25 テイクオフ

 簡易的なものではあったものの、アリスの騎士叙任式は無事に終わった。沸いた周囲の妖精達も落ち着きを取り戻し、女王であるピブルを間近で見ようと周囲をうろうろしていたり、挨拶をしたり、あるいは新たな妖精騎士であるアリスや、鏗戈妖精であるユーナの周りで観察していたりと、その好奇心を遺憾なく発揮している。

 ピブルも少しほっとした様子を見せ、蔓のアーチの上で座っている。傍らには、守護の樹の中で見た皮鎧を着た妖精と、研いだ小石の短剣を腰に下げた妖精が警護の為に付いている。とは言え、その二人の警護の妖精も落ち着いた雰囲気を見せている。

 アリスとユーナは周囲の妖精と歓談をしつつ、幼い妖精から木の実や果実を受け取ったり、ある者はフィヤの見舞いをしていたりと、しばしの緩やかな時間が流れていた。

 そこで、ユーナがふと気付いたようにピブルに言う。

「あ、女王様ー。アリスの、契約の対価はどうするんですか?」

「そうですね。少し落ち着いてから話を詰めようと思っていたのですが、今でも良いかもしれません」

 自分にも関係がある事だろうと感じたアリスは、周囲の妖精達から少し離れて、アーチの前に戻った。背の低い草が生える地面に座り、フィヤが入る籠は地面にそっと置いた。

 話をする輪が出来た所で、ピブルが話し始める。

「先程も話しましたが、我々は騎士の働きに応じて褒美や褒賞を与えているのです。女王と契約した騎士は森を護り、そして褒美を得る。言ってしまえばこれだけの簡単な仕組みです」

 アリスは首を傾げた。やはり、まだ対価として得たいものが具体的に思い浮かばないのだ。

「じっくりと決めて頂いても構いませんよ。途中で対価を変える騎士もおりましたし、我々もそのつもりでございますから」

「結構、自由なんですね。契約って言うからてっきり……」

「正式な書面や、魔法を使った魂への束縛もありませんから。ただ、口約束では無い事は我々の威信と名誉にかけて、我々が可能な限りの褒美を用意する事を誓いましょう」

「う、うーん」

「勿論、まだ決めかねていると言うのならそれでも構いませんよ。お心に正直な対価を」

 ピブルの、妖精の本気の想いなのであろう。アリスは迷って、少し顔を俯かせた。籠の中のフィヤを見る。

 そうだ、と呟いてアリスはピブルに問う。

「あの、フィヤの怪我! 失った身体までは無理かもしれませんけど、フィヤの怪我の治療と、その後の生活を助けてあげて下さい」

 突然呼ばれたフィヤが籠の中から身を起こす。驚いた顔で、右手を胸に寄せる。

「そんな、アリス様! 私は良いのです。アリス様の願いを、対価をお求め下さい」

「でも」

 二人の言葉をピブルが制した。

「フィヤの怪我と今後の生活については私が女王として、助ける事を約束します。これはフィヤに限らず呪猖によって傷を負った全ての者に対して、妖精族が一丸となって取り組むべき事。以前からそうでしたから、アリス様が改めて願う必要はありません」

 その言葉にユーナが続けた。

「そっか、呪猖に襲われて怪我をした妖精って、あんまり居ないから……」

 それはつまり、怪我をする間に即死するか、助からなかった者が大半という事を意味するのだろう。アリスは渋面を作る。フィヤは重症だが、それは奇跡的とも言える生還なのだ。

 アリスは顔を上げた。太陽は天高く昇っている。柔らかい陽射しが森の木々に降り注ぎ、ふとした小さな風が枝葉を騒めかせる。そして、空に浮く浮遊している樹が、陽光を浴びてその存在感を示している。

 この異世界においての、アリスの足元は未だに不確かなものだ。今は妖精騎士となった事で、一歩を踏み出せるだけの小さな足場がある。

 しかしそれだけで、たったの数日の出来事で、これまでの事を無かった事には出来ない。アリスは自分の履いている靴に意識を向ける。改造フライトブーツを作り出せたその知識の源流は、パイロットである父と、登山を趣味としていた母だ。

