23 妖精騎士
暫くして、アリスはユーナに寄り添う様に地面に座った。手にはフィヤが入る籠を抱えており、近くにはフィヤの治療に当たった医療や治癒の魔法の心得がある妖精達が備えている。
治療にあたった妖精達曰く、フィヤの入る籠は守護の樹の枝を使い、布には治癒の為の魔法がかけられているのだと言う。
フィヤは、やはり重症である事に変わりはない。しかしこの籠の中であれば、こうして外に出て話をする事も可能だった。勿論、急な動きや身体に負担をかける行動は、傷が完全に塞がるまでは避けなければならない。
それでもフィヤは、アリスとユーナに直接会い、直接話をする事を望んだ。それを叶えるべく、アリスは両手でしっかりと籠を抱く。
場の雰囲気が落ち着いた所を見計らって、女王ピブルが木の洞から一歩前に出てその縁に立つ。広場の全体から見える位置だった。
ピブルは小さく息を吸って呼吸を整えた様子で、そして良く通る声で語る。
「改めて、皆が居るこの場にて……星渡りの旅人アリス様と、ユーナに。竜の呪猖(じゅしょう)を討ち取り、この森を護って下さった事に感謝を」
ピブルがアリスとユーナに向かって一礼した。周囲の妖精もそれぞれに感謝の意を表現していた。ピブルに倣い礼をする者、幼い妖精はそれを真似て、あるいはアリスとユーナに両手を振って全身を使って感謝を伝える。
アリスの近くに居た妖精達も一礼をした。アリスは急に気恥ずかしくなり、いつもの癖で左手を耳元に伸ばそうとして、籠の重さを認識してその手を止める。
ビブルがアリスに向かって手を伸ばし、話を続ける。
「我々は騎士に劣らぬ勇敢な彼の者に報い、古来より伝わる妖精と騎士の関係に倣い、褒美を約束しましょう」
手の平を向けたその仕草は、アリスに行動を促しているものの様に見えた。
「あっ、えっ? ユーナ、これどうすればいいの」
傍らにあるユーナに小声で助けを求めるアリス。
「へっ? わ、解んない」
目を泳がせているアリスは、ひとまず立とうと腰を浮かせる。しかし、ピブルがそれを制した。
「座ったままで結構ですよ。我々は古来より、騎士に褒美を与えているのです。本来ならばその森の女王と契約を交わし、長年の守護への対価として褒美を与えるのですが、先の竜の呪猖はそれに見合う功績でしょう。アリス様、望むものはございますか」
ピブルは儀礼的な態度を一度崩し、簡単に説明をした。それを受けて、アリスは小首を傾げる。
「えっと、それはどういう種類の物とかあるんですか?」
「我々の可能な限りを」
ううん、と唸ってアリスはより首を傾げてしまう。功績と言われても、黒い竜に対峙した事はただ生き延びる為であったし、褒美と言われてもすぐには思い浮かぶものでも無かった。
また、妖精達にとって可能な限りの褒美と言われても、アリスにはこれとイメージ出来るものがなかった。恐らく、それこそ可能な限りの全てを満たそうとしてくれるのだろう。だがそこまでの負担をアリスは望んではいない。
眉を寄せつつ黙ってしまったアリスに、籠の中のフィヤが助け舟を出した。
「女王様。そう言えば、オエゴーエブ様はどの様な契約の対価を受け取っていたのですか?」
アリスにとっては発想の外の考えだったのだろう、そう言えば、といった表情でフィヤを見た。フィヤは振り向いて、籠の中からアリスを見上げ、そっと囁いた。
「この西の森を守護して下さっていた、先代の騎士様です」
「そうだった、私の前の……」
騎士オエゴーエブ。一人でこの西の森を護り続け、呪猖との戦いの中で命を落としたと、ピブルが言っていたのを思い出す。
問われたピブルは、どこか寂しげな表情をしていた。
「あの方は、多くを望まない方でございました。この西の森で生活する事を認めて欲しいと、ただそれだけで何十年も我々を護り続けて下さいました」
語られた人物像に、アリスが驚いた声を上げる。
「え、他に、何も?」
「はい。他には何も求めませんでした。欲の無い、高潔な方でございました。その人柄に魅かれて、彼の元を訪ねた者達も多く居るでしょう」
