22 大きな妖精、小さな妖精

 アリスは玄関先で、新たに履く事になった改造フライトブーツの爪先を、とんっと蹴って扉を開けた。柔らかい朝陽と、草木と土の地面で放つしっとりとした空気がアリスの身体の中に染み渡る。

 初めてこの森で目覚めた時と同じ、不思議な森だという感想を胸中に抱き、振り返って家の中を見た。

 朝食の跡片付けを終えたワエユとナギュが机の上で足を伸ばし、そして文字通り翅を伸ばし、くつろいでいる。ワエユがアリスの視線に気づいて、手をひらひらと扇ぐ。

「いってらっしゃい。あたし達はこの家で適当に過ごしていますわ。夜に戻るなら、夕飯を適当に作りますから」

「気を付けてなー」

 ナギュも手を扇いでアリスを送る。

「うん。それじゃあ、行ってきます」

 アリスは玄関を出た。

 その先は通学路ではない。草木の生えた地面に足を付けて、柔らかい感触をしっかりと踏み締める。そのまま右に曲がり、家の西側へ。

 この家にほぼ生着している守護の樹。その影が降りて、陽射しが和らいでいる空間に、陶磁器の様な白い構造の表面を輝かせる巨大な機体、ユーナが居た。機首の正面に立って、その先端を両手でそっと包む。ひんやりとした感触がアリスの両手に伝わる。

「おはようユーナ」

「おはようアリス」

 やはり、不思議な発声のユーナの凛とした声が、機体の表面から聞こえてくる。挨拶をしたユーナがそのまま言葉を続ける。

「何だか良い匂いがする」

「鏗戈(うか)しても匂いって判るんだ。朝ご飯、作ってもらったんだ。ディのパン……グフィオフだっけ」

「あー、あれ美味しいよね! ディってこの森だとあんまり生えてなくて、粉にするのが面倒だから、私はあんまり食べた事無いんだ」

「ユーナは……その身体になって何か食べる? 燃料が必要なのかな……」

「ね、燃料? 食べ物は必要ない、のかなぁ。お腹が空く感じはしないよ。飛ぶと魔力が減るのは判るんだけど、夜の内に一杯になっているみたい」

「食事をする口みたいな所って残ってる? あとは……」

 アリスの頭の中に父の乗る戦闘機の姿が浮かぶ。もし口と表現する様な場所があるとしたら、燃料を入れる給油口、そしてもう一つ。

「エアインテーク、とか……」

「なにそれ」

「空気を取り入れる口だよ。そういうのってある?」

「あ、それならあると思う。翅の付け根の所かな、飛ぶ時に外の空気が入って来てる気がするんだ」

 アリスは機首から主翼の付け根にまで移動し、空に伸びる主翼を上から下へと眺める。その接合部付近をうろついて観察し、細部を確認した。主翼とスタビライザーは、ほんの僅かな接点だけで基部と接続しており、ほぼ浮いていると言った方が近い。

 そして主翼の付け根、その底部に太めのスリットがある事に気が付いた。覗いて見たものの内部は暗く、陶磁器の様な白い構造が奥にまで続いている以外には判らない。そのスリットに指先を乗せる。

「ここかな」

「多分そこだと思う。そうだ、息を吹きかけてみて。判るかも」

 言われた通りに、アリスはスリットの奥に向かって、ふうと息を吹きかけた。周囲の空気と共に、吐いた息は奥へと消えていく。

「あ、ここ。風が入ってくる。わっ凄く良い匂いする。焼いたグフィオフの匂いだ」

「……後で歯磨きどうするのか教えて貰おう」

「うん?」

「何でもない」

 主翼の下に潜り込む姿勢になっていたアリスは、一歩引いて再びユーナの全体を見渡した。

「ここがエアインテークだとして、動翼とエンジンが一体の構造になってるんだね。そう考えると凄いかもしれない」

「凄いの?」

「でも弱点にもなっちゃう。後で色々考えよう。それで、ここから空気とか魔力とか吸い込んでるのかな」

「多分。うーん、自分の身体の事なのに全然判らない」

「……わたしも。一緒に飛ぶんだし、二人で考えていこう」

「そうだね、一緒に。ありがと」

 アリスが機首の部分にまで戻ると、ユーナはその挙動を察したのか操縦席を開いた。

 その隙間に腕と片足を乗せて、転がる様に入り込み、そのまま座席に座る。フットペダルの位置に足を持ってきて、新しい靴である改造フライトブーツでの踏み心地をそっと確かめる。的確かつ確実にペダルを踏める事を確信して、操縦桿に右手を、スロットルレバーに左手を添える。

 同時に操縦席が閉じられ、内部が光で満たされ外の景色が一望出来るようになった。右手側の台座に、妖精ユーナの姿が像を結ぶ。翅をぴんっと伸ばして、口元には笑みを湛えたユーナの表情は自信に溢れている。

