19 生き方 III

 西の森の女王ピブルは、改めてアリスとユーナが無事である事をフィヤに伝えると約束した。ユーナは鏗戈(うか)によって形を変えてしまったが、ピブルが二人に直接会って、その無事を確かめた、と。

 アリスはひとまず、それで納得を得た。ピブルに聞きたい事は多いが、しかしピブル自身も忙しい身のようであった。まだ守護の樹の周囲には避難してきた妖精が多く居る。呪猖(じゅしょう)が出現した報せ、それが非常に凶悪な存在である竜の形をしている事、そして既にアリスとユーナによって撃破された事は、西の森の周囲にバラバラに伝わっていた。

 ピブルはまだ混乱が収まり切っていない状況を治める為に各所と連絡を取り合い、説明を続けていたのだ。

 守護の樹を出たアリスは、広場に佇むユーナの元へと歩んだ。既に陽は沈み切って、空には星空が広がっている。しかし、ユーナの周囲には好奇心旺盛な妖精達が集まっている。息吹灯や、あるいは光源となる魔法であろうか、光の球体や小さな炎を周囲に浮かべている。

 その妖精達がアリスに気が付くと、アリスもまた妖精達に囲まれて、それぞれの持つ照明によって照らし出された。

「騎士様!」

「違うよ、アリス様は騎士様じゃないって」

「そうなの?」

「ユーナは何に鏗戈したの!」

 アリスは矢継ぎ早にやってくる質問に一つずつ答えつつ、とは言え大半は解らないと答えるしかなかったのだが、妖精一人一人の声に応えながらユーナの元に辿り着いた。

「おかえりアリス」

 ユーナの、どこから聞こえているかよく解らない独特な発声。

 声のした方向を見たアリスは、ユーナの声は自分から最も近いユーナの構造体の表面から聞こえているとアタリを付けた。そこに目を向けて喋れば、少なくともアリスの声は届く。

「ただいま」

「フィヤはどうだった?」

「直接見る事は出来なかった。昼に目を覚まして、また寝ちゃったんだって。女王様には伝言をお願いした」

「そっか。起きたらお見舞いしなきゃね」

「うん」

 アリスはユーナの機体表面を撫でた。夜風に当てられたからか、手にはじわりと冷たさが伝わる。その質感はやはり陶磁器の様で、傷が付きそうもない強さと、落とせば割れてしまいそうな脆さを感じさせる。

 そのまま腕の力を抜いて、頬と胸をユーナの表面に当たる。アリスは自分の持つ体温を自覚した。死霊として、魂だけの存在だが、熱は持っているらしい。今はその温度差が心地良かった。

 しばしそうした後、ふう、と息を吐いて、今度は背中を預ける格好になった。上半身の力を抜いて、重心をユーナに預ける。見上げれば青白い輝きを放つ、大小二つの月が空にあった。

 昨日も似た様な夜空を見た。その夜空を飛んだ。一日で多くの事が変わった。

「これから、どうしようか」

 アリスが呟く。

 ユーナからの答えは無かった。少し考え込んだのかもしれない。

 その呟きに応えたのは周囲の妖精達だった。

「寝る時間です!」

「アリス様、夕食はまだお食べになっていないのでは?」

「家に帰る」

「騎士様は何を食べますか!」

「きしさまじゃないって。いってた」

 アリスは腕を組んで、口元を何か言いたげにもごもごと動かし、眉間に皺を作っていた。有難い事に、良い意味で騒がしい妖精達のお陰で沈みがちになりそうな心が引き上げられる。

 特に幼い妖精達は人間の子供と同じ様に好奇心旺盛で、小さな存在とは言え翅があると飛べてしまうので、あっという間にアリスの頭の上や肩の上には妖精達が乗ってきていた。

 そして、これからどうするかという自問にも似た言葉は、その重みも妖精達に持っていかれてしまい、何故だかとても軽いものへと変わっていった。これからどうするか。

「お腹空いたな……」

 更に深い皺を眉間に寄せて、アリスは呻いた。起きてから何も口にしていない、と言う事は、丸一日まともに食事をしていない事になる。水も飲んでいない。そう考えると急激に考えが今この瞬間に寄ったものばかりになる。

