20 家

 十人の妖精を乗せての飛行は時間にして十分もあるかないか、という程度の短いものだった。

 月明かりと、森の中に点々と灯された妖精達の持つ小さな光源、あるいは居住しているのであろう場所から漏れる光を頼りに、慎重かつ非常に低速での飛行である。

 航空機は、ものにもよるが、ある程度のスピードを出していないと上昇する力である揚力を失い、最悪の場合は墜落してしまう。しかしユーナは推進力を真下に向けて、ヘリコプターの様に空中で停止するホバリングが可能であった。それを上手く調整すれば、ゆっくりと空中を前進する事も出来る。

 低速ではあるものの、そうした飛行方法での目的地到達は速かった。飛行するというアドバンテージは大きく、森の中を歩く速度とは比べ物にならないのだ。

 かくして短い空の旅は、森の木々の中に頭一つ飛び抜けた樹木、守護の樹を発見して終わる。この守護の樹は、西の森の女王ピブルが座していた守護の樹よりも二回りほど小さく見えた。夜間なのでシルエットだけであるが、楠(クスノキ)に似た広葉樹で、太い幹をくねらせ枝葉を大きく広げている。

 ユーナは主翼を下に向けて、ホバリングの状態からゆっくりと降下した。楠に似た守護の樹の枝葉に潜り込み、草や苔で覆われた平らな地面に着地した。

 操縦席を開けると涼しくも湿り気の有る夜の空気によって満たされる。興奮冷めやらぬ様子の十人の妖精達は、操縦席から飛び出して踊る様に飛び全身で喜びを表現していたり、お互いに感想を言い合っていたり、大人びた雰囲気の妖精はぺこりとアリスに頭を下げて礼をしつつも、珍しい体験をした興奮を隠せないでいる様子であった。

 アリスも操縦席を降りて、妖精達がそれぞれの場所へ帰る様子を見送った。

「木より高く飛ぶ事なんて滅多に無いからね」

「そうなんだ。喜んでもらえたみたいで良かった」

 最後の妖精の持つ息吹灯の明かりが見えなくなったのを確認して、アリスは周囲を見渡した。

 月の光だけで照らし出された守護の樹は、幾つかの幹が融合したかの様なごつごつとした、太く力強い樹幹が伸びる。夜空を覆う枝葉は広く、内側に潜ったユーナの全体が隠れてしまう程だ。

 そして、守護の樹の幹に寄り添う様に、一軒のログハウスが建てられている。地面から飛び出ている太い根の間に建設されていて、建物の一部は樹の幹に沿う様に削られている。まるでログハウスを樹木が貫いて聳えている様にも、樹の幹から家が生えてきている様にも見える。

 南側には玄関扉が備え付けられており、その傍らには煉瓦で組まれた煙突の様なものが立つ。他は明るい時に見ないと判らないだろう。

「私は入れないから、家の隣に居るね」

「ごめんね。後でその辺りもどうにかしないとだね」

「ううん、大丈夫だよ」

 ユーナが僅かな出力で浮いて、ログハウスの西側の空いている空間に着陸した。主翼とスタビライザーを寝かせて、機体全体をぺたりと地面に伏せる。

 ログハウスの傍らに異形の戦闘機が座す。アリスが目を細める。その光景は異質であるはずなのだが、月光で柔らかく照らし出されている所為なのか、不思議と違和感は無かった。


 アリスは、地面から顔を覗かせる守護の樹の太い根を跨いで、ログハウスの玄関の前に立った。木造で作られた丁寧で頑強な作りの玄関扉は、顔の位置にある小窓の様なもの以外は特に装飾も無く、簡素なものだった。

