六章 アンバーカラー 4—1

 4



 エレベーターが上昇していく。

 オレンジシティーは、みるまに遠ざかり、赤く点滅するハザードランプのように小さくなっていく。

 点滅して見えるのは、街のネオンサインのせいだろうか?

 その光が何かを警告しているように見えたが、やがて、雲のはざまに消えていった。


 エレベーターは雲の波をかきわけ、さらに上昇し続ける。

 雲をつきぬけると、大地が青く輝いていた。

 ぼんやりと発光する青い、まんまるの星。

 宝石のように澄んで、暗い宇宙に優しく光をなげかけるその姿は、何かを夢見ているかのようだ。


 エンジェルが感嘆の声をあげる。


「キレイ! なんて透明なブルー」


 エンジェルの肩を抱き、EDがささやく。

「君の瞳の色だね」


「ED……」


 完全に恋人どうしの態度だ。

 ジェイドがだまっていると、EDはさらに続けた。


「あれが我々の住む星。アースだよ」

「アース?」

「型式は、こう」と、EDはエンジェルの手のひらに指を走らせる。

「我々を造った神が名づけたのだそうだ。おそらく、神の生まれ故郷の星の名なんだろう」


 そう。そうだ。

 地球……宇宙に輝く青いオアシスと呼ばれていた。

 おれ自身はその星を知らないけど、きっと、こんな美しい星だったんだろう。

 人魚の流した涙みたいだ。


 意識が混濁していた。


 エレベーターは音もなく上昇し、マーズの赤い光のなかに吸いこまれた。

 地上で見るマーズは、あたたかな力をあたえてくれる可愛い巨大オレンジだが、今、頭上にせまってくるそれは、なんだか禍々しい悪意に満ちている。


 その悪意に、ジェイドは抵抗できなかった。

 こうなることは、ずっと前からわかっていたような気がした。

 そう。誰かが言っていた。遠い昔に。


 エレベーターはマーズ内部に飲みこまれた。周囲を銀板でおおわれ、光スコープ視界では何も見えなくなった。


 マーズは直径十キロほどの衛星だ。

 この人工星のどのあたりまで、エレベーターは入りこんでいくのだろう?


 ようやく、停止した。

 ドアがひらき、白い光が満ちている。

 光のなかへ、ジェイドたちはふみだした。

 Eオリジナルの声が、ジェイドたちを出迎える。


「来たか。わが大いなる実験の完成者よ」


 そこは管制塔だった。

 あの宇宙船のコントロールルームに似ている。

 コンピューターがならび、室内のいたるところに監視モニターがとりつけられている。


 だが、それだけでもない。

 そこはあきらかに、なんらかの実験室でもあった。

 培養機や人工子宮が目立つ。

 実験室の中央には、二重らせん構造の複雑な分子配列のホログラフィーが、電影管のなかに映しだされている。

 電影管は二つあるが、二つのオブジェの違いは、ぱっと見ただけではわからない。


 ジェイドはつぶやいた。


「……遺伝子だ。竜や獣、原始的なアメーバでさえ、生物なら必ず生まれ持っている。体の設計図だ」


 すると、Eオリジナルの冷ややかな答えが返ってくる。


「それは神の遺伝子だ。一つは完成している。もう一つも、まもなく完成する」

「神の遺伝子?」


 ジェイドはEをかえりみた。


 Eはコンピューターを制御する操縦席にすわっている。

 監視モニターが映す青い星や、さまざまなドームシティーの内外、地上のあらゆる場所を背景に悠然とたたずむ姿は、彼こそが、この星を支配する神のようだった。


「そう。神だ。我らを創造してくださった偉大なる父」

「エドガー……」


 ズキリと頭の奥が痛いほど反応して、ジェイドは自分でも知らないはずの言葉を発していた。


「エドガー・マクファーレン。アンジェリクの夫だ」


 あの二十六体の設計図。

 他の追随をゆるさない天才のひらめきと、妄執すら感じさせる異常な情熱。

 あんなことができるのは、彼以外にはいない。


 Eは静かな声で告げる。


「そう。エドガー・マクファーレン。我らEタイプのモデルともなった、最後のオリジナルヒューマン。彼こそが、我らを創造した神。そして私は、Eタイプのなかで唯一、神の記憶を受け継ぐ者。神の代理人。このプロジェクトの代行者だ。神は私に語った。私のなすべき使命を。なんのために我々が生まれてきたのかを。私は神の願いをかなえるために存在する」


 Eは物思うような目をして、モニターに映る青い星をながめた。


「この計画は初め、ちょっとした、ぐうぜんから始まった。最後に残った二十五人のオリジナルヒューマンの名前が、アルファベットのAからZに、一人ずつ割りふることができると、神が気づいたときだ。

 そのとき、ひらめいた。神はその時点から十年以内に、自分たちが滅ぶことを知っていた。バイオボディーの肉体を維持するための食物が、二十五人の生涯を支えるには、大幅に不足していた。

 それ以前、彼らが生まれる前に、船内で原発事故が起こった。事故そのものは早めに対処できた。だが、このときの放射能汚染により、家畜が突然変異し、モンスター化した。変異は、おそらく長い年月をかけ、内在的に進行していた。彼らが気づいたときには、凶暴化した怪物の群れを排除することは不可能になっていた。

 例の二十五人だけが、かろうじて逃げだし、第一セクションを封鎖した。資材や食料は第一セクションに備蓄されていたものでまかなうよりなかった。食料さえあれば、彼ら二十五人で子孫を増やしていくこともできただろうが、その道は最初から閉ざされていた。

 目標の惑星到着まで、彼らのボディーを冷凍保存しておくこともできなかった。そして到着したのち、その星が人の住むに適した状態である保証もなかった。

 わかっていたのは、そこが彼らの故郷と同じ地球型の、きわめて若い星だということ。おそらく、人間が生きていくための食料となる動植物の確保さえ、ままならないほどに若い星だ。

 事実、我々、オリジナルボディー二十六体がこの星に降りたったとき、まだ地球でいう原生代末期にすぎなかった。アメーバや原虫がやっと誕生したばかりのころだ。とても人間が生きていける環境ではなかった。

 この星を人間が住める環境にするまでに、私は今までかかった。地球の進化にそった生態系をととのえ、進化の道を調整し、かつての地球とまったく同じ惑星へとこの星をみちびいた。竜の時代は、もうじき終わる。私が終わらせる。ようやく、哺乳類の時代がくるのだ。まもなく、人類はこの星の王として君臨する」


 ジェイドは口をはさまずにはいられなかった。


「でも、おれたちは進化の道に手を出しちゃいけないはずだ。神との、そういう約束じゃなかったのか?」


 Eオリジナルは嘲るような目つきで、せせら笑う。


「私以外の者に進化体系を乱されたくなかったのでね。神からの言葉を脚色して、他の者には伝えただけだ。もっとも、DとVのオリジナルには正しく伝えた。二人は計画の早い段階で、私の協力者だった。二人は神の忠実なしもべだったし、私に心酔していた。行動を完全に掌握し、意のままにあやつることができた」


 やはり、と言ったのはEDだ。


「そうではないかと思った。ドクの研究所で造られた生物たち。ガーデンシティーで育成された植物。すべては、この星の進化を操作するための手段だったのだ。ドクの研究所付近では、所内でゲノム編集されたはずの動植物が、まま見られた。あれは人為的に進化させた動植物を、進化の段階にそって外部で繁殖させたからだ。そうでしょう? E」


 Eはうなずく。

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