第6話
地図の上では十数センチの距離でも、人の足で歩くと五日かかる(※王女をパーティーに含む場合)。
僕が王宮の机の上でさらっと確認し統計とってハンコを捺して上司に回していた書類も、現場で実際に起こっていることはそんなに気楽な事態ではなかった。
「そっち行ったぞー!」
「殺せ、早く!」
目的地に着いた僕達の耳に入ったのは、複数人の乱れた足音と穏やかでない言葉。そして獣の唸り声。
右手の林の中からだ。
「なんだろう、狩りっすかね?」
最後尾からのほほんと言う大臣ジュニア。
その言葉が終わるか終わらないかというところで、茂みががさがさと鳴り、何かが飛び出してきた。
「犬?」
茂みから現れたのは黒い小型犬くらいの生き物で、その身体には矢が刺さっていた。
「おおー、矢イヌ! 矢イヌだ!」
「…………」
「待って、離れて。犬じゃないよこれ」
近付こうとする大臣ジュニアと王女を制して、僕達はその生き物から距離を取った。
そこへ、ドスッと鈍い音を立てて矢が地面を穿つ。僕の足元だった。
「いたぞ、あそこだ!」
「あんたら、そいつを逃がすなよ!」
僕が王宮で処理していた書類。あれは、化け物の出没報告だった。
その生き物に刺さった矢は、背中から入って腹を突き破り貫通している。
それほどの傷を受けて、血の一滴も流れておらず、普通に走ったりできる犬がいるだろうか? ……反語。
犬のような生き物は僕達も敵だと判断したのか、大きく口をあけ咆哮する。
鼓膜が破れそうな大音声。これはやはり、犬ではない。
剥いた牙が、僕達の目の前で伸びていく。牙だけじゃない。体全体が巨大化していた。
「おおー、矢が爪楊枝のようだ」
こんな状況でも大臣ジュニアの声音は変わらない。
見上げるほどの体躯になった化け物に、後ろからやってきた村人も思わず足を竦ませ、その場で固まっている。
僕も化け物とまっすぐ視線を合わせながら、動けないでいた。
目を逸らしたらパクリと食べられてしまいそうな、そんな気がして。
ここで死ぬのかなあ、とぼんやり思った。
(死ぬ前に、もう一回くらいちゃんと話しとけばよかったかな……)
ごくり、と生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
と、化け物がパチパチと瞬きをした。
「あんた、勇者さん?」
「え」
突然、少女のような声がした。
出所を探って辺りを見回すが、村人は男性ばかりだし、王女は『自分ではない』と首を横に振った。
「お前喋れんの!? マジやべーな!」
大臣ジュニアがそう話しかけた相手は、小山のような化け物だった。
……確かにそちらから声はした。でも、まさかそんな。
「ねえ、勇者さんでしょ。そうだよね?」
「あっ、はい、……そうです」
「おおー良かった会えたー!」
化け物は姿にそぐわない明るい声をあげ、ドスドスと足を踏み鳴らした。小躍りしている、のか?
村人は状況が分からず、ポカンと口をあけて立ち尽くしている。
「あのね、これ魔王さまからお手紙ね」
「えっ?」
化け物がどこからか取り出して僕に差し出したのは、何の変哲もない事務用の茶封筒。
封をしていないその中には、きっちり三つ折りされた便箋が入っている。
「ちょっと待って、魔王からって何でこれ……」
「じゃ、確かに渡しましたよ、っと」
そう言って化け物は、背中に刺さった矢を無造作に抜いて投げ捨て、村人達にペコリと会釈し、林とは反対方向へのしのしと去って行った。
僕は横目でちらりと村人達を窺う。疑惑の視線が僕達を襲った。
僕達が魔王の友達でも知り合いでも何でもないのだと彼らに説明し、村へ入ることを許されるまでに、数時間かかった。
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