二章 チェイサー 1—2
EDは油断していたろう。
というより、そんなふうに他人に対して暴力をふるえる人間がいるなんて、思いもよらなかったのだ。
そんな回路をもつ人間など、いるはずがないのだから。
こぶしをかためて殴りつけると、あっけなくEDはふっとんだ。ガラスの羽から壁面にたたきつけられて、EDはフリーズした。
ガラス飾りの羽が壁面とかちあって、涼しい音をかなでる。
いっそ、エヴァンのデータディスクのように粉々になってしまえばいいと思った。
が、EDの全身はウォーターシティーのドームと同じ特殊強化ガラスらしい。華奢な見ためとは裏腹に恐ろしく頑丈だった。超合金の壁のほうが、わずかにへこんでしまった。
「ジェイド! あなた——」
いささか恐怖をまじえた眼差しで、パールがジェイドを見ている。
ジェイドは、また自分が暴走してしまったことを悟った。
意思と体が分離してしまったような、あの感覚が襲ってきた。
ジェイドはひざから力がぬけて、くだけたディスクの上に尻もちをついた。
ようやく、自分が二つに分離した感覚が、すうっとおさまって、ひとつになった。
現実が戻ってくる。
さっきまでのことは悪い夢を見ていたような、悪酔いした気分だけが残った。
「EDは……?」
「この人なら、フリーズしてるだけよ。損傷はないわ」
「よかった」
EDをのぞきこんでいたパールは、あらためてジェイドを凝視してくる。
パールの知らないうちに、ジェイドの頭のなかみが、まったく別のAIにすりかえられてしまったのではないかと、あやぶむように。
「ジェイド……大丈夫なの?」
「何が?」
「何がって……」
パールがジェイドの正気を疑っているのは明白だ。
「なんでもないよ。そんな目で見るなよ」
「あなたのチップに多少の傷があることは知ってたけど……ねえ、ジェイド。あなた、一度、しっかりメンテナンスしたほうがいいんじゃない?」
「調整はしてるよ」
「そうじゃなくて、動力を全停止しないとできないメンテナンスだってあるじゃない」
「うるさいな! おれのパートナーでもないくせに!」
思わず、ジェイドは怒鳴りつけていた。
傷ついた表情で、パールは黙りこむ。
ハッとして、ジェイドは口をつぐんだ。気まずい沈黙がおりる。
ジェイドはパールに背を向け、床いちめんに散らばったディスクの破片やメモリをさぐった。
なんとか解読可能なものがないか調べたが、ICの一つ一つまで入念にふみにじられていて、読みとれそうなものはない。保管庫の引出しごと、床になげだされていた。
「おい、起きろよ」
ふたたび、わきあがってきた怒りが、抑制数値をふりきらないように注意して、ジェイドはかたまっているEDの肩に手をかけた。
外部からの接触を感知して、EDは動き始める。ジェイドを見て、とっさに両腕をクロスして防御体勢をとった。
気どり屋のEDのあわてふためいた姿が、おかしくて、ジェイドの怒りの数値が下がっていった。かわりに笑いの数値が抑制値を上まわりそうで、困ったが。
「殴られないよ。悪かった。でも、あんたがいけないんだぜ。なんで、こんなことしてくれたんだ」
EDは防御体勢のまま、あとずさって間合いをとる。ジェイドが襲いかかっても、充分かわすことのできる距離まできてから、やっと腕をおろした。
「ことわっておくが、襲ってきたのが竜だったなら、私は瞬時に反撃できたのだ。断じて、きさまに性能で劣っているわけではない」
ああ、もう、ホントにこいつは——
「わかってるよ。おれは一千年前の旧式で、あんたは最新モデルの一級品だよ。おれは、なんで、こんなことしたのかって聞いてるんだ」
まだ警戒をとかない目つきで、ジェイドをうかがいながら、EDはグラスファイバー製の髪をさらりとなでた。乱れをととのえてから、冷たい声音で言いかえす。
「私が来たときには、すでにこのありさまだ」
「そんなはずあるか」
「信じられないなら信じなくてもいい。が、私はウソなど言っていない」
つんとすまして、とりつくしまもない。
「それなら、なんで、こんなところにいたんだ」
「きさまに答えなければならない義務などない」
ジェイドは腹が立ってきて、もう一発、殴ってやろうかと思った。
EDは敏感に察知して、あざやかな碧玉の瞳を宙に泳がせる。
「……私はただ、マーブルの以前のパートナーがどんな男だったのか、興味があっただけだ。私と同じEタイプだということは知っていたが」
ウソではないようだ。
考えてみれば、EDにはエヴァンの記憶を破棄しなければならない理由はない。
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