「飛べるよ」

 その声にアリスが頷く。

「女王様の所に行こう。フィヤのお見舞い。あと聞きたい事とか、話したい事もあるし」

「うん」

 甲高い音が主翼から響く。空に伸びていた主翼が横に展開され、白い炎を地面に向けて噴出する。アリスの両肩と腰を、不可視のロックがかかる。

「これ、わたしを固定しているの、見える様に出来る?」

「ちょっと待って。……形がある。これかな? はい」

 一瞬、光の粒子が散ったと思った後には、白いベルトが装着されていた。両肩のベルトが腰の中央で固定され、そこから更に腰回りと、股の間を通して座席の下へ固定する、三点式の物だった。色こそ白いが、アリスが思い描いていたパイロット用の固定ベルトだ。

 今までは見えていなかったが、恐らくは元よりこの形でアリスを座席に固定し、無茶な機動から身体を守ってくれていたのだろう。

「うん、ぴったり。……よし、行こう」

 姿勢を正し、スロットルレバーを徐々に押し込む。座席越しに浮遊感、すぐに機体が浮かび上がった。

 守護の樹の枝葉にぶつからないように徐々に高度を上げ、適度な所でユーナの判断により主翼が後方に向けられる。機体は滑る様に空へと飛び出す。アリスは操縦桿を握り、機体を女王の座す守護の樹の方角へ向けた。

 主翼から白い炎が噴き出し、機体は一気に加速する。


   ◆


 女王の座す守護の樹は、アリスが一晩を過ごした樹と比べ、やはり二周りほど大きい。枝葉の陰には多くの妖精が過ごしており、仲間と遊んでいるものや、葉で遮られた柔らかい朝日の中で眠る者もいる。しかし、その半分ほどは枝の上に立ち、守護の樹の前に広がる空間に目を向けていた。そして、広間に居る者は空を見上げている。

 上空にはユーナの姿があった。主翼を下に向け、非常にゆっくりと下降している。広間の妖精の何人かはその光景を見て、ユーナが着陸する事を察したのだろう。周囲の妖精たちに声をかけて下がらせ、自然に円形の空間ができた。

 そこを着陸地点と定めてからは、ユーナの動きはスムーズに進められ、あっという間に着地した。主翼を下ろし、操縦席が開いた時には、内部のアリスも固定ベルトを外し始めており、すぐにでも外に出られる様子であった。

 だが、それよりも好奇心旺盛な妖精たちの方が早い。既にユーナが鏗戈(うか)をして、異形の存在になっている事はこの周辺の妖精に伝わっている様で、アリスやユーナに群がる妖精達が質問攻めにする。

 アリスは固定ベルトを外し、操縦席から降りながら周囲の妖精の質問に答えられるだけ答えていたが、守護の樹の近くに昨日見た皮鎧を着た妖精を見かけて、小走りに近づいて尋ねた。アリスの後ろには付いてきた妖精の列が出来る。

「おはよう。昨日、守護の樹の中に居た子だよね? 女王様に会えるかな」

「おはようございます、アリス様。しばらくお待ちを。女王も待っておられた様子でして、外で会うと仰っていました」

「ここで待てばいい?」

「その様に。守護の樹の上階から外に出られる場所があるのです。……ああ、そうだ、ユーナも近くに居た方が良いかもしれません。近づける事は出来ますか?」

「うん、出来る。待ってて」

 アリスは踵を返しユーナの方へと走る。やはり、ぞろぞろと妖精の列が後をついていった。振り向いて妖精達の列に気付くと、危ないから離れてと両手を広げて散らせる。

 その間にもユーナは主翼を展開させ、甲高い音を響かせていた。アリスが辿り着いた頃には、いつでも浮き上がれるだけの出力を維持していた。

「ちょっと聞こえてた。守護の樹の近くに寄るね」

「誘導しようか?」

「これくらいなら、アリスが乗らなくても大丈夫。私の前に来る子達だけちょっと退かしてあげて」

 アリスはまた守護の樹の方へと走り、ユーナが浮き上がった際の風を背中に受けながら、妖精達を下がらせた。

 ユーナがゆっくりと近づく。風圧でころころと飛ばされそうになっている妖精達はお互いに支え合ったり、アリスが手で押さえて固定したりと、昨日とはまた違う騒がしさだった。

「あ、女王様だ」

「ほんとだ」

 何人かの妖精達の声につられて、アリスは守護の樹を見た。地面から二メートル程の位置に、両手を開いた程の大きさの洞があり、そこには西の森の女王ピブルが立っていた。ユーナが巻き起こす風がその髪と着衣の薄布を揺らめかせる。

 ピブルは少し眩しそうに片手で目元を覆い、広間の周囲を見渡した。着陸して主翼の甲高い音が止み静かになったユーナを見て、そしてその傍らにアリスが居るのを見つけて微笑んでいる。