 食事。水。寝床。睡眠。

 よし、とアリスは背を伸ばした。考えられる事は多いが、もう夜なのだ。本来ならば昨晩にする筈であった事を、改めて行う。

「家に行きます!」

 腕を組んで仁王立ちになったアリスを見て、周囲の妖精達が、おお、と声を上げた。空元気の虚栄のポーズだが、今はそれでも良いのだと思う。

 頭に妖精を乗せたままアリスは振り向いて、ユーナの機首を見た。

「ユーナ、飛べる?」

「うん」

「オエゴ……オエゴブさん? の家の方向も判る?」

「オエゴーエブ様ね。判るよ。暗いけど、月明かりで行けると思う」

「よし」

 アリスは再び振り向いて、周囲に集まっている妖精達に目を向けた。

「はい、皆聞いてください。わたしは、オエゴーエブさんが使っていた家に行きます。そっちの方角に帰るって子達は居ますか」

 急なアリスの質問に妖精達は少々戸惑っていたが、誰かが返事をすると何人かがそれに倣って答え始めた。幼い妖精、大人の妖精、合わせて十人がアリスの元へと集まる。

 アリスはその十人を確認して、左手をユーナの機首部分に当てた。

「では、ユーナに乗って送ります。快適かはちょっと判らないけど空の旅にご招待です」

 おお、と妖精達から声が上がる。その場の沸いた雰囲気を壊さないように小声で、ユーナに操縦席を開く様に囁いた。

 ユーナの機首、嘴状の部位が上下に開いて、中から操縦席を含むユニットが姿を現す。またしても妖精達から、おお、と声が上がる。アリスは機首の縁に手を乗せて、転がる様な形で操縦席に乗り込んだ。すると、透明な抵抗感がある何かが腰と肩をロックする。アリスはちらりと目で確認したが、特に何かが触れたわけではない。竜との戦いの前にもあったこれは、空気が固まったシートベルトの様だった。肩と腰を少し動かし、見えないロックがかかっている事を確認する。

 正面のモニター、正常。操縦桿を少しだけ動かす。主翼がそれに合わせて動いた。正常。フットペダルを片方ずつ、軽く踏む。主翼が動く。正常。地面に臥しているのでスタビライザーの様子は確かめられないが、飛翔するには一先ずこれで十分だろう。

 外に居る妖精達に声をかける。

「この中に入ってくださーい。それと外に居る子達は少しだけ離れてね。強い風が吹きまーす」

 妖精達がそれぞれの方向に飛ぶ。アリスに付いてくる者は操縦席の中に入り、きょろきょろと中を見渡している。外に居る者は言われた通りに距離を取り、自然にユーナの周りに円を描いた。所々に息吹灯を持つ者の光が地面の草花を照らし出している。

 操縦席が閉まる。妖精達がはしゃぐのを見ながら、人数と、挟まれないかを確認し、さらに周囲をぐるりと見渡して主翼の噴出する風圧に煽られる者が居ないかを確かめる。

 最も、アリスはユーナの機体性能を把握している訳では無い。あくまでも自分に今出来るそれらしい事を、それらしく行っているだけである。それでも構わない。今はただ飛びたいのだ。

 操縦席が閉まる。正面に周囲の風景が映り、それが真上、左右、後方まで展開される。右手前の台座に立体映像のユーナが映し出された。

「後ろまで見えるようにしたよ。ごめん、ちょっと遅れちゃった」

 アリスは左後方、右後方へと振り向いた。座席があるので真後ろは見えないが、これで足元以外のほぼ全域を見渡す事が出来る。

「ううん、ありがとう。これ凄く便利」

 乗り込んでいる妖精達も操縦席内を見渡し、周囲を映している映像の部分に手を触れるなどの反応を見せている。年齢が上であろう妖精達も物珍しさと好奇心に負けて、操縦席の各所を見たり触ったりと各々の様子である。

