第13話
仕事から帰ってきた母さんに聞いてみたところ、やはり、ベランダの防火フェンスを外したのは母さんであることがわかった。
どのみちボロボロだったし、なくても同じだと、業者に外してもらったのだという。
そのうち新しいものをつけてもらうことになっていると聞いているが、いつになるのかはわからない。
とはいえ、ちゃんと玄関から来いと言っただけあって、あの日からというもの、姫那がベランダからぼくの部屋にやってくることはなかった。
来る時はちゃんと、リビングからぼくの部屋に通じる扉を叩いてくる。
トントンと、このように――。
「――って」
トントンと、扉が音を立てていた。
まだ母さんが帰ってくる時間じゃないので、扉の向こうにいるのは、姫那に違いない。
「少し、いいかしら?」
隣同士で暮らすようになってから、すでに二週間と少し――。
とはいえ、姫那がぼくの部屋の扉をノックしたことは、窓からの時を含めて、ほんの数回程度しかない。
しかも特に今回は、いつもと違って姫那の声が高圧的なものではなく、どこかしおらしいものに感じた。
それだけにぼくは、違和感を覚えながらも扉の向こうに返事をする。
「い、いいけど……」
ゆっくり開いた扉を抜けて、部屋に入ってきた姫那を見たぼくは、さっきの声と同じく、その表情にも違和感を覚えた。
もじもじしているようにも、照れくさそうにしているようにも、見えたからだ。
「……いったい、何の用なんだ?」
ベッドに腰を掛けるようにして、ぼくは訊ねる。
「お願いがあるのよ」
「お願い? 何か部屋で、困ったことでもあったのか?」
「そうじゃないわよ。相談、乗って欲しいの」
「何の相談だっていうんだよ?」
「それは、ええと……」
こんな状態の姫那を――。
リトルプリンセスを見るのは初めてのことだ。
それだけにちょっと戸惑ってしまったのだけど、更に戸惑わせる言葉を、姫那は放ってきた。
「恋愛、相談……なんだけど……」
「は?」
まったくもって、予想していなかった返答だ。
ぼくは唖然としてしまったどころか、思わず苦笑してしまった。
「ははっ、なんだよ、恋愛相談って……お前が? いったい、どういう冗談なんだ?」
「なんで笑うのよっ! それに、冗談じゃないわ。マジよ! 大マジよ!」
大きく両腕を広げて、宣言する姫那。
「それがマジだったとして、なんでぼくに相談するんだよ。ぼくが恋愛相談に乗れるわけなんてないだろ」
同じクラスになったことがないとはいえ、今はこうして隣で暮らして、家にまであがりこんでくるようになっている。
ぼくがモテるわけでもないことや、恋人がいるわけでもないことは、さすがに知っているだろう。
(――って、待てよ……)
もしかして、この展開――。
恋愛相談というのは、もしかして、ぼくに対する告白なのではないだろうか?
そう考えると同時に、胸がドキドキと早鐘を打ち始める。
生まれて初めて、裸を見られたんだから……。
それからずっと、ドキドキが止まらないの!
責任取って付き合って!
などと求められてしまう妄想が、ぼくの中で加速していった。
今までぼくにつらく当たっていたのは、好きの裏返しだったというわけだ。
でも、ぼくには
「見ちゃったからよ」
と姫那が言った。
「え? 見たって……?」
「あんたの小説」
「は?」
一瞬、何を言っているのか、理解が出来なかった。
ぼくの小説を、見ただって?
