二章 チェイサー

二章 チェイサー 1—1

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 赤外線スコープの赤い視界が、白く濁った、なまぬるい水をてらしている。


 水圧で重くなった足をひきずるようにして、ジェイドは進んだ。


 湖底の泥が舞いあがり、そこにまじったプランクトンが、火花みたいに赤くきらめいて散っていく。


 しつように足にからむ水草をふりほどきながら、なにげなく頭上の水面を見あげると、視界をよこぎっていく大きな影を見た。


 魚……だろうか?

 無数の真珠のような泡を水脈のように長く引いて、優雅に水中を舞っていく。

 そのしなやかな動きには目をうばわれた。


(あんなふうに、かろやかに泳ぐことができれば、水中も楽しいんだろうな)


 四百キロ近い重量のジェイドには、しょせん夢のような話だ。


 だが、せめて、今度、ウォーターシティーへ来るときは、スクリューを取りつけてこようと思った。

 そうしたら、こんな水底を這いずる原始的な軟体動物になったような、みじめな気分は味わわなくてすむ。


 ジェイドはウォーターシティーから東へ、まっすぐ湖岸をめざしていった。

 ウォーターシティーの東は小高い山だ。岸は崖になっている。

 マーブルに言われたとおり、水中を歩いていると、二十分ほどで、ようやく崖下にたどりついた。


 上部をなめるように眺めるが、洞くつらしきものは見つからない。

 赤外線スコープでは、岩穴などは識別しにくい。


(二十メートル登れって言ってたな。もっと上のほうか)


 崖は水草でヌルヌルして、登りにくかった。

 こんなところに好んで冒険に来る愚か者は、たしかにいない。秘密基地としては、いい場所と言える。


(子どもっぽいか。おれはEタイプの秘密主義のせいだと思ってたけど、そう言われれば、シャレっけも少し、あったのかもしれないな)


 通常、ベースキャンプは、シティの住居をそのまま使うことが多い。都市の外だとマザーコンピューターのセキュリティを受けられなくなるからだ。


 エヴァンのように外にある場合は、盗難被害などをふせぐために、危険な僻地へきちに隠されていることが多い。


 この岸壁も翼竜の巣があるし、大切なAIを守るため水中をさけようとする防衛本能が人間にはある。ベースキャンプにはいい立地条件だ。


 おかげで、崖をのぼるのに苦労させられて、洞くつの入口を見つけたのは、さらに十五分ののち。

 かなり急な傾斜で奥へ続いている。奥へ進むと浸水はなくなった。


「わたし、当分、水のなかはコリゴリ」


 パールが心からの叫びのようにグチっている。


 ジェイドは笑ってから、周囲をながめた。エヴァンのベースキャンプは、どこにあるのだろう。

 キーカードを使用して開閉するのだから、カードを挿入する読みとり機か、少なくともカード一枚ぶんのすきまはあるはずだ。


「パール。君も注意して、このカードの入りそうなすきまを見逃さないでくれよ」


 だが、そのときだ。

 ジェイドは前方に光を感じた。視力を赤外線から、通常の光探知スコープに切りかえる。


「外につながってるのかしら?」

「いや。あの光は電光だよ。自然光じゃない」


 いやな予感がした。

 ジェイドは走りだす。

 すねを何度かつきだした岩にぶつけたが、ムダな痛点は作ってないので、痛くはない。気にせず、ガンガン、ぶつけながら走っていく。


 まがりくねった急勾配をのぼっていくと、しだいに光は強くなった。

 はっきりと岩肌にひらいた入口が見えた。改造用の機器類だの調整機だのが、電光のなかに浮かびあがっている。


 急いで、その入口のなかにとびこむ。 金属で完全に岩肌をおおった人工の部屋。


 その奥に男が立っていた。

 全身が純白に輝くように美しい、エヴァンと同じ顔の男。

 背中のガラス細工の羽から、まだわずかに水滴がしたたっている。


 ジェイドは自分が湖底をはいずっていたとき、大空を舞う白鳥のように、典雅に水中を泳いでいった影を思いだした。あれは、この男だったのだ。


「あんた、ここで何してるんだ!」


 カッと、感情パラメータの抑制をふりきって、怒りが人工知能をかけめぐる。


 EDの足もとには、エヴァンのバックアップした過去数千万年ものデータディスクが、割られたり、粉々にくだかれたりして散らばっていた。


「なんてことしやがるんだ! アンバーを殺した犯人をつきとめる、大切な手がかりだったのにッ!」


 つかみかかっていくと、EDは侮蔑的な目をジェイドになげてくる。


「私にさわるな。けがらわしい」

「きさまッ——」

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