第33話

 これから用事があると言う藤堂さんと、駅前で別れたあとのこと。

 ぼくは夕食の材料を買うために、駅前のスーパーに向かっていた。

 今夜、つくるものはすでに決まっている。

 姫那の好物の一つ、牛肉のステーキだ。

 お祝いにはちょうどいいと思っての選択である。

 夕食をご馳走するということは、すでに姫那にメッセージを送っていた。

 ちなみに母さんにもいいお肉を買っていいかとメッセージを送っていて、許可を得ている。

 なので、よさげな国産牛を買って帰宅をしたぼくは、まずは添え物の温野菜と、牛のテールスープからつくり始めた。

 続いてステーキのたれをつくり、お肉の下ごしらえも終了。

 あとはお肉を焼くだけという状況で、ピンポーンと、部屋のチャイムが音を立てた。

 火を止めて玄関に向かい、扉を開く。

 そこには、姫那が立っていて――。

「おめでと、姫那」

「うん! やったわよ!」

 満面の笑みで、ピースサインを向けてくる。

 ジャージ姿ではなく、いつもの室内着姿だ。

 荷物も持っていないし、一度、部屋に戻って、着替えてきたのだろう。

 髪も少し濡れているので、シャワーを浴びてきたのかもしれない。

「もう少しで、メシが出来るところだぞ」

 そう言いながらぼくは姫那を家の中に誘って、料理途中のリビングに戻り始めた。

 その後を追うようにしてついてきながら、姫那が訊ねてくる。

「そういえばご馳走ってRINGで送られてきたけど、メニューはなんなの?」

「ステーキだよ」

「ほんと!」

 キラキラと、姫那の目が輝いた。

「お前の優勝と、淳也とのデートの確約。ダブルでのおめでただからな。お前の好きなものにしたんだ」

「ええと、その……ありがと……」

 リビングに入った直後のこと。

 ぼくの言葉を受けた姫那は、照れた様子で頬を掻いた。

「今更だけど、あんたのおかげで、淳也くんとのこと、かなり前に進めた気がする。ほんと、感謝してるから」

「なんだよ、いきなり改まって」

「いいじゃない! ありがとうって言ってるんだから、素直に受け取っておきなさい!」

「はいはい、わかったわかった。あとはデート、上手くいけばいいな」

「うっ……」

 いきなり姫那は、心臓に衝撃を受けたように左胸を押さえた。

 そのまま倒れてしまいそうにも見える格好だ。

「なんだよ、その反応は……」

 呆れたように、ぼくは訊ねる。

「だって、これまでの人生で、一度もデートしたことないんだもの! それに今日、柿内くんと喋ってる時、ドキドキしすぎて、ぜんぜん頭が回らなかったし。こんなんじゃ、本番でも上手く出来るとは思えない! 胸が痛くなって当然よ!」

 初めてのことだから不安になる。

 それは、当然のことだろう。

 今日、大会から帰る途中の電車で藤堂さnと二人きりになり、テンパってしまったぼくだけに、よくわかる話だ。

「だから、今日から頭の中で、予行練習をするつもりなんだけど、何か……って、そうだ! いいこと思いついたわ!」

「……いいこと?」

「そうよ!」

 突然、ぼくに向けて右手を突き出してくる姫那。

 それによって、ぼくの身体はドンっと壁に押しつけられることになった。

 いわゆる、壁ドンというやつだ。

「な、なんなんだよ、いったい!?」

 戸惑いながらも、ぼくは姫那に訊ねる。

 俯いていて、その顔は見ることが出来ない。

 意図がわからないので、それを問おうとしたのだけど――。

「ひっ!」

 もう片方の手もぼくの顔の隣を通り過ぎて、壁に突く形になった。

 そして姫那は、真っ赤に染まった顔をあげて、

「予行練習、付き合って!」

「は?」

「だから、デートの予行練習、手伝ってって言ってるの! どんなことが起きてもいいように、あんたがプランをつくって、それ見て、その通りにやればいいだけにしてってこと! 時間はもうないし、来週の土曜日か、日曜日までに! それで、予行練習するのよ!」

