第25話

 コンピュータ研の部室があるB棟を出る。

 そこで目にしたのは、大会に向けて追い込み練習を必死にやっている姫那の姿だった。二百メートルを全力で走って、二百メートルジョグ。再び二百メートルを全力で走る、インターバルトレーニングを繰り返している。

 そんな姫那ひめなの姿を眺めていると、

「あれ、八神やがみくん?」

 と声を掛けられて、ぼくは驚くことになった。

 なぜならそれが、藤堂先生の声だったからだ。

 藤堂先生はこの学園の教師であり、一年時の姫那たちが所属するクラスの担任。

 ぼくのクラスを担当する、英語教師でもあった。

 そして、先生はぼくの大好きな人――。

 藤堂凛々菜とうどうりりな義姉しんせきでもある。

 その声の方へと視線を向けると、隣には、プリントを抱えた淳也の姿があった。

 一年生の時のクラス長と、担任としての繋がりなのだろうか。

 藤堂先生の手伝いをしているようだ。

 先生に続いて、淳也がたずねてくる。

八神やがみくん、こんなところで何を……って……」

 その視線が向けられたのは、さっきまでぼくが見ていた場所。

 姫那が練習している、グラウンドのトラックだ。

 すぐに姫那の存在に気付いたのだろう。

「天城さん、あんなに走れるようになったんだ」

 走っている姫那を見て、淳也は優しい笑みを向けた。

「本当に、よかったわね」

 藤堂先生も、同じような笑みを姫那に向けている。

 ちょうど一周、走り終えた姫那は、前屈みの体勢になって、ハァハァと息を整えていた。

 やがて、顔をあげた時。

 ぼくと姫那の視線がぶつかった。

 同時に姫那は、先生と淳也の存在にも気付いたのだろう。

 驚いた表情を浮かべながらも、ぼくたちの元に駆け寄ってくる。

 もちろん、話掛ける相手はぼくではない。

 先生と淳也だ。

「先生! それに、か、柿内くん、久しぶりっ!」

「足、よくなったみたいだね」

「うん! ぴんぴんしてる! こうしても大丈夫なくらい!」

 淳也に声を掛けられて、舞い上がっているのだろうか。

 姫那はよくなったことを示すように、怪我をしていた右足を、パンパンと、地面に叩き付けている。

「この調子なら、月末の大会も、なんとかなると思う!」

「……大会?」

 それはなんだろうと、首をひねる淳也。

 補足するように藤堂先生が言った。

「県の総合体育大会が、月末にあるのよね」

「そう! 県の総合体育大会! 月末の土日でやるの! 土曜日が予選で、日曜日が決勝で――ってそうだ! それで、なんだけど……」



 突然、もじもじとし始めてしまう姫那。

 その大会で優勝したらと、ここで宣言するのかと思って、ドキドキしてしまったのだけど、そうではなかったようだ。

「ひ、暇だったらでいいから、大会、見に来てくれない……かな?  お世話になった

淳也くんに、完全に治ったところ、見てもらいたくて! 土曜日は予選だし、日曜だけで――ううん、日曜の、午後の決勝だけでもいいから!」

 正直なところ、それだけでも驚きだった。

 大会の見学とはいえ、こんなにもストレートに淳也を誘うだなんて――。

 ある意味、デートの誘いの予行練習のようなものなのかもしれない。

 先生曰く、他の先生や、学生なども、応援には行くようだ。

「その日は空いてるし、わたしも見に行こうかしら?」などと、先生も言っている。

 なので、特別なことではないのだろう。

 デートより誘いやすいといえば、そうなのかもしれない。

 それに対する、淳也の返答は――。

 ごくりと、ぼくはつばを飲み込んでしまう。

 ぼくだって、緊張しているのだ。

 それ以上に、姫那は緊張しているだろう。

 そんな中で、淳也が答えた。

「月末の土曜日はもう用事が入ってるんだけど、日曜日なら、行けるかな」

「ほんと!」

 不安げだった姫那の表情に、ぱっと花が咲いた。

「それなら、準決勝に行けたら――って、行けたかどうか、伝える方法ないとダメだよね! だから、ちょっと待ってて!」

 突然、その場から駆け出してしまう姫那。

 部室に入って、すぐに出てきたその手には、スマホが握られていた。

「よかったら、連絡先……交換しない、かな? それなら、伝えられるし!」

 そういうことかと、ぼくは理解する。

 このチャンスを活かして、連絡先を交換しようと考えたようだ。

(というか、入院中に交換してなかったのか……)

 それどころではなかったのか。

 それとも、勇気が出なかったのか。

「いいよ、交換しようか」

「うんっ!」

 なんにしろ、姫那の作戦は成功したようだ。

 とても嬉しそうに、淳也とRINGりんぐのアドレスを交換している。

 それが終わったあとのこと。

天城てんじょうさん、がんばってね」

「うん! いいメッセージ、送れるようにがんばるから!」

 淳也に応援の言葉をもらって、嬉しそうに宣言する姫那。

 その姿を見て、心の底からよかったなと、ぼくは思っていた。

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