるとはいえ、この手のマナーは幼い頃にたたき込まれたから、一応覚えている。
私が四つ数えて視線を上げると、国王は気さくに声を掛けてきた。
「よくぞ戻ってきた、ミュリカ。お前が帰ってくるのを待っていたぞ。ダンもようやく可愛い一人娘が戻って、一安心だろう」
ダンとは私の父親の名前だ。アイネル王と父上は歳が近いせいか、話が合うようで昔から仲がいい。おかげで私も王と会う機会が多く、可愛がってもらっていたこともあって、彼の前ではそれほど緊張しない。
私は自然に微笑んだ。
「私のような一介の領主の娘を気に掛けていただいて、ありがとうございます。異世界ではいろいろな経験をして参りました。これからはその知識を活かして、アイネル発展のお役に立ちたいと思います」
「うむ、聡明な娘に成長したな。それに凜々しく美しくなった。年頃も申し分ない。なあ? イオリス。お前もそう思わないか」
うわっ。待て、なんでそこで王子に話を振る。
そもそも私が向こうの世界に逃げたのは、他の強引な求婚をする諸侯もさることながら、手段を選ばないイオリスから離れるためだったのに。
当時の王子の行動は実父のアイネル王でも制することができず、異世界転移は国王の勧めもあってのことだったのだ。
それなのに、成長して落ち着いたから改めて、ってこと?
いくら王子とはいえ、『神の御印』目当てのクソ男なんて願い下げなんですけど!
内心で悪態を吐きながらイオリスの様子を伺う。すると彼は仏頂面で以前とは全く違う反応を示した。
「別にその辺にいる普通の小娘だろう。そんなに気に入ったのなら『神の御印』付きだし、男やもめの父上が娶ったらいい」
「……お前なあ……」
「俺は今更こんな色気のない小娘に興味はない」
おお、アイネル王は彼の素っ気ない対応に落胆しているが、これはまさかのいい展開。
帰ってきて最初にボコるのが王子になったら大変だと思っていたけれど、その心配はないみたいだ。
「すまぬ、ミュリカ。イオリスは口が悪くて……」
「いえ、国王陛下。全っ然気になさらないで下さい。イオリス殿下には私なんかより、きっともっとお似合いの方がいらっしゃいますわ」
というか、こんな威圧的で高慢な男は、こちらから願い下げですから。
正直イオリスの相手なんて、よほど理解があって我慢強く心の広い女神のような大人でないと務まらないと思う。
それ以前に、周囲を見下すこの男がそんな人間を必要とするとは思えないけれど。
「まあ、そういうのは抜きにしても、これからは王子とも仲良くしてくれると嬉しい。最近は良い師がついて、昔のように暴走することもなくなったしな。今は隣国との小競り合いが増えてきているから、『神の御印』の力も頼りにしているんだ。是非力を貸してくれ」
「もちろん、アイネルのために尽力させていただきますわ」
それと王子と仲良くできるかは別の話ですが。
顔には出さず、内心だけで補足を入れる。
「うむ。……異世界から戻ったばかりだというのに、呼びつけて悪かったな。しかしこれでミュリカが帰ったことを皆が知るだろう。『神の御印』の恩恵が戻ったと知れば、国の士気も上がる」
なるほど、諸侯を集めてここに私を呼びつけた一番の理由は、情勢不安を払拭し、士気を上げるためか。隣国との関係が悪いのなら、少しでも安定材料が欲しいのも頷ける。
昔から私もそういうことが自分の役割の一部だと理解しているから、特に問題ない。
諸侯の前でアイネル王に忠誠を述べることが、この場での私の仕事なのだ。
「向こうの世界では十分な修行をして参りました。戦力としても陛下のご期待に添えると思います」
「それは頼もしい。ダンも心強いな」
「……父上、話はその辺にして、もうそろそろその小娘をダンに返してやったらどうだ。俺も暇ではないんだが」
不意に、横からイオリスがイラついた様子で口を挟んできた。
小娘と言うけれど、あんたと四つしか違わないんだけど……。
でも役目は果たしたし、王子の言うとおりそろそろ終わりにして欲しい。私はこの後、師匠を探しに行かなくてはいけないのだ。
「おっと、そうだな、ダンも首を長くして待っているだろう。あいつもここに来ればいいものを、会ったら号泣しそうだからと来賓室でお前を待っている」
「……父上がいないと思ったら、そういうことですか」
私は思わず苦笑した。
父のダンは見た目は熊のような大男なのだが、昔から存外寂しがり屋で涙もろい人だった。アイネル王同様、私が小さい頃に妻を亡くしているせいもあるだろう。それなのに一人娘を手元から放さざるを得なかったのだから、今日の感慨もひとしおに違いなかった。
ちなみに私は見た目も性格も母親似だ。この姿を見た父がさらに号泣するのは想像に難くない。
「案内に従者を一人遣わすと言っていたから、扉の外でサラントの人間が控えているはずだ。王宮内はその者に案内してもらうといい」
「はい。ありがとうございます、陛下」
案内が父上の従者なら融通が利きそうだ。
今聞いた様子からすると、父上に会った後は長くなりそうだし、先に師匠を探したい。
ここでアイネル王に師匠のことを聞くことができれば早いのだが、こちらの人間が出戻ってくるのと違って、異世界人の来訪は諸侯に隠されている可能性がある。彼の名前を不用意にここで出すわけにはいかなかった。
とにもかくにも、あれから五年。これでようやくお世話になった師匠を救い出し、向こうの世界に帰る手はずを整えてあげられる。
私はその使命を胸に抱きながら、謁見の間を退室した。
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