「予行練習って、マジかよ……」

「マジよ! 誘ったのはわたしの方だし、絶対に失敗したくないの! それに、プロの作家を目指してるんでしょ! デートプランくらいつくれて当然じゃない! 当然でしょ!」

 いや、その発想は、明らかにおかしい。

 でも、そう言われたら、そのような気もしてきてしまった。

「――ってことで、お願いしてもいいかしら?」

 念押ししてくる姫那。

 そこに聞こえたのは、玄関の扉が開く音だった。

 母さんが帰ってきたようだ。

 慌てて姫那がぼくから離れると、勢いよく、リビングの扉が開いた。

「姫那ちゃん、優勝したんだってね! おめでとう!」

 部屋に入ってきた母さんの手には、白い箱を見ることが出来る。

「ありがとう、冴子」

「これ、お祝いねv」

 手に持っていた白い箱を、テーブルの上に置く母さん。

 とてもオシャレな箱である。

 その中身が何であるのかぼくにはわからなかったけれど、一瞬で、姫那は理解したようだ。

「もしかして、MIYAKOのプリン!?」

「プリンは姫那ちゃんの好物でしょ? 優勝のお祝いに買ってきたの」

 そう言って、母さんが箱を開く。

 確かに中には三個、プリンが入っていた。

 ぼくと、母さんと、姫那のぶんだろう。

 コップ型のようなビンに入った、オシャレなものだ。

「ここ、めちゃくちゃ並ばないと買えないのに! 冴子、ありがとう!」

 ぎゅっと、母さんに抱きつく姫那。

「どう致しまして」

 無邪気に喜ばれて、母さんは満足げだ。

「で、どうするんだ? さっそく食べるのか?」

「そうね……。すぐに食べたいところだけど、デザートは食後ってことにして、我慢するわ」

「だったら、冷蔵庫に入れておくよ」

 有名店のプリン。

 どんなものなのか、はやく味わってみたい気持ちもあるけれど、ここは我慢するしかないようだ。

 ぼくはプリンの入った箱を手にして立ち上がる。

「それじゃ、わたしは着替えてくるわ。カズちゃんはその間に、夕ご飯の支度、よろしくね」

 そう言い残して、母さんは自分の部屋に着替えに行った。

 そのままぼくはプリンの入った箱を冷蔵庫に入れて、夕食の支度を再開する。

 フライパンに油を引いて、炒めたガーリックと共に、一枚、一枚、ステーキを焼いていく。

 ボリュームたっぷりの、一人300グラム。

 焼き色がついたらバターを入れて、ステーキを裏返せば、あとは完成を待つだけだ。

 その間にすでに炊き上がってるご飯やサラダをテーブルに運ぼうと、動き出したところだった。

「ねえ。さっきの話、いいかしら?」

 母さんに聞こえないようにする配慮だろう。

 姫那が小さな声で話掛けてくる。

 それでぼくは、デートのプラン作成と予行練習に協力を促されている途中だったことを思い出した。

「……仕方ないな。優勝記念だぞ」

 姫那の言っていた通り、作家ならばそれくらい出来て当然な気もするし、ある意味、勉強にも取材にもなるだろう。

 小説だけではなく、自分のデートの時に役に立つかもしれないという邪な考えも、少しはあった。

 そんなぼくの答えを聞いた姫那は、ぱっと顔に花を咲かせて、

「ありがとう、恩に着るわ!」

 それからしばらくして、ちょうどステーキが焼けたいいタイミングで、いつも通り露出の多い室内着へと着替えを終えた母さんが、リビングに戻ってきた。

 すぐに準備を整え終えて、お祝いの晩餐のスタートである。

 丁寧に焼き上げた特製ステーキはもちろんのこと。

 その後に食べたMIYAKOのプリンも、とても美味しかった。

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