第29話

 姫那が出場するのは、女子の八〇〇メートル走だ。

 四〇〇メートルトラックを二周するものである。

 準決勝の二組目。

 14番のゼッケンをつけた姫那のレーンは3番のようだ。

 姫那の視線が、スタンドに向けられる。

 気のせいかもしれないけれど、一瞬、ぼくたちの方を見たような気がした。

 そして、他の選手たちと一緒にスタートラインについて――。

 パァンッ! と競技場に鳴り響くピストルの音と共に、姫那はスタートを切った。

 他の選手たちも同じだ。

 まずは、第一コーナーへ――。

 そこまでは、レーン通りに走らなければならないことは、ぼくも知っている。

 どこを走ってもいいオープンレーンになるのは、バックストレートに進入してからだ。

 そのバックストレートに入ってからは、姫那の独壇場だった。

 すぐにトップに立った姫那は、そのまま他の選手たちをぐいぐいと引き離していって、圧倒的大差でゴールイン。

「すごいな……」

 三着までが決勝に進むことが出来るので、まず確実に決勝に進めるだろうと事前に姫那は言っていたが、本当なのかと疑問ではあったし、怪我明けということで不安でもあった。

 しかし、そんなものは全て吹き飛ばしてしまうほどの大勝利である。

 レースのあとの姿を見ても平然としているし、まだまだ余裕があるようにも見えた。

 その後、スタンドのぼくたちに気付いた姫那は、すぐに小走りで近付いて来て、ピースサインを向けてくる。

 ぼくと陸とめるるの三人は、親指を立ててそれに答えた。

 その後、他の部員たちと共に待機所へと戻っていった姫那だったけれど、しばらくして、落ち着いたのだろうか。

 一人で、スタンドにやってきた。

「おい、姫那!」

 右、左と見て、ぼくたちの姿を探しているようだったので、ここだと示すように手をあげる。

 そして、近付いて来た姫那に、ぼくは声を掛けた。

「ダントツだったじゃないか」

 続けて、めるると陸も声を掛ける。

「さすが天城さん! すごかったよ!」

「ああ、めちゃくちゃな! 天城さん、ほんとすごかった!」

「えへへ、みんなありがと」

 少し照れた様子で答える姫那。

「でも、ここはあくまで通過点。わたしが狙うのは優勝だから――っていうか……」

 ぐいっと、ぼくの耳を掴むようにして自分の顔に引き寄せ、姫那は小さな声ながらも、耳元で責め立てるように訊ねてくる。

「ちょっと、どういうことなのよ! 桜木めるるやその彼氏はともかく、なんで先生と藤堂凛々菜が、柿内くんと一緒にいるのよっ!」

 正直、それは突っ込まれると思っていたところだ。

 ぼくだって、突っ込みたくなったとこなのである。

「そもそも、お前が淳也を誘った時も、先生はいただろ?」

「それは、そうだけど……」

 あの時、先生が行きたいと言っていたことや、先生が藤堂さんを誘ったことも、ぼくは付け加えて、説明をしていく。

「でも、まさかこんなことになるなんて……」

 これは予想していなかった状況だという表情を見せる姫那。

 それは、ぼくだってそうだ。

 ただ、優勝した時、デートに誘い辛いというのもあるだけに、姫那にとっては、本当に困ったことになってしまったというのはある。

「あとさ――」

 すでに淳也や藤堂さんに、ぼくと姫那がお隣さん同士であることがバレていることを、念のため、伝えておこうと思ったのだけど――。

「天城さん、決勝進出、おめでとう」

 先に、淳也が声を掛けてきてしまった。

「あ、ありがとう。それに、来てくれて……」

 照れた様子で、答える姫那。

「足は、大丈夫?」

「い、今のところ、なんともないわ! 大丈夫! バッチリ! きっと、決勝もいけると思う。だから、しっかり見てて! わたし、頑張るから!」

 テンパりながら、まくしてるようにして、宣言する姫那。

 そこに、同じ女子陸上部の仲間が声を掛けてきた。

「ヒメー、ちょっといい? 弁当、どれにするか決めなきゃいけないんだけど」

「あっ……。柿内くん、ごめん! これから部員のみんなと一緒に、ご飯を食べなきゃいけないの。だから、またあとで!」

「天城さん、頑張ってね」

「うん!」

 返事をした姫那は、部員の仲間と共に、スタンドから消えていった。

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