11 生き方 I

 ピブルによる説明はその後も長時間に渡って続いた。

 例えばここまでの道中において何度か疑問に思った言葉について。

「わたしは何語を喋っているんですか」

 アリスは率直な疑問をぶつけた。アリスとしては母国語である日本語を喋っているつもりであった。また妖精達の言葉もそれと聞こえる。しかしユーナは『日本語』と言う単語そのものを知らない様子であった。

「カグディール語です。あるいは旧北方帝国共通語とも呼ばれます。ここ霊樹の森と、近隣のエフィモルクス国、フュカフラルグ大公領ではこの言葉を使います。アリス様が今喋っておられる言葉はカグディール語として聞こえておりますよ」

 覚えの無い言語である。少なくともアリスの知識に照らし合わせれば、その様な言語、あるいはその様な国は地球には無い。そしてその言葉を覚えた記憶も無かった。

 しかし何よりもピブルの言葉には奇妙な部分がある。

「カグディール語として聞こえている……と言うのは?」

「アリス様が喋る言葉は、我々にはそう聞こえていると言う事です。そして我々が喋るカグディール語はアリス様には母国の言葉に聞こえている。……ユーナ」

 ピブルがユーナに目配せして呼びつけると、ユーナは座っていた板からすっと飛び立ってアリスの膝の上に立った。器用に翅でバランス取りつつ、小さな指を自身の口元に当てる。

「アリス、アリス。私の口元を見ててね」

「うん」

「こんにちは、アリス。私の名前はユーナ。西の森のユーナ」

「……あれ?」

 自己紹介の文言を丁寧に述べたユーナの口元を見て、アリスは思わず疑問の声を出した。ユーナの口の動きと実際に聞こえてくる言葉が合っていないのだ。

 ユーナは胸元に両手を当てて、伏し目がちに続ける。

「次は出来るだけ心の意識をしない様にして同じ事を喋るね」

 すっと息を吐く。

「――カウィズ、アリス。オウソクラツェフ ユーナ。ユーナ サムディジパブヒュックモイオ」

 今度は言葉の音と口元の動きは合っていた。全く聞き慣れない未知の言語に、アリスは両手の指を軽く合わせる仕草をしながら驚いた。

「凄い。全然判んない」

「アリスの国の言葉も私達は判らないと思う」

 一体どういう事なのかとピブルに目を向け説明を待つ。ユーナはそのままアリスの膝の上に居座るようで、翅を下げてぺたりと腰を下ろしていた。

 ピブルは一度ユーナに微笑むと、アリスに説明を続けた。

「我々妖精が生来持つ魔法の一つです。妖精と心の結び付きを得た者は魂を通じての会話を可能とします。結び付きが強まり絆となり、想いが強くなればなるほどに言葉の壁を越え、時にはどんなに離れていても通じ合う事が出来るとも言われております」

「魂を通じて……考えている事が翻訳されてそのまま伝わるって事ですか?」

「はい。今の私とアリス様の間にも、互いに歩み寄ろうとする心の結び付きがあります。ですから、互いの言葉が違えども、こうして言葉を交わす事が出来るのです」

「じゃあユーナや、フィヤ、それから、外に沢山居た他の妖精達の声が聞こえたのも、それが?」

「我々妖精は好奇心が強いのですよ。見慣れない者が居れば、警戒心よりも知ろうとする心が勝ってしまう。恥ずかしながら私も女王としての立場を保つのがやっとでございます」

「凄い魔法じゃないですか……これ、誰とでも喋れるようになるんですよね」

 純粋に驚くアリスに対して、ピブルは少々困った様に眉尻を下げる。

「この魔法が無ければ我々妖精は誰とも喋れないのですよ。我々はご覧の様に小さな身体ではありますが、人族と似た身体をしていますから、それだけ喉も小さく、声も小さい。恐らく同族や人族との交流を円滑にする為に得た魔法なのでしょう」

 ああ、とアリスは声を漏らした。今まで対話をした妖精達の声が普通に聞こえていたので気付けなかったが、妖精のサイズを考えれば耳元で喋らない限り、常に声を張り上げて喋らなければ人間には声が届き難いはずなのだ。

 それどころか妖精同士の会話ですら、人間の距離感から考えれば極めて近い距離で無いと全く成立しない事になる。ここまでの道中で出会った妖精達に、そういった様子は見られなかった。

 翻訳に留まらず、ただの会話の中でさえ妖精の魔法が介在し、通話を補助していた。

 とすれば、今居るこの守護の樹に入る前、妖精達がアリスを遠目に見て囁いていた時の声。それが不思議と木々のざわめきの様に微かなものだったのはこれだったのか、と理解した。