 見知らぬ住居であるが故に、意を決して扉を開けようとした所で、顔の位置の小窓が開く。

 海の様な青さの長髪の妖精と、空の様な青さの短髪の妖精が二人、顔を出していた。

「人間ですわね」

「人間だね」

「こ、こんばんは」

 同じ声色の二つの声にアリスは驚いたが、そのまま反射的に挨拶をした。二人の妖精も応えた。

「こんばんは。ねぇこの人、噂の星渡りの人じゃない?」

「こんばんは! あー、そうかな。そうなの?」

「うっ、うん。星渡りで昨日この森に来たの。名前はアリス。こんばんは」

 長い青髪の妖精が身を乗り出した。

「あたしは朽ちた樹の洞より生まれし西の森のワエユ。初めまして、アリス」

 続いて、短い青髪の妖精が小窓の縁に手をかけ、続ける。

「あたしは朽ちた樹の洞より生まれし西の森のナギュ。よろしく、アリス」

「よろしく……?」

「中に入るんでしょう。どうぞ」

「鍵はかかってないよ」

 二人の妖精はそう言うと、小窓をぱたりと閉めてしまった。

 玄関の戸を開けようとしてたアリスの手は空中でしばらく行き場を失くしていたが、再び意を決し直して扉を開けた。

 内部はシンプルなワンルームになっており、西側である左手側には大きな作業机、アリスの腰まである水瓶と、壁には採光窓。正面奥にはキッチンだろうか、石窯らしきものが備え付けられている。右手側には木枠のベッドが一つ。右手奥には屋上に出る為のものなのか階段らしき設備が見えているが、それを除けば非常にシンプルな作りだ。

 部屋の天井から下げられた息吹灯と、壁に付けられた間接照明の息吹灯が灯される。二人の妖精がせっせと飛び回って、最後に作業机の上にある息吹灯のランプに明かりを灯して、アリスの前に飛んでくる。トンボの様な透明な二対の翅が、細かく振動し羽ばたいていた。

 それが終わると、長い髪の方の妖精がアリスの顔の前に飛んでくる。

「改めて、あたしはワエユ。二人でオエゴーエブ様が去った後にこの家に住み着いていますの」

 続いて短い髪の方の妖精が同じ様にアリスの顔の前に飛来し、両手を動かしつつ喋る。

「んじゃ改めて。あたしはナギュ。二人で一緒にこの家に住んでる。普段は適当に妖精達の宿にしたり、まぁ適当だ。アリスはここに住むんだろ」

「うん。女王様が住処を用意しているからって聞いて」

「聞いていますわ。用意と言っても、あたし達の私物や妖精の道具を守護の樹の中に移すだけだったけど」

「昨日の夜の虫鐘が鳴った時の方が大変だったな。呪猖が退治されたらしいから、集まっていた奴らを返す方が大変だった」

「やっぱり昨日の虫鐘で皆避難してたんだ」

「ええ。それじゃあアリス、おやすみなさい。あたし達は守護の樹の方で寝るわ」

「朝にまた戻ってくるけど、わかんねぇ事があったら聞いてくれな。おやすみ!」

 ワエユとナギュはそれだけ言うと、部屋の奥に設けられた階段の方へと飛んで行ってしまう。どうやらその先は家の傍らにそびえる守護の樹のどこかに通じているらしい。

 あっと、小さく声に出して、アリスは一歩だけ踏み出して二人の妖精を呼び止めた。

「おやすみなさい。あの、息吹灯の消し方だけ教えて」

 ワエユとナギュが振り返りつつ、後ろ向きに飛行しながら順繰りに説明する。

「灯りの蓋を閉じたり、ずらしたりして密閉すれば自然に消えますわ」

「明るさを強くする時は吹きかければいい」

 飛び立とうとした二人であったが、髪の短い方であるナギュが、ワエユを呼ぶ。

「……あっ、そうだ、ねーちゃん」

 そのままアリスをちょんと指差す。その仕草を見たワエユが、何かを思い出したかの様に小さく頷いて、姿勢を正した。

「ああ、そうね。アリス。あなたが呪猖を倒したと聞いているわ。ありがとう」

「ありがとうな! あたしら眠いからお礼が適当だけど、まぁそういうことでさ」

 突然に礼を言われて驚くアリスに、二人の妖精はひらひらと手を振って、そのまま階段を進んで守護の樹の中へと入ってしまった。

 アリスは左手で耳元を触れた。茶色に近い金髪が揺れる。気恥ずかしい時にもついしてしまう癖だった。

 少し呆けていたアリスは、自らの睡眠欲を自覚して、くあ、と小さく口を開けて欠伸をした。木枠のベッドに腰をかけて、思わぬ弾力に身体を戻される。

「おお……?」

 ベッドを改めて見る。外枠は木造で、頭と足元にある板、ヘッドボードとフットボードも外枠から延長された非常にシンプルなものだ。毛布が掛けられており、色褪せて古い物だが、しっかりと手入れがされていたのか使用する分には問題無さそうであった。それを捲ると、毛並が違う種類の毛布が敷毛布として敷いてある。

