16 ファーストフライト III

 浮遊している樹木の陰に向かって機体を滑り込ませる。翼を広げて飛翔していた竜の尾が見え、続いて胴体が見えた。

 竜が首を傾け、後方に迫るユーナの機影を見る前に、アリスが先に竜を捉えた。

 トリガーを引く。

 機体の主翼、その根元に一見して模様にも思える光の筋がいくつかある。それらがより輝きを増したかと思うと、次の瞬間には小さな光を射出した。

 カンっと高い音を立てながら次々と光の弾丸が吐き出される。

 光の弾丸は、竜の尾を掠めながら夜の森に消える。アリスは左のフットペダルを踏んで機体の位置をずらして光の弾丸の射出方向を補正し、竜に当たる様に向けた。

 しかし、竜が浮遊する岩肌の陰に隠れる方が早かった。光の弾丸はそのほとんどが直進した後に減衰して消え、六発程が岩肌に着弾、小さな土煙を上げる。

 外した。そう認識した所で、光の弾丸が岩肌に着弾した箇所で小爆発が起こり、更に多くの土煙を上げて、岩塊の一部を切り落として地面へと落下させた。機体はその横を通り過ぎた。

「爆発……これ、榴弾(りゅうだん)!」

 アリスは爆発した岩肌を見たが、機体の速度により景色は後方へと流れる。視線を再び竜へと戻す。

 ユーナが戸惑った顔で問う。

「だ、駄目だった!?」

「大丈夫!」

 戦闘機に搭載される、銃弾を大量に射出する機関砲。それは主に敵航空機に対して攻撃をする為に用いられたり、地上の敵に対して掃射する為に用いられたりする武器だ。

 その為に、弾の種類も様々なものが存在する。ユーナが射出した光の弾丸は、着弾した後に爆発する徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)と呼ばれる弾丸に近い性質を現した。

 アリスの中で組み上がりかけていた戦い方が変わる。もっと単純な、相手を貫くだけを目的とした弾丸が用意されているものだと思っていたのだ。ところが、爆発によって岩塊程度なら切り崩せる事が先程実証されている。これならば、竜の身体に当たれば大きなダメージを期待出来る。

 だが、一つ問題も見つかった。それを意識しつつ、機体を操作する。

「あいつ、やっぱり速い!」

 アリスはついに竜の後ろを捉え、追い縋り、更に距離を詰めようとしていた。しかし竜の動きは機敏で、上下左右に自由自在に鋭い旋回を行える。加速力もある。見失わない様に追いかけるのがやっとだった。

 予想し難い機動で動き回る竜を、出来るだけ正面に捉えようと苦戦しながら、アリスは右手が触れるトリガーの感触を確かめた。

 光の弾丸の問題点。それは思っていたよりも弾速が遅く、かつ射程距離が短い事にあった。もし戦闘機の機関砲であれば、大抵のものならば初速で秒速一〇〇〇メートルの音速以上の速度、射程距離ならば八〇〇メートルは期待出来る。しかし光の弾丸は音速を超える程の初速があるか怪しい。射程距離も短いとアリスには感じられた。

