002
◯神暦4819年 5月12日 ユミルの森
雲一つない月夜。月光を浴びて
その奥で、甲高い金属音が立て続けに鳴り響く。
衝突しているのは、1人の青年と5頭の魔獣。その剣と獰猛な爪牙だ。
青年の身なりは、着崩した白いシャツに黒いズボン、そして緩めに締めた蒼いネクタイ。魔獣と対峙しているのに、兜や鎧の類はまるで見当たらない。その場に相応しいのは、右手に握る緩く反った剣だけだ。
対する魔獣は、身の丈3メドルほどにも達し、その身は細く、腕は地面につくほど長い。まるで巨狼と
だが、その細身とは裏腹に、振り下ろした拳は地を割り、振り払った爪は巨木を易々と薙ぎ倒していく。
―――《砕撃のグロウズ》
東方城砦国家ウィンザーの国家統治機構《ダヴィンチ》によって脅威度レベルFに認定されている獣族系の魔獣だ。
魔獣とは、世界に跋扈する人類の脅威となる生物の総称。その姿は獣や魚、竜などさまざまで、小さなものでも数メドル、巨大なものは優に100メドルを超える。
現在この世界の9割以上は魔獣に支配されており、人類の生存圏は確認されているだけでわずか4つ。そして魔獣による生存圏の侵食は、今も徐々に、だが確実に進んでいる。人類も《
青年の対峙している《砕撃のグロウズ》も、これまで数多の見習いの
―――だが、彼は違った。
候補生ではあったが、ただの候補生ではなかった。
そんな彼の身に秘められた脅威を本能的に察したのか、グロウズたちも血気に逸って攻め込むことはしない。彼を囲って逃げ道を塞ぎ、隙を窺うように位置取りを変え続けている。
三〇秒ほど睨み合いが続いた。
「……攻めてこないか」
退屈を押し殺すような溜め息を露骨に零す青年。
すると―――彼はあろうことか、剣を手放した。
何事かを警戒したグロウズたちが、ピクリと肩を震わす。
一瞬にして張り詰める緊張感。
だが、青年はそんなグロウズたちを逆撫でするように、あろうことか両手を大きく広げて無防備をアピールする。
「ほら、来いよ。これなら怖くないだろ」
この挑発にはさすがに怒りを覚えたのか、一頭のグロウズが天に向かって吠えた。そして激昂に身を任せて爆ぜるように駆け出し、一瞬で青年との距離を詰め、その右腕を鞭のように振り下ろす。
―――絶叫が響いた。
「ゲギャャァァアアァァッッッッッッッッ!?」
しかけたはずのグロウズがその場に背中から倒れ込む。
―――肩から先を失い、鮮血を撒き散らす無残な右腕を晒しながら。
「……やっぱりこの程度か」
心底落胆して不満を零す青年。その左腕に握ったグロウズの右腕を、つまらなそうに見つめながら。
――― 一瞬だった。
彼は相手の一撃を躱したのでも受け止めたのでもない。その力に逆らうことなく受け流し、同時に素手で
グロウズたちに向かって仲間の一部を放り投げる青年。
目の前に転がったそれを見て、全頭が一歩、後ずさった。彼我の実力差を突きつけられて恐怖したかのように。
閉幕は、早かった。
グロウズたちは青年を見据えたまま、じりじりと距離を取る。そして5メドルほど離れると全頭が同時に背中を見せ、一目散にその場から退散した。
―――残されたグロウズの死体と腕を前に、青年は倒木へ腰を下ろし、近くに置いておいた革袋から一枚の紙を取り出した。そして右腿の上に広げ、そこへ右手の平を押しつける。
瞳を閉じて、意識を右手に集中する青年。
すると、接した面が薄っすらと発光。紙面から蛍光のような淡い光が立ち昇り、その輝きが流麗な走り書きを思わせる筆致で紙の上に文字を浮かび上がらせた。
やがて発光が収まると、青年は紙を広げ、綴られた文字を確かめる。
力 : 980
速 : 1300
捷 : 1800
技 : 1800
知 : 970
決 : 600
勘 : 880
心 : B
優 : A
調 : B
志 : B
善 : S
克 : S
闘 : SS
憎 : SS
優……
渋い表情で睨むように紙面を見つめる青年。
(……いくら狩っても、グロウズはグロウズ、か)
不満気に紙を握り潰すと、ゆっくり立ち上がり、歩き出した。
向かった先は、森を出た所にある巨大な岩山。
青年は切り立った崖のように高い壁面に添って更に歩を進め、
(……このへん、か)
ある地点で足を止める。
そして、彼は鞘から剣を抜き、躊躇なく岩壁を―――斬った。
音もなく同時に放たれた三撃が、青年の背丈なら悠々と通り抜けられるほどの穴を
何の躊躇もなく、一歩を踏み出し、中へ入る青年。
そこには怪しいほど人工的な道が広がっていた。高さは4メドルほどで、幅は五人も並べば窮屈なほどに狭い。一寸先は文字通り闇だ。
だが、青年は躊躇なく進む。
やがて、奥のほうから徐々に明るくなってきた。
そして数分ほど歩くと、最奥に到着。
そこにあったのは小さな祭壇と、その上で光り輝く美しい
―――
かつて古の時代に存在したといわれる神獣や人神が封印された、奇跡の石。
一体誰が生み出したのか、なぜ生み出されたのか、なぜ神々が封印されているのか、その一切は不明。確かなことは、触れた者と封じられし神獣や人神が同調したとき、その力が人に宿ること。その力が魔獣に対抗する上で必要なこと。この二つだけ。
そして、この
(……)
伸びる右手。途中で一度、
―――
静寂。
石は、応えなかった。
ただただ、眠りし神の鼓動を思わせる明滅だけが、洞窟内で淡々と息づく。
「……ッ!」
青年は石から右手を離し、砕けんばかりに歯を軋らせる。
そして、その悔しさを磨り潰すように拳を握り、怒りのまま真横の壁に叩き込んだ。
洞窟全体が崩れんばかりの勢いで震動し、方々で大量の瓦礫が舞い落ちる。
打ち
(ここまでやって……いったいなにが足りないってんだ……ッ!)
噛み潰すは神への怒りか、あるいは自らへの苛立ちか……。
―――と。
「どこだ!?」「こっちのほうだ!」
入り口のほうから誰かが慌てふためく声が聴こえる。おそらくこの洞窟の門衛だろう。
青年は急いで駆け出し、侵入のために開けた穴から外へ出た。
―――外はすでに白み始めていた。
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