「確か、『
「いやいやいや、ちょっと待って! なんでそれ、知ってるの!?」
「前にあんた、『ノベルポット』ってところで小説を読んでたでしょ? それで知って、わたしも読んでみたのよ。そしたら、恋愛ジャンルの人気作に『蛍火』があったってわけ! 確か、著者名はろくじょう――」
「
「それそれ! 七條カズサ! 名前もカズサだし、わたしだって、入院中に似たような話を冴子から聞いているもの。合わせ技で一発、あんたが書いたものだってすぐにわかったわ。あれ、冴子に許可取ってるの?」
「いや、それは……」
「その様子だと、取ってないんだ」
「だったら、なんだっていうんだよ」
「ふふーん♪」
にんまりとした笑みを浮かべた姫那は、後ずさりするぼくを追うようにしてベッドに乗り上げ、接近してくる。
まるで、ネコのような姿だ。
そのままぼくに顔を近付けてきて、姫那は言った。
「それなら、わたしの相談を聞いてくれないと、勝手に冴子の話を世間に発表したってバラすわよ? いいかしら?」
「いや、それは……」
やめて欲しい。
話をするなら自分からするべきだし、どう伝えればいいのかも、まだ纏まっていない。
なんにしろ、姫那から言われたくはなかった。
「それなら、わたしの相談を聞いて? いいかしら?」
「それは、わかったけど……」
挑発するような表情で訊ねてくる姫那に対して、ぼくはそう答えるしかなかった。
でも――。
「なんなんだよ、その相談って……」
それがわからないと、乗ることは出来ない。
愛の告白でないことはわかったとはいえ、距離が近すぎるのもある。
これはこれでドキドキしてしまうと思っていると、姫那が思い詰めたような表情で、必死に声をあげた。
「
「それは、もちろん知ってるけど……」
知らないわけがない。
姫那の言う通り、クラスメイトだからだ。
高身長でイケメンのクラス長で、藤堂さんの
「あんた、今日のお昼に柿内くんと廊下で喋っていたわよね? わたし、見たもの。彼のこと、教えて欲しいの! どんな食べ物が好きかとか、好きな子がいるのかとか!」
必死に
顔を真っ赤に染め上げているその姿を見て、ぼくはそういうことかと理解した。
「つまりお前は、淳也のことが好きってことなのか?」
「ふぇっ!?」
飛び上がるようにして、姫那は驚いた表情を見せる。
その反応から見るに、どうやらビンゴのようだ。
でも、姫那はぼくに両手を突き出して、開いた十本の指を左右にブルブルと震わせながら、必死に否定する。
「違う、違うの! そうじゃなくて、友達が……!」
「友達って……」
バレバレの言い訳を始めた姫那を見て、ぼくは思わず苦笑してしまった。
「お前が他人のために、こんな風に動くとは思えないんだけど……」
基本的に、
だからこそのリトルプリンセスだ。
他人のために動くようなイメージは、悪いけれどまったくない。
「うっ……!」
どうやら、思いっきり図星だったようだ。
それに、バレバレの態度を見せてしまったことは、自分でもちゃんと認識しているのだろう。
「ふふふ、こうなったら仕方ないわね……」
そう言いながら肩を震わせたリトルプリンセスは、ヤケクソ気味に叫んだ。
「そうよ、恋よ! わたしが恋をしているのよ!」
左手を前に突き出し、右手を少し引いて――共に、両手の人差し指を立てる姫那。
「そ、そのポーズは……」
「『恋』ダンスよ!」
一昔前に流行った恋愛ドラマのエンディングで流れていた曲のプロモーションにあるポーズ――『恋ダンス』のポーズである。
「ふふん♪ これもまた、勉強の成果ってわけ」
小説だけではなく、漫画も読んだりドラマも見たりしてるのだと、ドヤ顔を浮かべる姫那。
確かに恋について、本気で勉強をしようとしているようだ。
もしかして部屋にあった
あれは大人の恋愛の話だし、かなり的外れな気もするけれど……。
それはともかく、ポーズはそのままに、姫那は言葉を続けていく。
「ここまで話したのよ。だから、わたしの恋愛を手伝って! でないと、例の小説のこと、
「うーん……」
正直、困った状況だ。
でも、これはこれで悪いことじゃない気もぼくはしていた。
なぜならこれが、新作小説の突破口になるんじゃないかと思うところもあるからだ。
同時にぼくは、前にトーリさんからもらったメッセージのことを思い出していた。
『あなたが恋愛してみたらどう?』だとか、『恋人をつくってみたらどう?』というものだ。『いっそ、フられてみてもいいかも』などとも書かれていた。
