第32話

 姫那ひめなのレースのあとのこと。

 他の部員の競技を見ることになる姫那を残して、ぼくたちは先に帰宅することになった。

 ぼくと、陸と、めるると、先生と、淳也じゅんやと、藤堂さん――。

 珍しい六人でひとかたまりになって駅まで歩き、そこでまず、二手にわかれることになった。

 このあと同じ方向で用事があるという先生と淳也の二人は、逆の電車に乗るという。

 残ったのは、四人。

 陸とめるるの二人は、隣の隣の駅である新ノ浜駅で降りるようだ。

 せっかくだしと、サニープラザで買い物をしていくという。

(もしかして、気を遣われたのか?)

 そう思ったのは、新ノ浜駅で降りる時に、陸が頑張れよというように、ぼくの肩をぽんと、叩いてきたからだ。

 ぼくの隣を通り過ぎる時に、めるるもウインクしてきた。

 正直、二人の気遣いは嬉しいことだ。

「二人きりになっちゃったね」

 何を話掛けようかと迷っていると、電車が動き出したところで、藤堂さんから話し掛けられてしまった。

「あ、うん……」

 緊張しながらも、ぼくは答える。

 ぼくたちが降りる海戸駅までは、十分くらい。

 その間、藤堂さんと、二人きりの時間を過ごすことになる。

 ……さて、何を話そうか?

 ぼくたちの間には、再び、沈黙の帳が落ちていた。

 もちろん、このまま貴重な十分間を過ごすわけにはいかない。

 そんなのもったいなすぎる――と思ったところで、気付いたことがあった。

 新ノ浜駅でかなり人が降りたこともあって、並んで座れる席が空いていることだ。

 これは、話し掛ける理由になるだろう。

「あのさ、藤堂さん」

「……なに?」

「あそこ、座らない?」

 ぼくは空いている席に視線を向ける。

「うん、そうしようか」

 並んで二人、椅子に腰を掛けた。

(あっ、これ、結構ヤバイ……)

 隣に座っている藤堂さん。

 少し動くだけで、肩と肩が。

 ふとももとふとももが、触れ合うような距離だ。

 喫茶店で隣同士になったこともあるとはいえ、比べると、かなり距離が近かった。

 この距離は、史上最短だろう。

 藤堂さんの髪の香りが、鼻先に漂ってくるくらいだ。

 その香りはもちろんのこと、いくつもの要因が重なって、さっきまでよりもドキドキが加速していく中でのことである。

「でも、意外だったかも」

 突然、呟くように、藤堂さんが言った。

「え? 意外って……」

「天城さんが、あんな風に淳也を誘うこと。わたし、八神くんが天城さんと付き合ってるんじゃないかって思っていたくらいだもの。そういう噂も、聞いたことがあったし」

「あ、その……それは、間違いで……。いろいろあって家が隣同士になってさ、親しくなっただけっていうか……」

「それは、今回のことで、義姉さんから聞いて知ってるよ。わたしの誤解だったみたい。それに、さっきの見てたら、気付くよ、普通は。天城さんの好きな人――」

「まあ、そうだよな……」

 姫那が淳也を好きだということ。

 普通ならば、気付くだろう。

 続けて、藤堂さんは小さな声で呟いた。

「ただ、そういうの、気付かない人もいるのよね……」

「え?」

「ごめん、こっちの話。気にしないで――」

 誤魔化すようにはにかんで、

「あの二人、うまくいくといいね」

「……うん」

 頷きながらも、ぼくは藤堂さんの言葉の意味を考えていた。

 ――気付かない人。

 それは、淳也自身のことを言っているのだろうか?

 なんだかこの話は、深く掘ったらいけないような気がしたので、それ以上聞くことは出来なかった。

 姫那と淳也の話も、それで終わりだ。

 それからぼくたちは、ぼくたちが降車する海戸駅に到着するまで、学校の話や、最近読んだ本の話をしていた。

 いつも二人で会話する時と違う状況だからだろうか。

 どこか距離があるような、探り合うような、たどたどしい会話になってしまったけれど、ぼくにとっては本当に特別で、幸せな時間だった。

 他の人が見たら、そんなぼくたちの姿は、どう見えたのだろう?

 なんて、そんなことを考えてしまう。

 ……恋人同士に見えたりしたのだろうか?

 ただ、降りるまでにぼくは、藤堂さんとRINGリングのアドレスを交換することは出来なかった。

 それを切り出すタイミングが――。

 いや、そうじゃない。

 それを切り出す勇気が、ぼくにはなかったからだ。

 聞きたかったことも、あまり聞くことが出来なかった。

(姫那のこと、もう笑えないよな……)

 それどころか、姫那にはずいぶん先に行かれてしまったような気がする。

 でも、ぼくと藤堂さんの関係も、この二人きりの電車で、少しだけ前に進んだような――なんとなくだけど、そんな気もしていた。

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