 そして傍らに鎮座している巨大な異形の戦闘機へと鏗戈したユーナの、そのイメージの源流は父からのものだ。今着ているセーラー服も、ほんの数日前までは母が洗濯をしアイロン掛けをしてくれていたものだ。全ては、アリスの日常にあったものなのだ。

 今、それは無い。足元としては消え去った。だからこそ、アリスは願った。

「女王様、あの。わたしの願いの一つです。星渡りを……元の世界に、戻りたい、です」

「アリス様、それは……」

「難しいのだろうって事は何となく解ります。でも、調べて頂けませんか? この死霊の身体でも、少しだけでもいいから戻れる方法とかがあれば……せめて手紙を送るとか、それだけでもいいんです。その方法を探して欲しいです」

 その言葉にユーナが心配する様に語り掛けた。

「アリス、やっぱり帰りたい……?」

「えっとね、実際に帰るかどうかは、よく解らないの。実現してもその時にまた迷うと思う」

 アリスは少し黙ってから、ピブルの方に振り向いた。足を揃えて、両手を軽く握り締め膝の上に置く。

 その場に居た全員がアリスの次の言葉を待っていた。

「あの、やっぱり、自分はまだ子供なんだと思います。どうしても、お父さんとお母さんを、元の世界を諦めきれないです。一生無理でも、でも女王様達が方法を探してくれているって解っていれば、きっと、耐えられる……かなって」

 眉を寄せつつ、絞り出す様に言うアリスのその言葉を、ピブルは頷き、受け止めた。

「解りました。心得のある者に調べさせましょう。それと、東の森の女王とも連絡を取ります。東の森には『学者』の二つ名を持つ妖精騎士がおります。他にも『宿星』の名を持つ、占星術に秀でた騎士もおりますから、その方も探してみましょう。助力を頼めるやもしれません」

「なんだかその、ごめんなさい。無駄になっちゃうかもしれないものだから……」

「我々妖精は自然の中から生まれるが故に、親子の絆という感覚が薄いのです。アリス様のご両親を想う気持ち、郷愁の念は我々には得難き尊いものでございましょう。どうか大切にしてくださいまし」

「……ありがとうございます」

 アリスは座した姿勢のまま、深く頭を下げた。そして頭を上げた時には、先程までの弱々しさを滲ませた顔では無かった。

 ピブルに顔を向けたままアリスは話を続ける。

「もう一つ、お願いがあります。この森での生活の仕方を教えて下さい。今朝、オエゴーエブさんの家で、ワエユとナギュって子達に朝ご飯を作って貰いました。わたし、自分でもご飯が作れるようになりたいです。元の世界に帰りたいって思ってはいますけど、でもこの森でも生きていきたいって、そう思っています。人間の国も知りたい。わたしは何も知らないから……教えて下さい」

 その真剣な表情に、ピブルは微笑みながら頷いた。

「勿論でございます。そうですね、ワエユとナギュならば任せても大丈夫でしょうが、近くに住む妖精達にアリス様の生活を助力する様に伝えましょう。アリス様ならばきっと、その中から多くの事を学び、会得していけるはずです。それでも困った事があれば、相談なさってください。我々は必ずアリス様に報いましょう」

「ありがとうございます」

 アリスは再び、深く頭を下げた。そして顔を上げた時、アリスは笑みを浮かべていた。

 まだ巣立つには未熟で、しっかりとした生き方を定め切れてはいない少女。その何も持たない両手には妖精達が手を差し伸べようとしている。未だ道にもなっていない歩んだ先は暗く、見据える事は出来ない。しかし自身の足元を探り探りに踏み締め、一歩を踏み出した。

