三章 クリーチャー 3—2


「早く、おろしてくれ」

 ジェイドはEDをせかした。


 ジェイドたちの足がついた瞬間に、照明が反応して室内が明るくなった。

 光スコープの視界いっぱいに、異様な光景がひろがる。


 これを見たあとでは、さっきの牧場なんて、まるでかすんでしまう。

 どおりで、ドクがエンジェルをつれてくるなと言うはずだ。これをエンジェルに見られるわけにはいかない。

 この部屋のようすを見たら、はたして、エンジェルは正気でいられるだろうか?


 ジェイド自身、よくフリーズしなかったと思う。

 もっとも、ジェイドの場合、過去に自分にとっての最悪の情景を見たことがあるからかもしれない。


 背後で、EDがつぶやく。


「研究所生まれの人間……か」


 研究所生まれの……そう。

 たしかに、ここはエンジェルのふるさとだ。

 エンジェルは、この研究所で生まれた。それは、こういう意味だったのだ。


 ふりむくと、EDは無表情にこの光景をながめていた。だが、何も感じていないわけではないことは伝わった。

 EDにとっても、これはあまりにも衝撃的な代物で、表情をコントロールすることへ、回路の働きをまわす余裕がないのだ。


「ここが、エンジェルの生まれた場所……」


 ささやきながら、EDはそれをなでた。


 室内にビッシリと立ちならぶガラスのケース。なかは培養液で満たされている。


 ガラスの表面を愛しげになでたEDは、次いで歯がみし、にぎりこぶしでそれを叩いた。

 EDの強化ガラスの手で叩かれても、ヒビ一つ入らない。EDのボディと同様の材質らしい。


 ただ、その振動を感じて、なかのものが、キロンと目をあけた。

 ひとつしかない目を。

 その目の色は、エンジェルの瞳と同じ、空のブルー……。


 また、EDが口をひらく。


「エンジェルは……クリーチャーなのか? 生体ボディの人間ではなく、動物の遺伝子をかけあわせて造られた実験動物か?」


 そんなこと、ジェイドにわかるはずもない。

 ジェイドは言いかえそうとして、ハッとした。

 EDの双眸から、琥珀こはく色の涙が静かにこぼれおちている。ジェイドには背を向けているが、ガラスの表面に映っていた。


 ジェイドは見てないふりをして、目をそらした。


 ジェイドだって、ショックだ。

 たった数日そばにいただけで、エンジェルのことが愛しくてならなかった。


 Aタイプだからというだけではない。

 エンジェルには、どこか、ふつうのAタイプとは違う独自性がある。しぐさの一つ一つが、むしょうに心を惹きつけてやまない。


 愛くるしいウィッチ。

 くちびるをとがらせるだけで。

 上目づかいに見つめてくるだけで。

 はじけるように笑い声をひびかせるだけで。

 チャームの魔法をかけてくる。


(エンジェル……)


 魔法が解けてみれば、可愛い魔法使いは、実験によって生まれた、ゆがんだ進化の産物にすぎないのか?


 認めたくはない。

 だが、事実はそうであることを告げている。


 ガラスのケースは一つずつが人工子宮だ。

 ホルマリン漬けにされた死体の標本もある。

 受精卵や細胞組織などのサンプルを冷凍保存しておく巨大な冷凍庫もある。


 グロテスクな、ながめだ。

 ドクは動物に人間の形を持たせるために、ありとあらゆる生物の遺伝子をかけあわせたらしい。

 手足の数が多かったり少なかったりするのは、まだいいほうだ。

 体の一部にウロコがあったり、全身に大きな吸盤がついている個体もある。

 下半身が四つ足の獣だったり、全身に骨がなかったり……。


 その顔がすべて、エンジェルのおもかげを残していた。

 これらの個体は、“エンジェル”を造るために、ふみ台にされた失敗作たちなのだ。


 見つめているうちに、怒りがこみあげてきた。

 ジェイドは叫んだ。


「ウソだ! これは、なんかのまちがいだ! エンジェルが……こんな、おぞましいものと同類なわけがない! だって、あの子はどこから見ても人間だ」


 すると、EDが憎悪の目をジェイドに向けてくる。

 こうなったのは、ジェイドのせいだとでもいうかのように。


「だが、バイオボディを造るってことは、こういうことだろう? 動物どうしをかけあわせる以外に、生きた肉の身体は得られない」


「でも、そんなことで、あんなに人間そっくりな形態の生物を造れるわけないよ。だって、人間は、この星のどんな生き物とも違う。まったく別種の生物だ。人間には遺伝子なんてないんだから。動物の遺伝子を組みかえても、人間を造ることはできない」


 そのとき、背後で足音がした。

「いや。人間を造ることはできる」


 かえりみると、ドクが立っていた。


「ドク? なんで……」

「パールが調整機の設定を変更してくれた。おかげで、トリックの効果も消え、目がさめた」


 ジェイドは舌打ちした。

「パールのやつ……」


「そう言うな。パールは君を案じてしたことだ。君がムチャをする前に止めてくれと言っていた」


 研究所のなかを調べようと、最初に言いだしたのはパールのくせに——


 しかし、今はドクに聞きたいことが、たくさんある。


「ドク。答えてくれ。じゃあ、ほんとにエンジェルは、ここで造られたのか? 人間に似せて造った動物なのか?」


 ドクはジェイドを見つめて、長々と嘆息する。


「君にとって、つらい話になる。知る覚悟はできたのかね?」

「そんなこと、どうでもいいよ! 言ってくれ!」


 ドクはEDのほうを見る。

「君も?」


 EDはうなずいた。

 ドクは、もう一度、ため息を吐きだす。


「君たちは、とちゅうでフリーズしてしまうかもしれないな。この話を初めて、エヴァンから聞いたときは、僕もそうだった。何度も機能停止になり、一時記憶をデリートしてしまった。認めたくなかった。認めると、生きていけない気がした」


「エヴァンからだって?」

「そうだ。エヴァンは、オリジナルヒューマンの研究をしていた」


 ジェイドには、さっぱり意味がわからなかった。


 オリジナルヒューマンの研究をしていることが、なんだというのか?

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