第8話

 母さんに呼ばれるがままにリビングへと移動して、ぼくはカーペットの上に置かれた低いテーブルの上に、オードブルセットを取り出した。

 母さんが置いたものなのだろう。

 すでにテーブルの上には、数本のビールの缶と、ウーロン茶のペットボトル――そして、三つのグラスお皿が置かれている。

 パーティの準備は、もう終わっているようなものだ。

「ほら、姫那ひめなちゃんはそこに座って」

 言われた通り、母さんが置いた座布団の上に座る天城さん。

 ぼくや母さんも座って、三人で卓袱台ちゃぶだいを囲む形になった。

 すると「はいどうぞ」と、母さんが二つのグラスにウーロン茶を注いで、ぼくたちの前に差し出してくれる。

 続けて母さんは350mlのビールの缶を手に取り、プシャっと音が響くように開いて、トポトポと音を立てながら、自分の目の前のグラスにその中身を注いでいった。

 そのグラスを持ち上げて、

「準備が整ったところで、歓迎パーティを始めましょうか。それじゃ、姫那ちゃん、これからもよろしく!」

 母さんに続いて、ぼくと天城てんじょうさんも、ウーロン茶の入ったグラスを持ち上げる。

「カンパイ!」

 そんな母さんの掛け声に続いてぼくが――続けて天城さんが、「カンパイ」と声をあげた。

 三つのグラスがぶつかりあい、カチンと音を立てる。

 そのまま母さんはごくごくと、ビールを喉に流し込んでいった。

「ぷはぁあぁあ……っ! 生き返るわーっ。一日の疲れが取れるー、って……」

 ウーロン茶の入ったグラスを手に持ったまま、ビールを飲み干していく母さん。

 その姿をじっと見ていたぼくたちに視線を向けた母さんは、不思議そうに目を細めて、声を掛けてくる。

「……二人とも、わたしのことなんて気にしなくていいから、はやく好きなものを食べなさい。引っ越しの作業でたくさん動いて、お腹が空いてるでしょ?」

「あ、うん」

「そうね」

 互いに警戒した様子だったぼくたちは、母さんに背中を押されるようにして、箸を手に取った。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 続けるように声をあげて、ぼくと天城さんは、からあげや春巻きなどに箸を伸ばして食べ始める。

 母さんもだ。

「ここのからあげ、本当に美味しいのよ。姫那ちゃん、たくさん食べてね」

「うん、わかった」

 答えて、からあげを口に運ぶ天城さん。

「あ、本当に美味しい」

「でしょ? いーっぱい食べていいわよ。カズちゃんも、食べなさいよ?」

「わかってるし、食べてるって……」

 ぼくはおかずを目の前のお皿に載せて、もくもくと食事を続けていく。

 そんな中で、姫那が声をあげた。

「あ、冴子さえこ。グラスいてる。注ごうか?」

「いいのよ、気にしなくて」

 そう言って、グラスに注いだビールをぐびぐびと飲み干したあとのこと。

 テーブルの上にグラスをカタンと打ち付けるようにして、母さんは不満げに言葉を漏らした。

「それよりね、母さんは二人が、楽しく喋ってくれた方が、嬉しいんだけど?」

 半眼で睨み付けられて、ぼくと天城さんは、言葉を失ってしまう。

 どうやら母さんは、ぼくと天城さんが会話なく、もくもくと食事をしているだけなのが、気になっていたようだ。

 もちろん、天城さんと喋りたくないというわけじゃない。

 事故のような接触を二度も繰り返してしまったこともあって、ちょっと喋りにくいというのもあり、どう話を切り出していいのか困っていたというのが、正直なところだ。

 こうして母さんが間に入ってくれたことで話しやすくなったなんて、思ったところだったのだけど――。

「なっ!?」

「ちょっと母さん、何をして……!」

 続けるようにして、ぼくと姫那は驚きの声をあげた。

 なぜなら立ち上がった母さんがぼくたちの背後に回り、左腕で天城さんを――右腕でぼくを、抱きかかえてきたからだ。

 それでぼくたち二人の距離は、物理的に接近することになってしまう。

「これからお隣さん同士なんだから、仲良くしないとダメよ? ね?」

 とびきりの笑顔をぼくと天城さんに向けて、諭すように言い聞かせる母さん。

「わ、わかった」

「そうする……」

 母さんに逆らうことは出来ず、ぼくと姫那はただ素直に頷くことしか出来なかった。

「だったら、名前で呼び合って」

「え?」

 思わず姫那の方を見たぼくに、更に母さんは声を掛けてくる。

「その方が、仲良くなれる気がするでしょ?」

「でも、それは……」

「いいわよ」

 ぼくが戸惑う中で、天城さんが答えた。

「天城さんって呼ばれるの、あんまり慣れてないし。こそばゆいし」

「それなら、姫那でいいの?」

「……いいわよ、別に」

「じゃあ、ぼくのことは一冴でいいよ」

「なら、そう呼ばせてもらうわ」

「それで、よし」

 母さんはパンッと、ぼくたちの背中を叩いた。

 とても満足げな様子だ。

 それでようやく、ぼくと姫那は解放されることになった。

 続けて母さんは、思いついたように胸の前で両手を重ねる。

 パチンと、高い音が室内に響き渡った。

「そうだ! 姫那ちゃん、よかったら、毎日ご飯、食べに来てもいいわよ! 一人で食べると寂しいと思うし、わたしも家族が増えたみたいで嬉しいし! すぐ来れるわけだしね」

「……あ、うん。時々、そうする」

「やったー、嬉しい!」

 再び、天城さん――。

 もとい、姫那に抱きつく母さん。

 それを受けて、姫那は困った表情を浮かべていた。

 こんなリトルプリンセスを見るのは初めてのことだ。

 すると、ぼくの耳元に顔を近付けて、姫那が小声でささやいてくる。

「もしかして冴子、かなり酔ってない?」

「うん」

 実際、その通りである。

「お酒は好きだけど、強いわけじゃないんだ」

 なので、酔うのもはやい。

 ビール二本飲むだけでベロベロだ。

「病院での冴子とは、ぜんぜん違うのね……」

「お酒を飲んだ時は、よくそう言われてるみたい」

 ぼく自身、母さんが働いてる姿はほとんど見たことがない。

 でも、病院での評判がとてもいいことは、いろんな人から聞いていて知っている。

 姫那の反応も、それとほぼ変わらない。

 なんにしろ母さんのおかげで、こうしてリトルプリンセスこと天城姫那と打ち解けたように、話が出来ている。

 これからのことを考えても、それは、とてもありがたいことだった。


 それからもぼくたちは食事を続けて――。

 やがてはオードブルセットを全て平らげ、パーティも終了という雰囲気の中でのことだった。


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