「ふかふか」

 アリスは更に敷毛布を捲る。ベッドマットレスに相当するものは、目の細かい網で包まれた、ストローの形状に近いイネ状の植物を乾燥させたものに羽毛を詰めた袋。それを三つ程、木枠の中に並べたものだった。

 地球の日常生活の中で見る物とは少々違うので驚いたものの、直ぐに認識を改めた。不思議な程に弾力性に富み、手を圧し付ければ非常に素直な反発をもたらす。異臭や植物の匂いも特に無く、虫の類も見当たらない。

 敷毛布を戻して、随分と汚れたローファーを脱いだ。セーラー服の皺など今更気にする事も無く、そのままベッドに寝転ぶ。

「おお……」

 身体を動かす度に、構造材であるイネ状の植物が動くさわさわとした音を鳴らせるが、煩くは無い。アリスの体重を素直に受け止め、包む。掛け毛布も軽く、引っ張って身体を覆ってみても息苦しさが無い。

 手製らしき木造の外枠から考えても、定期的なメンテナンスが必要な部品ばかりであろうが、その際はどうにか工夫するか妖精達に助力を乞う必要は出てくるかもしれない。

 だが、少なくとも今のアリスの疲労感と眠気を受け止めてくれるには十分な寝具である事は間違いない。

 目蓋が重くなりそうになったアリスは、一度起き上がって再び靴を履いた。ベッドから起き上がって正面、西側の壁面に採光窓がある。頭を出す事が出来る程度のもので、手で板を押せば上側の蝶番によって開いて外が見える。窓枠にある木の棒がつっかえ棒になるのだろう。

 その採光窓を覗き込み外を見れば、夜の森の中、静かに月光を浴びるユーナが目の前にあった。

 主翼の先端と家の屋根との間は僅か数センチの距離だ。一回の着陸でこの精度、もしこれが地球の航空機ならば早々には出来ない芸当だ。ユーナにとっては、それこそ自分自身の身体を動かす如くであろう。細かい移動ならば神業と言える。

「ユーナ」

 アリスは窓越しに声をかけた。

「うん?」

 正面から声をかけられたかの様な、ユーナの独特な発声がアリスに届く。

「家の中は大丈夫そう。ワエユとナギュって妖精の子が居た」

「あっ、『集まる者』の二人姉妹だ。それなら家の中も大丈夫だよ」

「そうみたい。おやすみ、ユーナ」

「うん。おやすみ、アリス」

 採光窓を閉じる。かたん、と木と木が打ち合う乾いた音が響いた。アリスは壁の間接照明の息吹灯の一つだけ残して、他の灯りには備え付けられている蓋を閉じた。しばらくすると部屋は暗くなり、残された小さな灯りだけがわずかにベッドの足元を照らすだけとなる。

 アリスは口元を手で抑えつつ欠伸をした。服はどうしようか迷っていたが、慣れぬ地でもしもの際に少しでも動ける様にとそのまま寝る事にした。後で寝間着の類も聞こう、何となくそんな事を考えながらベッドに転がり、毛布を被った。

 目蓋を閉じれば、余りにも突然の事の連続であったこの二日間を思い出す。

 一度、薄っすらと目を開く。輪郭だけが僅かに見えるだけの室内。壁の先には、戦闘機の姿のユーナが夜を過ごそうとしている。

 今は何も出来ない。でも、とアリスは口元だけを動かした。それでも、これから何も出来ない訳では無い。

 アリスはただ流されるままに、その場その場での対処を全力で行った。今はまだそれだけだが、いつかその場で全力を出しつつ、最後に一歩を踏むだけの力を付けていければと思う。そうして歩ければいい。飛んでもいいのだ。

 アリスは一つの事を決めて、目を閉じた。

 すう、と寝息が立つまでに、そんなに時間はかからなかった。

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