フィヤもオエゴーエブの家を訪ねた事があると言っていた。確かに、その様な人間であれば、気になって一度は見てみたくもなるだろう。
ましてや自分達の住む森を護り続けてくれていた人物である。
「わたしは……」
そこまでの高潔な人間では無いし、なれないだろうとアリスは考えた。
しかし、目指す事は出来る。アリスが視線を下げた先にはフィヤが籠の中で横になっている。少し横に目線を動かせば、ユーナの機体の一部が見える。周囲には多くの妖精と、緑豊かな森。
護りたいと思えるものと、護る為の力はある。少なくとも、今はアリスにしか扱えない力として、ここにある。
「それじゃあ、女王様。あの、わたしはまだ何が欲しいのかはよく解りません。なので……騎士について、妖精騎士について教えて下さい。そして鏗戈をしたユーナの事。なぜユーナはこの形になったのか。なぜ喋れるのか。鏗戈をしたら意識が消えるって聞いて……なので、今判る範囲でいいです」
そこで一度、息を切った。アリスはしっかりと顔を上げ、ピブルを見る。
「わたしは、知りたいです」
色濃い青色のアリスの目が、ピブルをしかと見つめている。ピブルはそれを女王として受け止めた。小さく頷いて、答える。
「そうですね、ではまず、鏗戈について――」
ピブルの説明を、アリスのみならず周囲の妖精達も興味深げに聞いている。一口に妖精と言っても、やはりその生活や知識を持つ方向性は違う。特に、鏗戈特性を持たない妖精にとっては、自身の種族の特性とは言え、その特性について深い知見がある訳ではない。
そういった者達にも改めて説明をするように、ピブルは丁寧に言葉を紡いでいった。
曰く、鏗戈とは、妖精自身の魔力と姿形を変えて、何かしらの武器となる特性、魔法の一つである。
元より妖精という存在そのものが魔力に大きく依存している生命なのだと言う。人族や他の動物が肉の身体を持ち、その身に魔力を宿すのならば、妖精は魔力が結実して物質を纏って身体とする。妖精が何も無い空間から生まれるのはそのためだと言う。
例えばユーナならば、雛鳥が育った後に空になった鳥の巣から生まれた。それは雛鳥が成長したという一連の出来事によって、その場所の在り様が大きく撹拌(かくはん)されて渦となり、そこに魔力が凝集して妖精となるのだ。
魔力が繋がり形となる。それが妖精。出来事、あるいは事象が形を成した生命。
そして鏗戈とは、強制的にその魔力の繋がりと形を変じる魔法なのである。しかしそれは妖精にとってみれば自らの身体を分解し、ばらばらにして別の形に再構築する事であり、死んで全く別のものに生まれ変わるに等しい。
その恐怖をどう乗り越え、受け止めるか。鏗戈特性の有る無しは、身体的な素質以外にも精神的なものも大きいのではないか、とピブルは語った。
「身体を、ばらばらに……」
アリスが呟く。同時に、数日前の自身の出来事が思い起こされる。身体にいくつものガラス片が突き刺さり、身体を切り刻まれた記憶。そして籠の中の、腕と両脚と翅の半分を失ったフィヤ。アリスの背筋をぞわりと寒気が走る。
傍らのユーナを見た。身体がばらばらになって、異形の戦闘機となった妖精。鏗戈をする事を覚悟した時のユーナは、どれ程の勇気を振り絞ったのだろうか。
「鏗戈をして、ばらばらになるから、心を、意識を失う……のですか?」
アリスが弱々しく呟いた疑問に、ピブルは首肯した。
「身体がその様になり、魂を失わぬ生き物は早々おりません」
「では、なぜユーナは? それにあの、こんなに大きくなるものなんですか?」
「なぜユーナに意識があるのか、それは私には解りかねます。星渡りの術の渡り人、つまりアリス様がもたらす我々には知り得ない何かが影響を及ぼしているのかもしれません」
「そんな――」
そんなものは無いと、そう言い掛けたアリスだが、一つだけ気にかけている事があった。ユーナの操縦装置が非常に、それこそ異常な程にシンプルな事に反して、ユーナは想像以上の機動を行う事が出来る。例えば垂直離着陸や、地味な所では操縦席の開閉だ。