 つまり遠巻きに見ていた妖精達は、アリスに対して心の結び付きを強く持っていない。言葉は伝わるが、はっきりと聞こえてくる程度では無い、と言う事だったのだろう。一方でユーナやフィヤは最初から強く意識をして接していた事になる。

 妖精よりも何十倍も大きな体躯を持つ人間に対して、恐怖するでもなく話そうとする意識を持って接してくれていた。それは信頼と呼ばれるものであろう。

「勿論、万能なものではありませんよ。あらゆるものと言葉を交わせる訳では無く、妖精と意思や意識が近いもの同士でないと通じません。稀に動物や虫達の声を聞く者もおりますが、それは個人の能力によるもの。基本的には近く親しい者達と交流を成す為のものとお考え下さい」

「星渡りの術が縁の有る世界に繋がるのは、意識や考え方が近い、会話の出来る人間と会えるようになっているって事なんですか?」

「ご明察の通りです」

 アリスはなるほど、と呟いて視線を下げた。膝の上のユーナが小首を傾げて見つめている。


 一つ一つ丁寧に疑問を解消していく。この場に居た妖精の何人かはそれぞれの用事があるのか、あるいは飽きたのか、途中で退室する者も居れば、新たに入ってきてアリスとピブルの会話に耳を傾ける者も居た。

 ピブルは姿勢を崩す事無く質問に答え続けていた。

 例えば食事の有無。道中においてアリスが感じた空腹感は正常なものであり、死霊もまた生前同様に飢えと渇きを覚える。死霊が狂い、他を害なす悪質なものへと変貌する場合、多くは飢えと渇きが限界を超えて自我を失う事にあるのだと言う。それを防ぐ為にも、本来的には食事を必要としない死霊も水や食料を得る必要性があった。

 最も、魂の形状がどんなに精密な内臓を再現していたとしても、食物を消化吸収する事は出来ない。それでも、精神的な充足としての食事が必要なのだ。

「あるいは、強靭な精神力で飢えを意識から外し続ける事で、飲食が不要な状態には出来るかもしれません」

「それは……多分無理だと思います」

 様々な意味で食の豊かな国で育ったアリスである。危機的なまでの飢えを知らない唯の少女に、そこまでの強い精神力を持つ事は厳しい。腹が減れば辛いし、喉が渇けば苦しいのだ。

 そして、飢えと渇きを凌ぐ為の衣食住の提供をピブルは約束した。守護の樹の近くに、かつてこの西の森で妖精達を護っていた騎士の住処があり、そこを一先ずの住居として用意しているのだと言う。

 つまり人間サイズの住居である。アリスは迷惑をかけたくないと一度は断ろうとしたが、住居は勿論、森の中でどう生きればいいのか皆目見当が付かないのが実情だった。代わりにせめてもの事として力仕事――あくまでも妖精の体格に対してだが――等の出来得る事があれば積極的に携わる事を提案し、素直に妖精達から衣食住の提供を受ける事になった。

 生活周りの事柄に関してはユーナが面倒を見るとの事だった。理由を聞けば、ユーナ本人から名乗り出たようで、星渡りから帰還しアリスの魂を引き連れてくる際にそう約束したからだと言う。

 思い返してみればアリスに対して報いると言っていたのは確かである。だがアリスの中では報いられるだけの労力を自分自身は成していないとも感じられ、少々納得がいかない部分はある。

 それでもピブルは、死に瀕して尚、妖精の為に手を取ったその行為自体に妖精として感謝をするのだと言い切り、それもまた素直に受ける事となった。

 他にもまだ質問したい事は多かった。

 例えばこの霊樹の森の事。今いる場所が西の森と呼ばれるのならば、他の方角の森はどうなっているのか。そもそもこの森の広さ、その先の土地、人間や人族なるものが居て国を作っている事は会話の中で判ったが、それらの詳細も知りたいと思う気持ちは強い。

 そしてこの森に根付く呪い、呪猖(じゅしょう)と呼ばれる存在の事。それに対する妖精騎士と呼ばれる存在の事。妖精の事。魔法の事。

 聞きたい事は山ほどあり、聞けば聞く程に新たな知らない部分が思い浮かぶ。それらを貪欲に聞き出そうとしたものの、しかしアリスの腹の虫が鳴った事で強制的に中断された。

「あ、いや……その」

 アリスは先程泣き腫らした時よりも更にばつの悪そうな顔で俯き、手で腹を強く抑えた。昼頃にユーナとフィヤと共に水飴草の蜜を多く飲んでいたと思ったが、そうは言っても花の蜜である。量としては必ずしも十分である訳でも無い。更に言い訳がましくなれば、未知の森の中を半日歩き、道中では黒い花の呪猖との戦いの一幕があった。

