第10話
「あ……え、何で……?」
僕は言葉を忘れたように、ぱくぱくと口を開閉しながらなんとかそれだけを言った。
元妻は小さく溜息をつき、僕を見つめた。……否、その視線は、僕を通り越して少年声の魔物に向けられている。
「勇者の剣を持ってきてくれる?」
「はい、魔姫さま」
魔物は元気に返事をして、部屋を出ていった。
僕は魔物が元妻を『魔姫さま』と呼んだことに驚いて、見開いた目で元妻をじっと見つめるしかできなかった。
「……あなたが言いたい事はだいたい分かってるわ」
「…………」
「黙っていてごめんなさい。私は魔王の娘です」
元妻がそう口にした途端、彼女の頭からは二本の山羊の角、口元には牙が生えた。
いや、今までそれを魔法か何かで隠していたと考える方が自然だろう。正体を自分から明かした事で、真の姿が目に映るようになったのだ。
「そしてあなたが勇者としてここへ来たからには、全てお話しします。昔話の真実と、勇者と魔王の本当の役割を」
「……ちがう」
「え?」
僕が呟いた言葉が聞こえなかったのか、元妻が聞き返す。
僕は顔をあげて、ハッキリと言い直した。
「違う。僕が今君から一番聞きたいのはそんなことじゃない。……何で出ていったの」
「…………」
元妻は目を逸らし俯いた。
数秒そうしていたけれど、顔をあげた時には勇者像を思わせる決然とした表情で、僕の視線を真っ直ぐ受け止めた。
「それも話を聞いて頂ければ分かります」
「……そう。じゃあ聞こうか」
オロオロと僕と元妻を交互に見比べていた大臣ジュニアと王女に、小さく頷いてみせる。
僕ら三人は寝台に腰掛け、魔王の寝台を挟んで僕の元妻――魔王の娘と向き合った。
「この国に伝わる勇者と魔王の昔話はご存知ですね?」
「はい、ギリギリ知ってます」
大臣ジュニアの言葉に、ギリギリ……? と不思議そうに呟いてから、元妻は話を続けた。
この北西部山岳地帯は、魔王と呼ばれる存在が現れるよりも前から、魔の山として知られていた。
その理由は、『魔法の間欠泉』があるからだという。
「なにそれ。湧いてるの? 魔法が?」
「そうです、湧いてます。秩序もへったくれもない狂った魔法……というか、エネルギーの塊といいますか。この山の山頂からは、それが垂れ流しになっているんです」
「マジっすか……」
その魔法にあてられた動物が、化け物のような姿になったり、死んでも生き返ったりするらしい。
その魔法は、人間には効かない。
人間は、動物よりも生きることにエネルギーを要するので、エネルギーの塊に触れてもそれをすぐ使い切ってしまうようだ。
確かに、人間ほど直接生存に関係ない事にエネルギーを使う動物はいない。
趣味嗜好とか、円滑な人間関係だとか、ぼんやりとした不安だとか、自分の生きる意味探しだとか、……結婚とか離婚とか、本来必要ない事に注力せずにはいられない。
そういう所に莫大なエネルギー使ってるんだろう、きっと。
「『魔王』というのは、この魔の山から垂れ流しになっている魔法を抑える役目を持つ者なのです」
その言葉に僕ら三人はそれなりに衝撃を受けた。
それでは『魔王』という単語の持つ禍々しく悪の親玉的なイメージとは正反対の……むしろ善玉ではないか。
「……じゃあ魔王いいヤツじゃないすか!」
大臣ジュニアの一言は、僕の考えをより簡潔に代弁してくれた。
「善悪ではなく、言ってしまえばただの職業です。そして、魔法の効果で少し長生きにはなりますが、魔王も老います。魔の山の魔法を抑える力が衰え、山の麓へと魔法が漏れだしてしまうのです」
「それでここ最近、家畜や動物の変死や奇病が……」
僕の言葉に、元妻は肯定の頷きを返した。
そういった事件の報告が増え出した頃、僕はその報告書の処理で残業が増え、元妻と顔を合わせる機会が減った。
彼女は誰に相談することも出来ず、一人あの家で、どんな気持ちでいたんだろう。
「魔王は代々世襲制でこの山を守ってきました。私の母はこの山の反対側、隣国の出身でしたが、私を産んですぐに亡くなり、魔王を継げるのは私だけです。ですが……」
元妻が言いにくそうに口ごもった。
膝の上に置いた手が、ぎゅっと握られて白くなっていた。
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