一章 マーダー

一章 マーダー 1—1

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 夢を見た朝は、いつも気分が悪い。

 頭痛がするのは、損なわれたメモリチップが、夜通し作動していた証拠だ。


 ジェイドは調整機から抜けだすと、舌打ちをついて、衣服をまとった。


 ドームの外は熱帯だが、シティのなかは快適に保たれている。

 だから、どんなファッションだって、かまわないが、何千万年も生きていると、いいかげん着飾るのも飽きてくる。

 洗いざらしのコットンパンツにシャツを一枚ひっかけて、ふと鏡に映った自分の姿を見たジェイドは、ため息をついた。

 頬にオイルの流れたあとが、すじになって残っている。

 夢を見ながら、また泣いたのだ。


(アンバー……)


 夢のなかのアンバーは、いつも、たったいま、そこにいるように鮮明なのに、目覚めると、悲しみの余韻だけ残して消えてしまう。


 アンバーが死んで、もう二百年になる。それでも、いっこうに悲しみは軽くならない。


 アンバーの思い出のしみついたオレンジシティーから、このキューブシティーに、ベースキャンプを移したのも二百年前だ。

 新しい街で時がすぎれば、いつか傷も癒えるかと思った。が、癒えるどころか、ますます傷口はひろがっていく気がする。


 それも、しかたあるまい。

 十日に一度は調整機のなかで、強制的にあの夢を見せられるのだから。


 いったい夢のなかで、何度、アンバーを殺されたことだろう。

 何度、あのときの絶望と悲憤を味わえば許されるのだろう。

 許されることなどないのだ。大切な伴侶を守りきれなかった者に、決して安眠は与えられない。


 それでも生きていかなければならないのは、自己破壊に対する禁止が、重要プログラムにインプットされているからだ。


 自分や他人への破壊行為禁止は、人間の基本中の基本のプログラムである。

 それだけが今でも疑問だ。

 あのとき、アンバーはたしかに、誰かに『殺されて』いるように見えた。不慮の事故にしては、落下物など見あたらなかった。


 それに、あんなふうに、自分で自分自身の回路をグチャグチャにかきまわすことなどできるはずもない。破壊が人工知能に達する前に、安全装置が働いて、すべての動作が緊急停止してしまう。


 ということは、誰かに故意に破壊されたとしか考えられないのだが、はたして禁則プログラムに反して、破壊行為をおこなうことのできる人間など存在するだろうか。


 アンバーの死は正式には事故死として処理されたが、謎の多い死であった。


 眠りの悲しみのあとには、いつも、この疑問が残る。


 ジェイドは永遠に解けない数式をつきつけられた数学者みたいな気分で、単身者用のせまいコンパートメントから外へ出た。


 とにかく気が滅入ってしかたがない。気分転換がしたかった。

 こういう日には、誰でもいいから人間のいる場所に行って、人々のさざめく声を聞いていたい。


 ハッチをあけて一歩でると、無重力空間だ。


 キューブシティーは球形のシティだ。

 内部は中央にコントロールルームなどのあるコア。

 その周囲の無重力空間に、キューブ状コンパートメントが無数に浮かんでいる。


 シティ全体が回転することで遠心力が働き、重力が保たれている。

 そのため、コンパートメントキューブは外壁近くに集中して、コアを包む輪っかになっている。


 ジェイドの家は比重が軽く、コアに近いあたりでまわっていた。

 自分の家を踏み台にして飛ぶと、もうコアだ。


 コアは内部にシティを管理するマザーコンピューターなど、人体の脳や心臓にあたる部分が統括されている。

 なので、コアの内部には誰も入れない。

 ただ、コアの表面は地表として使えるので、公園や繁華街になっていた。公園には人造樹が立ちならんでいる。

 パーツ探しくらいしか仕事のない人間たちは時間を持てあましている。たいがいは、このコアの上をそぞろ歩いていた。


 日ごろ、あまりコンパートメントから出ないジェイドには、とくに行きたい場所もないのだが。


 パートナーどうしで語らう他人の幸せそうな顔など見たくはなかった。

 ジェイドはコアの表面に、ふわりと降りたつと、公園はさけて、すぐに繁華街に向かった。朝っぱらから酒というのもなんだが、一時的に人工知能の働きを緩慢にしてくれるトリックオイルが飲みたい。


 酒場へ行こう。

 そこなら、ジェイドの数少ない友人がいるかもしれない。


 ミュージアムやスタジアムなど、お上品な建物のすきまに、酒場の多くはあった。

 なにしろ、シティの総面積が限られているから、大きな建物のすきまへ、そのすきまへと、小さな建物が次々に造られていき、しだいに迷路のように複雑でゴチャゴチャになっている。


 ジェイドの行きつけの酒場は美術館の裏手にある。

 通称、絵画通りと呼ばれている路地のなかほどだ。名前は格調高いが、実態は、ひどいガラクタ置き場みたいな通りだ。


 行きつけのバー『タブロー』も、名前とは似ても似つかない、安っぽい量産型のオモチャのよう。派手にネオンで飾っていて、ちょっと見カワイイけれど、お世辞にも上品とは言えない。


 ごみごみした路地裏を、木箱や客引きや、リサイクルされそこねた空きカンなどをよけながら、タブローまで歩いていく。


 と、店の前で、さっそく友人を見つけた。戸口の無銭飲食防止の電磁ロックに捕まって、もがいている。


「J……A……」


 古い友人のエヴァンだ。

 基本人格プログラムはEVAN。

 ジェイドをJAと呼ぶのは、この街ではエヴァン一人だ。


 ジェイドが、まだJAの人格チップしか持たなかったころ、エヴァンとは知りあった。

 その後、DとEのチップを足して、現在のジェイドの型式はJADE。このうちのEのチップは、エヴァンにわけてもらった。


 人格を形成する人格プログラムはAからZまでの二十六タイプ。

 人格チップは小分けにできるので、一部を交換したり、コピーさせてもらうことで、多種多様なパーソナリティが生まれる。


 Eのチップをわけてもらったころのエヴァンは、男性型のジェイドから見ても、かっこよかった。ちょっと権高なところはあったが、見ための美しさはもちろん、立居振舞がとにかく洗練されていて、人目をひいた。


 Eタイプの基本人格プログラムは、ひじょうに優秀なエンジニアだ。次々に新しいシステムを開発して改造をかさねていくので、つねに機能は最新式。誰にも真似できないような特技を持っていることが多い。


 エヴァンも、そうだった。

 スマートなボディーに高性能な機能を山ほど隠し持っていて、そのくせ、外観はオーソドックスなヒューマノイドにこだわっていた。


 長い黒髪に緑の目がセクシーだった。


 古いデータファイルを見つけたのだと言って、燕尾服なるものを一時期、好んで身につけていた。


 優美なエヴァンが、そんな時代がかった衣装をまとい、長い足を誇示するように颯爽さっそうと歩いていく姿は、ほれぼれするようだった。


 アンバーの気持ちがエヴァンに移りはしないかと、内心、ジェイドはハラハラしていた。

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