「女王様ーおはよーございますー」

「おはようございます」

 妖精達がピブルに手を振り挨拶をする。それで満足して、どこかに飛んで行ってしまう者や、そのままピブルの様子を見る者、あるいはユーナに乗り始める者と、皆の動きは様々である。やはり、女王と冠してはいるものの、その立ち位置や扱いは人間の考えるものとは違うのだろう。

 ピブルは手を振り返したり、挨拶を返したりをしつつ、アリスとユーナを見た。

「おはようございます。アリス様、ユーナ」

 アリスは頭を下げた。

「おはようございます、女王様」

 ユーナも主翼を下ろしつつ、挨拶を返す。既に色々な位置に妖精が乗り始めている。

「おはようございますー」

 その様子を微笑ましく見ていたピブルだが、しかしアリスがこの場に来た事、何よりもその毅然とした表情を見て、両手を腹の上で組んで姿勢を正す。アリスとしっかりと視線を合わせて向かい合う。

「アリス様、何か仰りたい事があるのだとは思います。それに我々はユーナにも礼を述べねばなりません。しかし、暫しお待ち頂けますか。フィヤが会いたいと聞かぬのです」

 困ったように眉を下げ、笑うピブル。

 はっとしたように、その言葉にアリスとユーナが食いつく。

「動いても大丈夫なんですか!?」

「フィヤが!」

 ピブルが樹の根元の入口を見る。アリスもそちらに注視し、しばらく待った。

 中から、六人の妖精が大きな籠を抱えて、ゆっくりと飛んでくるのが見えた。その様子を見た周囲の妖精達が自発的に運ぶのを手伝い始める。

 籠はあっという間に沢山の妖精達によってアリスの元へと運ばれた。両手で抱えられる大きさの籠は、しなやかな木の枝と、細長い葉を編み込んだ物だ。アリスは少し両手を震わせていたが、小さく頷いてその震えを止める。

 受け取った籠はとても軽い。中には沢山の布と羽毛でベッドが作られていて、フィヤはそこで横になっていた。草色の貫頭衣を纏い、胸元までしっかりと布を被っている。左手は肩の部分に薬草らしき葉と包帯代わりの布が幾重にも巻かれていて、その先は無い。右目にも怪我をしていたのか、白い布が巻かれていた。

「おはようございます、アリス様」

 その声は幸いにも、しっかりとした声色だった。初めて会った時の、踊り子めいた躍動感のある様子は欠片も無い。肌の色も心なしか、より白く見える。

 それでも、フィヤの声はアリスの耳に届くもので、左目には意思が宿り、口元にはとても柔らかな笑みを浮かべていた。

「……おはよう、フィヤ」

 多くの浮かんだ言葉を呑み込む。何かを言ってもきっと、フィヤは気にしないだろう。しかしアリスはただ、当然の様に挨拶をして、また出会えたのだと思いたかった。

「フィヤ!」

 ユーナの声に、アリスは籠をそっとユーナの機首の前に運ぶ。

「フィヤ、ああ、フィヤぁ! 生きてたぁ……!」

「まぁユーナったら、そんなに驚いて。……驚いているのかしら? 随分大きくなって」

「うん、うん! あのね、鏗戈をして、アリスとあの竜の呪猖(じゅしょう)を倒したんだから!」

「女王様から聞きました。良かった、二人とも、生き延びる事が出来て。そしてアリス様、ユーナ、この森を護ってくれてありがとうございます」

 アリスの胸に込み上げるものがあった。

「ち、ちがう、フィヤが。フィヤがわたし達を護ってくれたから……!」

 あの時、フィヤが身を挺して二人を逃がそうとしたからこそ、三人が纏めて黒い炎に呑み込まれる事は無かった。フィヤが立ち向かってくれたからこそ、アリスとユーナは立つ事が出来たのだ。

 結果を見るならば、鏗戈をしたユーナの力とそれを操ったアリスが竜を撃滅し、森を護った事になるだろう。だが、二人を護ったのはフィヤだった。

 フィヤが右手を伸ばす。そのままでは何にも届かなかった。だが、アリスは籠を自分の顔に近付けた。頬に伝っていた涙を、フィヤの片方だけの手がそっと拭った。

「まぁ、アリス様ったら……」

「わたし、朝からずっと泣いて……ばかりで……」

 涙を拭ったフィヤの手が、アリスの頬を優しく撫でた。小さいがとても温かく、しっかりと指の感触が頬を伝う。フィヤが生きているという実感が確かにそこにあった。

「姿形は少し変わってしまいましたけど、私も、ユーナも、アリス様も」

 フィヤは優しくアリスの頬を撫でながら微笑んだ。

「三人こうして揃う事が出来たではありませんか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る