 アリスは、妖精騎士アリスとして、この世界にその一歩を踏み出したのだ。


「この後はどうするの?」

 ユーナが誰ともなく聞いた。その声にアリス以外の全員が新たな妖精騎士に顔を向け、無言の問いをかける。

 アリスは周囲の視線に少し驚きはしたものの、少し中空を見て考える素振りを見せつつ、視線をピブルへと向けた。

「ちょっと考えている事があって、それで女王様に許可を貰おうと思ってます」

 ピブルは小首を傾げて微笑み、言葉を返す。

「どうぞ。仰ってくださいまし」

「ユーナと飛ぶ練習をしたいです。まだ判らない事があるのと、調整する事があります。それで、ある程度の高い所を飛ぶつもりですけど、騒音とかが……うるさいかもしれないです」

「構いませんよ。例えどの様な力を持とうとも、研鑽なくして本領を発揮する事は難しいでしょう。騎士の鍛錬ともなれば、それに異を唱える者はおりませぬ」

「ありがとうございます。それと、西の森の各地にある守護の樹、後で地図とかが欲しいです。虫鐘は一杯あるみたいだけど、それも地図に描けるなら欲しいです」

「守護の樹の地図ですか……言われてみれば、我々も、オエゴーエブ様も、知識と経験から必要としておりませんでした。確か古い物があると思いますが、良い機会です。新たに作り直しましょう」

 口元に指を当てつつ喋っていたピブルが、その手を傍らの妖精へと向けた。その妖精は頷くと、何人かの妖精を集めて守護の樹の中へと入って行った。恐らく、地図を作る為の準備に取り掛かるのだろう。

 それを見送ってからアリスが続ける。

「多分、ユーナの強みの一つは機動力なんです。守護の樹が守りの要所になるのなら、そこに急行出来れば出来る程、有利になります」

 そこで、あっと思い出したかのように声を出したユーナが続ける。

「そうだ、方角を知る魔法。あれが使えるか後で試してみようよ。ここの守護の樹の位置が解れば、他の守護の樹に向かう時に助かるよね」

「うん、それだ」

 アリスは両手をぱちんと叩いた。今の所、ユーナに搭乗していて方角を知る方法は天体の方角しかない。これも後で調整をしていくつもりだが、もし方角を知る魔法がそのまま使えるのならば、今この位置を主軸に相対的な仮の方角を決められる。

 他にも必要なものは多い。本来の方角を知る方位計、速度計、高度計、主翼やスタビライザーの出力を可視化する必要もある。とにかく、一般的な航空機で言うアビオニクス、操縦や飛行の為の情報が欲しいのだ。

「ユーナともっと良く飛べる様にならないとね」

「うん。色々教えて、アリス。私は良い鏗戈妖精になってみせるから」

 アリスがユーナに向かって微笑む。ユーナの無機質な白い表面は表情を持たないが、しかしその発する言葉から心情は伝わる。

 今確かに、アリスとユーナは、操縦者と航空機として更に手を取り合ったのだ。

 そして妖精騎士が鏗戈妖精と良き状態にある事は、周囲に安心感を与えるものであった。ピブルは二人の初々しい様子を微笑ましく眺め、籠の中のフィヤは二人を眩しそうに見つめている。

 アリスはピブルに振り向いて、うんと一つ頷いた。

「それじゃあ女王様、ユーナと……」


 ――リン。


 鐘が鳴った。

 全員が目を見開いて背を伸ばす。その様子から、聞き間違いの類ではない、


 ――リン。――リンリンリン。


 小さな鐘の音は唱和する。次第に木々の葉のざわめきの様に広場全体を包んだ。

 真っ先に動いたのはピブルだった。

「虫鐘です! 周囲の者を守護の樹の周りへ!」

 号令と共に、妖精達が一斉に慌ただしく動いた。周囲に大声で呼びかける者、幼い妖精を連れてくる者。その表情は皆一様に必死だ。一瞬で周囲は騒然とした雰囲気となった。

「怪我人を守護の樹の中へ!」

 フィヤの籠の傍にいた妖精達が素早く籠を掴み、運び出す。籠の中のフィヤが慌てて声をかけた。

「アリス様、ユーナ、無事にお戻り下さい!」

「うん……!」

 アリスはフィヤが運ばれるのを確認すると、弾かれた様に素早く立ち上がり、ユーナの操縦席が開き始めたその隙間に転がる様に潜り込んだ。

 操縦席の座席に座り、三点式の固定シートをロックした。右手を操縦桿に、左手をスロットルレバーに添える。右手側の台座の上にユーナの立体映像が映し出され、正面、左右、後方の視界が見える様になり、操縦席が完全に閉じた。