 つまり、相手にかなり近づかないと当たらない可能性が高いのだ。弾の速度が遅ければ竜の機敏な動きで避けられてしまう。射程距離が短いのも同様である。

「ぐっ!」

 再びの竜の出鱈目な上下左右の動きに必死で付いて行く。身体が左右に揺さ振られ、上下の機動で座席に叩き付けられる。

 しかし、接近すれば良いだけでもない。少し前に竜が敢行した、身体を丸めて空中で急ブレーキをかける動作、それによる体当たり。それにも警戒をしなくてはいけない。

 これは相手に近づけば近づく程に危険性は高まる。それでもアリスは接近する事を選択した。

 ついに竜を正面に捉える。トリガーを一回引く。数十発の光の弾丸が射出されるが、既に右旋回の動きをしていた竜の腹の下を通り抜けて消えた。

 アリスはその様子に歯噛みしつつ、ユーナに問う。

「ユーナ、これってどれくらい撃てる?」

「翅の魔力を使ってる。あと十回ちょっとだと思う。ずっとは使えない――アリス!」

 右旋回していた竜が身体を傾け、首を持ち上げ、黒い炎を吐いた。

 機体の進行方向に黒い炎の帯が生まれる。その熱と瘴気で夜空よりもなお黒い奔流。竜が炎を吐きつつ首を更に曲げる。黒い炎の帯が、それ自体が一つの面となって襲い掛かる。

 機体を一気に下に向け、黒い炎の塊を大きく躱して、直後に機体を上昇させる。

「やるしか!」

 機体が元の位置にまで上昇し切る前に、右フットペダルを強く踏む。機体は上を向いた角度のまま、その場で前方へ進みながらも機体の向きだけを右方向へと向けた。例えるなら、左の手の平を、手首から右に九十度曲げて、そのまま正面に進む様な、特殊な機動である。

 一瞬だけのものだったが、その一瞬で竜を機体正面中央に捉える事が出来た。トリガーを引く。

 斜めに飛翔した機体から光の弾丸が並び飛ぶ。アリスから見れば右に弧を描く弾丸の軌跡、その数発が竜の尾に着弾し、一発が左翼を貫いて消えた。

 機体がバランスを崩す兆候を見せたので急いで元に戻す。今の機動で大きく速度を失ったので、水平にした機体を加速させて勢いを戻す。その間に竜との距離が離れてしまった。

 竜の尾で小爆発が数発起きて、尾の先端が吹き飛んだ。

「当たった!」

 ユーナが叫ぶ。アリスはその言葉に小さく頷くと、機体の方向を再び竜へと向けた。

 竜は一瞬呻いた様な仕草を見せたが、尾の先から黒い霧を噴出させたのみで、大きなダメージを受けた様子は無い。

「はぁっ、はぁっ、当たれば、いけそう。ユーナ、行くよ」

「うん!」

 だが、これで勝機が見えた。光の弾丸は竜の体表を貫き、その内側で爆発するだけの威力を持っている。残弾が尽きる前に竜の胴体や致命傷と成り得る箇所に当てれば、倒す事は不可能ではないとアリスは考えた。倒し切れないにしても、せめて手負いとなって逃げてくれればそれでも構わない。

 スロットルレバーを操作し、更に加速。竜との距離を詰める。

 竜が前方へ加速する。アリスはスロットルレバーを前に押し込む。主翼の後方から噴出される白い炎が推力偏向パドルによって絞られ、細長いものへと変じる。加速に従いアリスの身体は座席にぎしぎしと押し付けられた。

 竜の翼が翻る。どんな動きをしようとも、それに追随すべく身構えたが、アリスは目を見開いて驚愕した。

 竜が空中で身体を横に捻り百八十度反転したのだ。翼を大きく広げ、夜空の風を掴み逆向きのままで滑空している。口元からは黒い炎が漏れていた。

 後ろ向きに飛びながら炎を吐くつもりだ。

 機体を急上昇。炎が機体の直下を通り抜けていく。体当たりに警戒していたからこそ対応出来た。とは言え、まさか空中で反転まで出来るとは、アリスは思ってもみなかった。

 徐々に黒い炎の奔流が機体を追って上方へ昇る。避け切った訳では無い。竜が炎を吐き出し続けながら首を動かし、狙いを定めている。

 機体の上昇する角度が六十度付近になった所で、アリスは咄嗟に機体を横回転(ロール)させて天地を逆転させた。このまま上昇をし続けると弧を描く事になり、炎が届いてしまう。

