二章 チェイサー 3—4


 ジェイドもレーダーに注意をはらってみた。たしかにそんな気配が、ドクの部屋のなかにある。


 巨木は大勢の共同住宅だから、他の部屋の人間の発する電波だろうと、ジェイドは思っていた。


 だが、EDが警戒したのがなぜなのか、ジェイドにもわかった。

 その気配は、人間にしては電磁パルスが微弱すぎる。

 もちろん、お手伝いロボットなどではない。


「たぶん、ドクがつれてきた実験動物だ。ドクは変な研究してるから。心配いらない」


 だがEDは繊細な表情を作るのに適した、クリスタル樹脂でコーティングしたおもてに、険しい表情をうかべたままだ。


「おまえの言う『犯人』かもしれないだろう?」

「まさか」


 だって、これは人間の反応じゃない。

 そうは思ったが、ジェイドも気をひきしめた。


 今までは、いつも、ひと足ちがいで犯人を目撃することはなかった。

 ジェイドは犯人をあたりまえの人間だと思っていたが、そう言われれば、何人もの人間を殺してまわる異常者だ。

 えたいの知れないバケモノだという可能性だってある。


 その微弱パルスの怪しい相手を、いつでもとりおさえられるよう、用心してハシゴをのぼっていった。そのあとをパールが。

 EDは翼を使って、ジェイドの背後を上昇しながらついてくる。


 まがりくねったツル性の幹にとりつけられた、このハシゴだけが住居への侵入口だ。

 つまり、相手が何者でも、今度こそ逃れることはできない。


 ジェイドの緊張は高まった。

 慎重にハシゴをのぼり、四階の穴(住居への入口)の前まで到達する。


 すばやく、なかをのぞいた。

 奥に、何かいる。

 小さな窓に身をのりだしている。


(しまった! 気づかれた!)


 相手が逃げだそうとしていると思い、ジェイドは室内にとびこんだ。

 動くな、撃つぞ——と、エアガンをかまえて通告しようとしたジェイドは、そのまま凍りついた。たぶん、数瞬のあいだ、フリーズしていたと思う。動くなと言いかけて、自分のほうが動けなくなった。


 だって、しょうがない。

 そこにいたのは、アンバーだったから——


(アンバー……?)


 フリーズしたのはジェイドだけではなかった。

 ジェイドのすぐあとに入ってきたEDも、彼女をひとめ見て硬直する。

 EDの場合は、なまじ性能がいいから、自分の目で見たものと、彼の機能から得た情報のギャップに、高いプライドが傷つけられるのをふせぐためだったかもしれない。


 彼女は、とつぜん侵入してきたジェイドたちに驚いてはいた。

 でも、怖がってはいない。

 身をのりだしていたのは、窓の外のベリーをとるためだ。まっかに熟したイチゴをむしりとって、イチゴより、つややかな赤い口にほうりこむ。


「あなたたち、誰? Dじゃないのね」


 よく見れば、アンバーではない。

 当然だ。アンバーは死んだのだ。

 とはいえ、ほかのAタイプとも言いがたい。見ためはそっくりだが、彼女はアンバーや他のAタイプより、なんというか……そう、幼い。


 少女——という言葉が、ジェイドの脳裏にうかんだ。

 それは古いデータにだけ残る、死にたえた言葉だ。


 ジェイドのフリーズは二、三瞬でとけた。


 しかし、不思議な感覚は去らない。


 少女のなめらかな動き。

 緻密ちみつで繊細な表情。

 いつもの夢で見る、オリジナルボディのアンバーに似ている……。


 この娘、いったい、何者だ?


 ぼんやりしているうちに、EDが動きだしていた。少女のもとへ歩みより、かるく、その頬をなでる。


「Aタイプだな」

「わたし、エンジェルよ」

「エンジェル——ANGELか」


 にっこり笑って、エンジェルはEDの頰に手をあてた。


「あなた、きれいね。とても、きれい」

「君こそ、美しい」


 たがいの頰に手をあてる二人を見て、ジェイドの胸はギリギリ痛む。

 体じゅうの配線がきしんで、悲鳴をあげているかのように。

 暗く重い、 この激しい怒りにも似た感覚は、なんだろう。


 感情パラメータの数値が異常に乱れる。


 ジェイドは胸をおさえて、よろめいた。物理的に痛んだようにすら感じた。


「ジェイド。どうしたの?」


 パールに支えられて、ジェイドはどうにかふみとどまった。


「なんでもない。それより……エンジェル。君はドクが——ダイアモンドがどこに行ったか知ってるかな?」

「ダニエルは研究所に行ったわ」


 エンジェルの目がまっすぐ、ジェイドを見つめる。

 エンジェルは、ほぼ完全にオリジナルボディを再現した復刻版だ。

 エレガントなAの基本形より、さらに骨組みが細く、顔立ちがあどけないことをのぞけば。

 瞳の色も、澄んだブルー。


「この人ほどじゃないけど、あなたも、キレイ。DとV以外の顔を見るの、わたし、初めて」


 そう言って、ふたたび外に身をのりだす。

 すばやくEDが手をのばして、ベリーをつみとり、さしだした。

 エンジェルは当然のことのように、EDの献身を享受した。

 アンバーは女王だったが、エンジェルは王女さまだ。


「わたしは研究所で生まれたのよ。研究所とガーデンシティーしか知らないの」

「研究所?」

「ダンの研究所」


 エンジェルはドクのことを、ダニエルないし、ダンと呼んでいるらしい。


「君がその場所を知っててくれれば助かるよ。おれたちを研究所へ案内してくれないかな」


 すると、思いのほか激しく、パールが反対する。


「ちょっと待って。この子、人間じゃないんでしょ? どうして信用するの? 油断しちゃダメよ。どんな武器をかくし持ってるかわからないわ。徹底的に調べなくちゃ」


 怒ったように言って、エンジェルにつかみかかろうとする。

 ジェイドが引きとめる前に、EDが立ちはだかった。きびしい目をして、パールをつきとばす。


「なにするのよ!」

「おまえこそ、この子を殺す気か?」


「あたしは調べようとしただけよ」

「今のおまえの勢いでは、この子を殺してしまう」

「ふざけないで! ちょっと、さわろうとしただけじゃない」


「我々が手かげんなしでふれれば、それだけで、この子は傷つく。とても、もろい。竜の卵をあつかうように慎重にしなければ」

「そんなバカなこと、あるわけないじゃない。たぶん、ジェイドの友だちのDが造った、新しいタイプのロボットよ」


 EDはそんなパールを、虫けらを哀れむような目で見た。


「まだわからないのか。エンジェルは生身だ。竜やケモノと同じ、血と肉でできた、生身の体なんだ」


 驚愕きょうがくのあまり、ジェイドは言葉を失った。

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