 ピブルが座っていた草のアーチが徐々に解かれていく様子が見えた。アリスが叫ぶ。

「女王様、離れて下さい、離陸します! それと虫鐘はどっちから聞こえていますか!」

「北の方角です! 先日の竜の様な大きな呪猖である可能性は低いですが、何が現れるか判りません。どうかお気をつけて。ご武運を」

 ピブルも叫ぶ様にユーナへと語ると、傍仕えの妖精達に護られながら守護の樹の中へと入って行った。

 操縦席の中で、アリスは一度大きく深呼吸をした。虫鐘が鳴らされたと言う事は、呪猖が出たと考えて間違いない。しかし、どういったものが出現したのかまでは判らない。小さな花の呪猖かもしれない。大きな竜の呪猖かもしれない。今回も、上手く戦えるかは全く判らない。

 それでも。

 フットペダルを左右交互に踏んだ。後方を振り返り、主翼が動いている事を確認する。操縦桿を上下、左右へと動かし、主翼やスタビライザーの噴炎口のパドルが動いている事を確認する。

 主翼からは甲高い音が響いている。既にユーナが離陸の為に主翼に火を入れていた。アリスは左手のスロットルレバーをゆっくりと前へと押し込む。

 ユーナの主翼から白い炎が噴き出し、その巨体を持ち上げていく。広場にはユーナが生み出した強い風が吹きつけており、地面に生える草や木々の枝葉が波打っている。妖精達は、その風に吹かれながらも、徐々に上昇するユーナを見上げていた。

 守護の樹の高さを越えた辺りの位置で、フットペダルを軽く踏んで方角を調整する。北の方角。虫鐘は未だに鳴り響いている。

 空から見る森の地平線。その先をアリスは見据えた。何が待っているかは判らない。心臓の鼓動が高まる。勢いで飛び出したが、正直に言えば恐ろしい。戦う事が怖い。

 それでも、それでもなのだ。

 振り返って下方を覗き込む。広場の妖精達が手を振っているのが見えた。

 アリスは妖精騎士だ。

「ユーナ」

「飛べるよ。行こう、アリス」

「うん……!」

 スロットルレバーを前に押し込んだ。ユーナの主翼に並ぶパドルが白い炎を制御し、後方に並び立てる。スタビライザーが鋭く伸び、小さく白い炎を噴き出しながら機体の姿勢を制御した。

 力強い推進力が機体を前に滑らせる。そのまま加速し、機体は風を捉えた。白い炎を青空になびかせ、甲高い音を響かせる。速度が増し、森の木々が次々と後方に流れていく。

 更に高度を上げて、アリスとユーナは森の上空を進んだ。

 少女と妖精が空に舞う。

 その光景を、木々や草花の影に隠れていた妖精達が見上げる。

 森に住む動物達が見上げる。

 そして。

 その光景を、白銀の長柄武器を携えた赤髪の男が見上げていた。

 また別の場所で、白銀の装飾短剣を携えた白髪の女が見上げていた。


 操縦者である騎士を乗せて、白く輝く異形の航空機となった妖精ユーナが空を翔ける。

 妖精騎士アリス・藤宮マリークラリッサ。


 出撃。




   終


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これにて完結となります。評判が良ければ第2部という形にて続きを書きたいとも思っておりますが、ひとまずここまで。お読み頂きありがとうございました。

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天空のフェアリーロード 捨野いるか @delphinus_as

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