なぜその様な事が出来るのか。それは昨晩にも感じた、ユーナは自律する無人航空機に近い特性を持つからだとアリスは考えている。ユーナ自身、つまり航空機自身が思考し、最適な動きを成す。操縦桿を握る度に、アリスの操縦にはユーナの補正が入る事をアリスは自覚していた。
人工知能。つまりユーナは、機体ユーナの中に設けられた演算装置に準ずる機能を持つ何かが、妖精ユーナを模倣している。既に妖精ユーナの心も意識も何も無く、演算装置が弾き出した妖精ユーナの人格が受け答えをしているのではないか。
アリスは傍らの白い構造体に話しかけた。
「ユーナは、ユーナだよね」
「へ? そうだけど……?」
「そうだよね。死霊のわたしもそう。……なら、いいのかな」
ユーナの自意識の問題については何も立証する手立てが無い。アリスは小さく首を振って、再びピブルへと目を向けた。ピブルはそれを見て軽く頷き、ユーナの全体を見つめた。
「ユーナが巨大なこの姿に鏗戈したのは、やはりアリス様のお力に因る所が大きいでしょう。妖精が鏗戈をする時、その意志を託す相手と契約し、魂の結び付きを得ます。そして相手の望む姿を読み取り、形を変えるのです。アリス様はどの様な姿をユーナに望みましたか?」
「戦闘機です。空を飛ぶ戦う乗り物で、竜の呪猖よりも速く飛んで、高く飛んで、星さえも墜とす。そういうもの、です」
「我々には想像も付かない物ですね……。アリス様がそのセントウキなる物に対して、強い想いがあったからこそ、ユーナはその姿に鏗戈出来たのでしょう。そしてユーナもまた、稀有な存在です。この森でも一、二を争う魔力の持ち主でしたから、アリス様の想像する物の大きさに耐えられたのだと思います」
「そうなんですか? ユーナが強い魔力?」
「そうだよー」
アリスの驚きに対し、何でもないとでも言いたげなユーナの答えがあった。
「私ね、魔力を蓄えている量だったら結構あるんだって。でも魔法って、持っている魔力の量と、魔力を上手く使えるかどうかなんだよ。私は上手く使えないからあんまり魔法が得意じゃないの。逆にフィヤは魔法が凄く上手」
アリスは籠の中のフィヤを見る。視線に気づいたフィヤが微笑む。
確かに、フィヤは竜の呪猖に襲われ大怪我をした直後から、傷口を障壁の魔法を使って塞いでいた。その時点では意識もほとんど薄れていただろうに、それを維持し続けるだけの魔法を扱う技量があると言う事だ。
アリスは口元に手を当てて、ユーナを見た。
「わたしのイメージと、ユーナの元々あった魔力があって戦闘機になれた、のかな」
イメージしていた戦闘機とは全く異なる姿に鏗戈したユーナだが、そのイメージを元に妖精が変化したものとして見てみれば、ユーナの姿はある意味で正しいのかもしれない。
そんな事を思いつつ何度か小さく頷いていると、ピブルが説明を続けた。
「鏗戈をする時に相手と契約を結ぶ、魂の結び付きを得ると言いましたが、その相手を騎士と呼ぶのです」
アリスは手を籠の位置に戻して姿勢を正し、その説明に耳を傾ける。
騎士とは、妖精と契約し魂の結び付きを得た者を指す。妖精は騎士から武器のイメージを受け取り、それを元に鏗戈をする。そして騎士は鏗戈をした妖精を武器として揮う。それが基本形だ。
そして、この妖精との契約にはさらに別の効果がある。それは、鏗戈の際に魔力の塊へと分解された妖精の魔力を、その身に宿す事だった。妖精が鏗戈をした際の余剰魔力、あるいは放出された魔力は、ほぼ余す事無く騎士へと受け継がれる。騎士は自身の持つ魔力とは別に、契約した妖精の魔力をも受け継ぐのだ。これを加護と呼ぶ。
これによって、騎士は鏗戈した妖精と親和性の高い魔力を持つ事になる。妖精は魔力が結実して肉体を持つ存在である事から、その魔力は騎士の肉体の結び付きを強める方向に働く。言わば、肉体の強化だった。
こうして、妖精の魔力を得た騎士は常人以上の肉体を持つに至り、鏗戈した妖精という武器を最大限に扱う事が出来るのだ。
