第22話 文武両道トレーニング
それは、一年と少し前の春のこと。
長い黒髪で眼鏡を掛けた、窓際でよく本を読んでいる
そんな彼女のことを、本気で好きになってしまったのは、去年冬の初頭のこと。
コートが必要になってきた、肌寒い十一月の終わりの、ぼくの誕生日のことだった。
その日、母さんと外で食事をすると約束していたぼくは、駅前の書店に併設された喫茶店でコーヒーを飲みながら、『
母さんの仕事が終わるまでの、時間潰しである。
やがて原稿にも詰まって、買ったばかりの本を読んでいると、
「……
と、背中に声を掛けられた。
振り返ったぼくの目に映ったのは、コーヒーが乗せられたトレイを持っている、手に書店の袋をぶら下げた、
「藤堂さん、どうしてここに?」
「見ての通り、買い物の帰りなんだ。このあとに用事があるから、ちょっとここで時間を潰そうと思って。八神くんは?」
「まったく同じだよ! 夜に用事があってさ。ここで本を買って、時間を潰そうかなって――」
「ほんとだ。まったく同じだね」
にこりと、天使のような笑みを見せる藤堂さん。
本当は小説の原稿を書いていたなんてことは、恥ずかしくて言えるわけがない。
「よかったら隣、座っていい?」
「えっ……!?」
「他に空いてる席、ないんだ」
言われて見れば、確かにその通りだった。
空いている席は、どこにも見当たらない。
いきなり声を掛けられたことにテンパって、まったく周りが見えていなかった。
「もちろん、構わないけど……」
「ありがとう」
宣言通り、ぼくの左隣の空いている椅子に腰を掛ける藤堂さん。
まさか誕生日に、こうして藤堂さんと隣同士で本を読むことになるなんて――。
神様からの誕生日プレゼントなのかもしれないなんて、そんな風に思っていると、
「八神くんは、よくこの喫茶店に来てるよね」
と、藤堂さんが声を掛けてきた。
「えっ、なんでそれを……?」
「隣の本屋に来た時に、何度か見掛けてたんだ」
「ここにしか、この町に大きな本屋はないし、買い物ついでに、よく寄ってるんだ。オシャレで雰囲気もいいし。本を読むには最適だし」
「それは、わたしも同じなんだ。本も好きだし。習い事とかいろいろあって、その間に、ここで本を読んで、時間を潰すのにもちょうどよくて」
いい感じで、会話が続いている。
これほどまでに長く、藤堂さんと喋れているのは、初めてのことだった。
一分、一秒でも長く、この時間を続けたい。
だからぼくは、必死に話を繋いでいった。
「藤堂さん、学校でもよく本を読んでるもんね。本、好きなの?」
「あれ……? わたし、八神くんに見られてたんだ。恥ずかしいな……」
その言葉通りの表情を浮かべる藤堂さん。
それでぼくも、なんだか恥ずかしくなってしまった。
「ほら、最近、スマホとかタブレットで読む人も多いからさ。紙で読んでるの藤堂さんは珍しいっていうか、目立つっていうか……」
「あはは、それは、そうかもしれないね」
「なにか、こだわりとかあるの?」
「お父さんが本が好きで、小さな頃から、わたしにもいっぱい本を買ってくれたんだ。それが紙だったから、慣れちゃって」
「それなら、ぼくも似たようなものかな。お父さん、本が好きだったみたいでさ。残してた本を読んでたら、慣れちゃって」
「残してた、本……?」
「ぼくが生まれる前に、ぼくの父は、死んじゃっててさ――」
それから、ぼくは、父が作家を目指していたこと。
その練習ということで、日記を書いていたこと。
ぼくは父のことを知りたくて、その日記を読んだこと。
日記に書かれていた父が読んでいた本を父の実家から持って来て、読んでいったことなどを、藤堂さんに告げていった。
「その……ごめんなさい、ヘンなこと聞いてしまって……」
「別に隠してることじゃないし、構わないよ。嫌だったら、こんな話しないし」
「八神くんは、優しいね」
藤堂さんはにこりと微笑んで、
「ついでに、もう一つ、質問してもいいかな?」
「うん」
「八神くんは、お父さんみたいに、作家になってみたいって思わないの?」
その質問に、ぼくはドキッとした。
「なれたらいいなって、思うことはあるんだけどね」
あははと笑って、誤魔化した。
すでに『ノベルポット』に『蛍火』の投稿を始めていて、作家になりたいという気持ちが、自分の中で生まれてきている。
でも、まだそれほど評価されていなかったし、恥ずかしい気持ちもあったので、それを告げることは出来なくて――。
「いつか、何か書いたら、わたしに見せてね」
「……うん。その時は、そうさせてもらうよ」
答えたところで、母さんからスマホにメッセージが届いた。
もうすぐ仕事が終わるので、予約を入れているお店の前で合流しようというものだ。
お店の場所がわかるアドレスも、RINGで送られてきている。
「どうかしたの?」
スマホを覗いていたぼくに、問いかけてくる藤堂さん。
言うべきか迷ったけれど、これは誤魔化すことでもない。
「実は今日、誕生日でさ。このあと、母さんと食事に行く約束をしてるんだ」
「えっ、誕生日なの!? それなら、ちょっと待って……」
驚いた声をあげて鞄の中を漁り始めた藤堂さんは、一冊の本を取り出した。
まさか、その本をプレゼントしてくれるのかと思ったけれど、そうではなくて――。
「これ、あげる」
差し出してきたのは、その本にはさまれていた栞だ。
「昔、わたしがつくったものなの」
受け取った栞には、押し花がついていた。
「これって、四つ葉のクローバー?」
「うん、幸運のアイテムなんだよ」
探して、見付けて、押し花にして栞をつくったのだという。
「これを本に挟んで使ってると、いいことがたくさんあったんだ。だから、きっと八神くんにも、いいことがあると思うよ」
「でも、それだと藤堂さんが……」
「まだいくつか家にあるから大丈夫。もらってあげて」
「それじゃ、遠慮なく」
さっきまで読んでいた本に、ぼくは栞を挟んだ。
気になっていた女の子に、誕生日プレゼントをもらえたのだ。
正直、飛び上がるほどに嬉しいことだ。
「ありがとう、藤堂さん」
「こんなもので、喜んで貰えるなら」
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