 操縦桿を強く引く。背面飛行になっている機体は地面へと向かって放物線を描く様に弧を描く。黒い炎がその後ろに追随する。

 頭の上に森が広がる。どこかで機体を上昇させないと地面にぶつかる事になる。アリスは耐えた。天地が逆の地平線。だが、下降しているので森の地平線が正面を覆った。

 機体はそのまま斜めに、地面に向かって落ちていく。

 まだもう少し――。旋回の荷重に耐えながら、黒い炎を吐く竜を視界に捉え続ける。天地が斜めになったまま旋回している。機体は上下への円弧の軌跡を描いているが、それは着実に竜の方向へ近付いている事でもある。ならば、もう少しで。

 竜の頭上を通り過ぎた。高度を取って背面飛行のままに地面へと斜めに進む機体は、炎を吐き速度が大きく減じていた竜を追い越したのだ。

 アリスはスロットルレバーを一気に手前に引く。次は勘だった。フットペダルを両方とも強く踏み抜いた。

 機体は、ユーナは、アリスの想像通りの動きを成した。斜めに落下していた機体は、竜の頭上を通り越すと、主翼とスタビライザーを一気に展開して飛翔する速度を殺した。更に、機首を地面側へと持ち上げて一回転。

 天地が逆になっていた機体は、結果的に一瞬にして宙返りをして姿勢を水平に戻したのだ。推進力となっていた白い炎の噴出をカット。飛翔していた慣性のみで、後ろ向きに機体は進み続ける。

 それは今しがた竜が行った空中での反転と近い動きとも言える。炎を避けて竜の頭上を飛び抜け、反対側で進行方向を急反転させた。

 アリスは機体の機動がもたらした暴力的な荷重によって、座席に強く打ち付けられた。それに歯を食い縛って耐え、両手で操縦桿を握ってほんの僅かな、小さな制御をした。

 正面中央に竜。背中を露わに、翼も広げている。自らの巨躯を反転させる為に速度も落とした。竜が首をめぐらせ顔の半分をこちらに向けている。見開かれた赤い目の数々からは何も読み取れない。だが、もしも感情があるのだとしたら、それは驚愕だったのかもしれない。

 トリガーを引いた。

 主翼の根元から光の弾丸が射出される度に、甲高い音を立てながら一直線に夜空を突き抜ける。飛び出した最初の一発が黒い竜の体表に突き刺さり、めり込んだ。穴からは黒い霧が噴出する。

 そして一発目が小爆発を起こし竜の体表を吹き飛ばす間に、続く五発が命中した。小爆発が二回、三回、その間にも更に更にと数十発の光の弾丸が撃ち込まれる。

 ふっと光の弾丸の奔流が止まる。弾切れだった。

 竜は全身に小爆発を起こしながら光に飲まれ、最後の一発が赤い目を貫き顔に着弾し、その首を吹き飛ばした。最後に爆発が起きて、竜は黒い霧となって弾け飛ぶ。

 慣性のまま後ろ向きに飛翔していた機体の高度が下がる。森の木々に接触する前に主翼から白い炎を伸ばし姿勢を正すと、緩やかにスピードを上げながら夜空を飛翔し始めた。

 操縦席の中のアリスは目を見開いたまま硬直していた。機体が水平になった所で、ぷはっと息を吐いた。

「はぁ、はぁーー。はぁ……」

 思い出したかの様に呼吸を繰り返し、身体のすみずみに空気を送る。操縦桿を握る手が震えていた。

 立体映像のユーナが、台座の上にぺたりと座り込んだままでアリスの方に振り向いた。黒紫色の瞳には大粒の涙を湛えている。

「勝った……。ねぇ、アリス……」

 アリスは身体を震わせながら、しかし辛うじて頷いてユーナに応えた。

「うん……。勝ったね、ユーナ。勝ったよ」

 ユーナの涙が零れ落ちた。映像だからなのか、台座が濡れる事は無かった。

 アリスの頬にも涙が零れる。勝利の喜びによるものでは無かった。隠れていた恐怖心がようやく顔を出し、全身と心を縛る。それでも、右手が握る操縦桿だけは確かに機体を制御し続けていた。

 二つの月が青白く光り、森の木々を照らす闇夜。

 黒い竜を屠った白い蝶が翔け抜けていく。

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