そこでアリスは一つ、合点がいった。ユーナを操縦した戦いにおいて、その機動、機体の動きは一般人であるアリスには到底耐えられるものでは無かったはずなのだ。例えば、急旋回の荷重によって眼球に血液が集中してしまうと、視界が赤くなるレッドアウトと呼ばれる症状を起こす。これは速やかに対処しなければ頭痛や眩暈等の症状を引き起こす。
他にも、同じく急旋回等によって心臓よりも下に血液が集まってしまうと、脳に血液が行き渡らなくなり、視界を失い気絶するブラックアウトと呼ばれる危険な症状もある。
死霊の身体を持つアリスに、血液の流れがどれ程の意味を持つのかは不明な部分がある。しかし、ユーナが鏗戈した際の契約によりその魔力を受け継ぎ、身体の強化が成されていたからこそ、アリスは戦えたのだ。
そうでなかったら、激しい急旋回の度に操縦桿を握る事も叶わず、終始座席に圧し潰されていただろう。
アリスは、操縦席の中で、ユーナの魔力によっても身体を護られていたのだ。
説明を続けていたピブルが自らの右手を見つめ、どこか遠くを見る様に語る。
「騎士オエゴーエブ様も、人間としては老齢であったにもかかわらず、風の様に森の中を駆け、鳥の様に跳び、そして圧倒的な剣技でもって呪猖を屠り、我々を守護して下さっていました」
アリスはオエゴーエブと言う人物を知らない。想像の中で思い描くその人物は、老いてなお猛々しい戦士が剣を構え、竜の呪猖に相対している光景だ。
物語の中の絵図たる光景は、しかしこの森においては現実感を伴うものだった。
「それが、騎士なんですね。妖精と契約してその魔力を受け取って、強い身体を持った人……」
アリスの答えにピブルは頷いた。
「もう一つ、妖精との契約で発現する可能性がある現象が存在します。我々はそれを異能と呼んでいます」
妖精と契約した騎士は、受け取ったその魔力によって、稀に騎士自身が何らかの変化をする場合があるのだと言う。
例えば、元より会得していた魔法がより精密かつ強力なものになる、扱えなかったはずの魔法を扱えるようになる、そういった技能面での変化。あるいは強化された肉体の更なる変質による、常軌を逸した動作が行える等の肉体面での変化。
何がもたらされるかは当人の体質や技術に大きく依存し、また何も起こらない者も居る。騎士オエゴーエブは、異能の類を発揮する事は無かったと言う。
「わたしには、無い……と思いますけど」
アリスは自分の身体を見渡した。異能と呼べそうな特異な能力の発露は、今の所は確認していない。むしろ、ユーナの方が異能により航空機になっていると言われた方がしっくりくると思っていた。
「アリス様にも異能が備わったのかは、今は判りません。何かのきっかけで発現させる者もおりましたし、単に持ち得なかったかもしれません。見えない形で発現させている場合もあるでしょう。ただ、知っておけば、自身の身に何かが起きた際に、あるいは他の妖精騎士と会う機会に、知識は糧となりましょう」
一息をつきつつ、アリスはふむ、と呟いた。そして、これまでの話を頭の中で整理する。
大きく纏めると三つだ。
ユーナが鏗戈をする際に、アリスとユーナは妖精の契約を結んだ。
そしてユーナが戦闘機に鏗戈したのは、アリスの持つ戦闘機のイメージと、ユーナの本来持っていた大きな魔力によるものだろう。妖精は本来、鏗戈をして心を失うはずだが、ユーナがそうならなかったのはアリスのイメージが要因かもしれない。
ユーナと契約を結び、その魔力を受け継いだアリスの身体は強化され、ユーナの航空機としての機動に耐えられる操縦者となった。
「……そう、か」
アリスは呟く。これまでの説明で思い至った事がある。
アリス自身の思惑とは別に、ただ状況だけを見るのならば。条件を満たしたかどうかの、単純なものでいいのならば。
言い換えるならば、他人からどう見られているのか。
「わたしは、妖精騎士なんだ」
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