タイプJ
涼森巳王(東堂薫)
プロローグ
プロローグ
アンドロイドは
終わることのない夢を。
夢のなかには、いつも、あの人の笑顔があった……。
自分が夢を見ていることは、とっくにわかっていた。
眠りのたびにくりかえされる、あの夢だ。
アンバーが笑っている。
アンバーは長いあいだジェイドの伴侶だった。
夢のなかに出てくるアンバーは、決まって、ジェイドが彼女に出会ったときの、オリジナルボディーのアンバーだ。真っ白い肌と金色の髪の『フランス人形』のアンバー。
フランス人形は、アンバーのオリジナルボディーの愛称だが、なぜ、そんな名がついたのかはわからない。
ドールの意味はわかるにしても、フランスの意味するところが謎なのだ。
だが、考古学者のあいだでは、ドールの上にフレンチがつけば、金髪に青い瞳の美女を形容する名詞になるらしい。
たしかに、アンバーのオリジナルボディーは美しい。
他のどのタイプのボディーより。
ここ数万年の流行のメタルフレームの装甲板をむきだしにした銀色のボディーや、スケルトンボディーなど、遠くおよばない。
それにしても、夢のなかのアンバーは、ジェイドの記憶ファイルに残る、どの記憶より、しなやかに優美に動いていた。
ほほえみの形さえ、夢のたびに違っていた。
彼女の表情配線は、千もの異なる微笑を生みだすことができるかのようだ。
夢のなかで、ジェイドはアンバーに笑いかえしていた。アンバーと笑いあい、会話をかわし、幸福そのものだ。
けれど、ジェイドは知っていた。この夢が最後には、悪夢に終わることを。
初めは、ごく日常的な一場面。
それが、いつのまにか、あの日の光景へと変わっていく。
夢のなかでは、ジェイドはオレンジシティーを見おろす丘の上に立っていた。
あのころの自分がベースキャンプにしていたオレンジシティー。
つねに都市の真上にオレンジ色に輝く人工衛星のマーズがあるので、その名がついた。
パーツ集めの旅に出て、すでに二十年が経っていた。かなり遠征したので、ずいぶん時間がかかってしまった。
早く、アンバーに会いたい。
あの都市に入れば、アンバーに会える。
アンバーの今のボディーは使用限界に近づいていた。そろそろ新しいボディーに、AIを移しかえなければならない。
AIを移しかえるあいだは、ボディーの電力を完全に止めなければならない。ボディーチェンジには、当人以外の誰かの手が必要だ。
ジェイドとアンバーは長いあいだ、たがいに、その処理のペアを組んでいた。そう。もう三千万年にはなる。
ジェイドはアンバーのAIを移して、彼女を再生させる。アンバーはジェイドを。
そうして、二人の時間は永久にくりかえされる。
今回もまた、アンバーの新しいボディーに、魂を移して生まれ変わらせる。
そう約束して別れてから、二十年が経っていた。
ようやく、オレンジシティーを目の前にして、ジェイドの感情パラメータは、かなり平常値より上昇していた。
ガラスの箱のなかにオモチャをばらまいたようなオレンジシティーへと、勇んで入っていく。
だが、夢を見ているジェイドのほうには、これが悪夢の始まりであることが、嫌というほどわかっていた。
これまで何千回となく、同じ夢を見ているのだから。
だめだ。やめてくれ。これ以上、見たくない……。
そう思うのだが、夢を覚ますことは、ジェイドにはできない。
これだから眠るのは嫌なのだ。
定期的にオイル交換などのために、調整マシーンに入らなければならないのでなければ、二度と眠りたくはないのだが。
夢は一時記憶用のハードディスクから、必要なファイルだけを長期保存用のメモリに書き写すときに起こる、ちょっとした記憶の混乱だ。
蓄積されたメモリファイルにチェックが入ることで、ふだんはしまいこまれている古い記憶がよみがえることは、誰にでもある。
ただ、ジェイドの場合は、あの日、あの瞬間に、あまりにも強い衝撃を受けたことで、その箇所のメモリと、いくつかの処理装置を傷つけてしまった。
だから記憶処理のたびに、一番、見たくない、あの記憶がよみがえってしまう。傷ついたレコードが、何度も同じ旋律だけをくりかえしてしまうように。
ジェイドはオイルの涙を流しながら、夢を見ていた。
夢のなかの自分は、はずむような足どりで、彼とアンバーに割りあてられた二人用コンパートメントに入っていく。
「アンバー。帰ったよ。なんで出迎えてくれないんだい? 君の体内レーダー、にぶくなってしまったのかい?」
アンバーはゴージャスに見えるけれど、じつはけっこう、さみしがりやだ。
いつもなら玄関口でとびついてくるのに、その日に限って、ジェイドが入口のハッチをくぐっても、なんの反応もなかった。
コンパートメントは無人のように静かだ。
それに……さっきはアンバーをからかって、レーダーが鈍いなんて言ったけど、ジェイドのレーダーこそ、どうかしてしまったのだろうか。
アンバーの個体識別情報を発する電磁パルスが感知できない。
たとえ調整機で休眠していても、全停止しないかぎり、微量の電力は感じられるはずだ。
「アンバー?」
返事はなかった。
ジェイドは玄関からリビングにまわった。リビングルームは真っ暗だ。やはり、誰かがそこにいる反応は探知できない。アンバーは出かけているのだろうか。
ジェイドは照明のスイッチを入れた。
とたんに、リビングの中央に、それが見えた。
彼女の好きな淡いピンク色のソファーからずりおちた、アンバーの姿が。
まるでアンバーは、ジェイドを見て微笑んでいるかのようだった。
お帰りなさい。ジェイド。待ってたのよ——
そう言いださないのが不思議なくらいだ。
「アンバー……」
ジェイドはエネルギー反応のないアンバーにかけよった。
きっとアンバーは、体内の発電システムに不具合が生じたのだ。なにしろ、この前ボディーをかえてから、三千年以上になる。
大丈夫。AIにさえ損傷がなければ、アンバーを再生することはできる。
大丈夫、大丈夫と、自分に言い聞かせ、横倒しになったアンバーを抱きおこしたジェイドは、そのまま、気が狂いそうな感情の波に全身をゆさぶられた。
事実、そのとき、ジェイドの感情抑制装置の回路はショートしてしまった。
アンバーの自慢のブロンドの頭部は、床に落としたビスクドールみたいに粉々になっていた。大穴があいて、大切なAIが、無残にもメチャクチャに破壊されていた。
アンバーの倒れていた床に、オイルがいちめん、琥珀色にひろがって……。
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