 アリスは右手を操縦桿に、左手をスロットルレバーに乗せる。両足は、間違って妖精を踏まない様に確認してからフットペダルに。

「よし。ユーナ、垂直離陸は……何て言えばいいのかな。このまま真上に浮かんでそのまま飛ぶ事は出来る?」

「助走しないで飛べばいいんだよね。出来ると思う。皆はどこかにちゃんと掴まってて」

「うん。はいじゃあ皆、揺れるかもしれないから。わたしの服とか握ってね」

 十人の妖精達がどこかに掴まる。アリスもまた操縦桿とスロットルレバーに触れつつ、身体をしっかりと座席に預けた。

 操縦方法もユーナと共に研究しなくてはいけないと考える。今の操縦系統は非常に簡易的で、故に素人であるアリスでも操作する事が出来た。しかし、ユーナはこの操縦系統よりも複雑な動きが出来る事は、先の黒い竜との戦いで解っている。恐らく、操縦に対してユーナによる大きな補正がかけられていると、アリスは感じていた。

 つまりこのユーナという航空機は、自律して飛行が可能な無人航空機に近いのだ。現に今、広間から垂直に離陸しようとしている動作はアリスの手にある操縦系統だけでは難しい。ユーナに直接聞いて、ユーナ自身が行う動作である。

 この力をそのままにしておく事は、きっと出来ないであろう。アリスはまだ身の振り方も、生き方も決められないが、しかしアリスのこれからの生活に大きく関わる事になるであろう妖精達にとっての航空戦力、ユーナを無かった事には出来ない。

 もし最適な操縦者が現れ、アリスが降りる事になったとしても、少なくとも今はまだアリスとユーナは共に飛ぶ必要がある。互いに確認しながらの意思疎通による比翼連理ではなく、互いに持てる力と技術をすぐさま発揮できる状況下で、互いに最適な行動をしつつのの意思疎通。

 出来る範囲で飛び方を最適化していく必要があるのだ。航空機となったユーナが航空機として羽ばたく為に。

「ロボットアニメとか見てたら、何か良い操縦方法が思い浮かんでたのかな」

「なにそれ?」

 ユーナに代わるかの様に、十人の妖精が疑問の顔を浮かべてアリスを見た。小さいとは言え、視線は視線だ。アリスは少々気恥ずかしくなる。

「娯楽の一つ。……行ける?」

 右後方を覗き込むと、主翼が目一杯と横に広げられ、噴炎口を地面へと向けていた。操縦席内に甲高い音が響く。

「うん、行ける。飛べるよ」

 アリスは正面を向きつつ、目だけで十人の妖精達を再度確認して、ゆっくりとスロットルレバーを前方へ動かした。

 ユーナの主翼から僅かに白い炎が覗き、地面に勢いよく排気を打ち付ける。周囲でユーナの動向を見ていた妖精達は髪や服を煽られ靡かせつつ、ユーナがゆっくりと垂直に上昇していく様子を物珍しそうに見ていた。

 アリスは左のフットペダルを軽く踏む。スタビライザーの先から白い炎が数度、小さく噴出して機体の向いている方向を左に回転させる。昨晩、アリスが歩いて行った方向だ。

 夜間である為に視界は悪いが、月の光は木々と空の輪郭をしっかりと浮かび上がらせている。無茶な動きは出来ないが、今回は操縦席に多くの小さな旅客を乗せている。元よりそのつもりは無い。

 操縦席から地面を見る。機体の高度が十分な位置に達したのを確認した。

「よし行こう、ユーナ」

「うん」

 ユーナの主翼が滑らかに動いて、白い炎の噴出する方向を斜め下、真後ろへと動かす。スタビライザーが姿勢を制御し、滑る様に機体は前に飛び始めた。

 操縦席の妖精達はその様子に各々感嘆の声を漏らしている。目的地の家までは、きっとすぐに着いてしまうだろう。しかし今は旅の友が十人。ユーナと共にこの十人をしっかりと送らないといけない。

 昨晩の様な、戦う為に操縦桿を握るのでは無く。アリスはただ、空を行く為のパイロットとして。

 青白い月が輝く夜の空を、妖精が軽やかに飛翔した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る