そうすれば何か小説のアイディアが湧き出すかもしれない――新作が書けるかもしれないと、トーリさんは言うのだ。
そこに一歩踏み出す勇気は、今のぼくには、ない。
でも、姫那の恋愛の協力をする形ならば、それに似た効果を――。
何かヒントを得られるかもしれない。
それに姫那が恋をしている相手は、自分が恋をしている相手である藤堂さんの幼馴染みであり、恋人なのではないかという噂がある、柿内淳也なのだ。
確かに姫那が言う通りに今日の昼休みに喋りはしたけれど、それはぼくの友達の陸が喋っていたからに過ぎない。
一言、二言、言葉をかわしたくらいで、そこまで親しいわけじゃないし、詳しいわけでもない。
でも、そんな淳也のことを調べれば、藤堂さんと付き合っているのかどうかも、ちゃんとわかるかもしれないというのはあるだろう。
もし付き合っていたとしても、そうでなかったとしても、姫那と淳也が付き合うことになれば、ぼくと藤堂さんと付き合える可能性も、少しは上がるかもしれない。
淳也のことを調べるついでに、噂の相手である藤堂さんのことについても、いろいろ聞ける可能性だってあるのだ。
結果的に見れば姫那のために動くことは、一石二鳥どころか、三鳥――場合によっては、四鳥にもなる。
それに、これまでぼくは多くの恋愛小説を読んできているし、自分の恋愛の経験はなくとも、これまで明らかにその方面の知識がなかったリトルプリンセスよりは、恋愛について詳しいはずだ。
きっと、なんとかなるはず。
……たぶん。
「わかった、お前に協力してやるよ」
それが、ぼくの出した結論だった。
「ほんと!」
姫那の瞳が、キラキラと輝く。
「恋愛小説家として、アドバイスでもなんでもしてやるさ」
ぼくがそう宣言をすると、「何それ?」と言うように、姫那が睨み付けてくる。
「あんたさ、恋愛小説家って言っても、冴子の話を書いただけじゃない」
「うっ……」
まったくもって、その通りである。
「でも、それならぼくに相談しても仕方ないだろ」
「それでも、わたしよりはそういうこと、詳しそうだし」
どうやらぼくと同じようなことを、姫那も考えていたようだ。
「わかったよ。それなら、協力する上で、一つ聞かせてくれ。淳也のどこに惚れたんだ?」
「ふぇっ!?」
ぼっと、姫那の顔から火が噴いた。
「な、なんでそんなことを聞くのよっ!」
「わかった方が、アドバイスだってしやすいだろ?」
「それは、そうかもしれないけど……あの、それはっ……!」
「いいから、落ち着いて話せって」
「う、うん……」
頷いて、すーはーと深呼吸したあとのこと。
淳也のことを好きになったあらましを、姫那は話し始めた。
「入院中、わたしのところに毎日来てくれたの。自分のノートのコピーとか、宿題のプリントを持って」
それはもちろん、病室にということなのだろう。
「それにわからないところ聞いたら、ちゃんと先生みたいに教えてくれて……。とても、優しくて――」
「ああうん、わかった。もういいよ」
こうして淳也のことを語る姫那を見て理解した。
彼女は本当に、淳也に恋をしている。
その顔は、恋をしている少女の顔そのものだったからだ。
見ていて、むずがゆくなってしまったくらいである。
恋をした理由も、納得のものだ。
つまりは、優しさにほだされたということなのだろう。
「でも、そこまでしてくれるってことは、普通にお前のこと好きなんじゃないか?」
「ふにゃっ!?」
真っ赤になった顔を、飛び上がるようにして両手で隠した姫那は、指の隙間から、たどたどしく言葉を続けていく。
「あ、あんたもそう思う? 実はわたしも、ちょっとだけ、そう思ってるんだけど……。でも、自信はなくて……。だからどうなのか、まずは調べて欲しいのよ!」
「はいはい、わかったわかった。まずは、そこから調べてみることにするよ。それでいいか?」
「ありがとう、よろしく!」
勢いよくぼくの手を握って、ぶんぶんと上下に振る姫那。
これで、話は終わりだ。
「それじゃ、頼んだわよ!」
部屋を出て行く前にも扉の向こうから顔を出し、念押しをしてくる姫那の姿を見て、思わずぼくは、苦笑してしまった。
なんにしろ、こうしてぼくは姫那のために――。
あくまで姫那のために、淳也のことを調査することになったのだった。
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