 空腹で一日に何度も腹を鳴らしてしまうのも致し方無い部分はあるだろう。

 この辺りが話を一度区切るのに良い頃合いではないかとピブルが提案した。守護の樹の内部は照明で明るいが、既に外は日も暮れている時間である。多くの疑問と未知に対する解答によってアリスには実感が無かったが、思っていた以上に時間は過ぎていたのだ。

 魂で形作られた身体でも休息は必要だった。形作る意識が明瞭になればなるほどに、死霊は生前の肉体と変わらないものを必要とし、その中には睡眠も含まれる。

「今日はお疲れでしょう。用意させている部屋もそろそろ使えるでしょうから、どうぞごゆっくりとお休み下さい。明日もまた、アリス様の知りたい事をお話致しますので」

「ありがとうございます」

 アリスの膝の上に居たユーナが飛び立ち、出入り口の方へと飛んだ。それを解散の合図と捉え、礼を言って腰を浮かせかけたアリスだったが、ふと動きを止める。

「そうだ。あの、これだけ教えて下さい。ユーナは騎士を探す為に星渡りをしたと言っていました。では、今この西の森には、騎士は何人居るんですか?」

 ピブルが首を横に振る。

「居りません。唯一、騎士オエゴーエブ様が長年この森を一人で守護しておられたのですが、それも二ヵ月ほど前の事。騎士を失った我々は、騎士となる方を探しましたが現れず……。星の巡りも重なり、星渡りを行い、他の世界に騎士を求めたのです」

「その、オエゴーエブさんは何処へ?」

「呪猖との戦いの中で命を落としました」

「そう、ですか……。失礼しました」

 やはり呪猖との戦いの中で命を落とす者は居る。その事実にアリスの顔が曇る。騎士になる力も技も心構えも無い自分が居た。何か役に立てる事があるのならば力になりたいが、生死を賭けた戦いの渦中に飛び込めるほどのものは、何も持っていない。

 女王ピブルや、フィヤ、他の妖精達の期待を背負って星渡りに臨んだユーナ。

 そしてその期待には応えられない自分に不甲斐なさを感じていた。けれども、どうすれば良いのかも判らない。

 アリスはピブルに頭を下げて礼をすると、沈痛な面持ちを隠せないまま部屋を後にした。樹の根の通路は光る鉱石の明かりで足元や頭上に気を遣う事は無かったが、曲がった先からは陽の明かりが入り込んでいる様子は無い。

 通路を抜けて守護の樹の外に出てみれば、空は満天の星で埋め尽くされていた。

 標高が高いのか、空気が澄んでいるのか、あるいは両方か。いずれにせよ瞬く星々は美しく煌めいている。空に浮かぶ岩とそこに根付く樹木のシルエットが所々の夜を切り取っていた。

 何よりも二つの大小の月が目を引く。大きい方は地球から見る月とほぼ同じ様に見えるが、小さい方はその半分程だった。どちらも青白くほのかに輝いて、夜の森を照らしている。

 知らない世界で迎える最初の夜だった。

 ふっ、と木々の隙間から蛍にも似た青い小さな光が飛び、アリスとユーナの元へと飛来する。近付くにつれてはっきりとする輪郭をよく見てみれば、一人の妖精が小さなランタンの様なものを手にしていた。それをユーナに手渡すと、ランタンを運んできた妖精はふらりと森の中へ消えた。

 ユーナがランタンを手にしてアリスの顔の位置まで飛ぶ。

「アリス、アリス。この光に息を吹きかけて」

 手にしたランタンは四角錐の上下を逆にした簡単な作りのもので、片手で包み込める程度の大きさだった。

 植物の蔓か枝で編まれた骨組みに、薄く透明な紙の様な物で四つの面を構成している。透明な部分を目を凝らして見てみれば、蓮の葉に似た大きな植物の葉が、葉脈だけを残して綺麗に加工された物である事が判った。丁寧な細工は、人間が使うにもある程度は耐えられそうであった。

 内部の光源は豆電球程度の明るさ。先程の、守護の樹の通路で見た光る鉱石と同じに見えた。

 一面だけが蝶番で開けられる構造らしく、ユーナが手で開いて光源が露出していた。

 アリスは言われた通りに、口を窄めて内部の鉱石に息を吹きかけた。すると、光源の明るさが増し、大型の懐中電灯程度にまで輝く。

 蓋を閉じると光が四方を照らして、足元をしっかりと確認出来る。

 ユーナがランタンを持ち上げ、照らすのに丁度よい高さを探りつつアリスに視線を向けた。

「息吹灯(いぶきとう)って言うの。詳しい構造はよく知らないんだけど、中の石に吹きかけた息の強さで明るさが変わるの。人間だと息の量が多いから強い明かりになって、石の種類によって光の色が変わるんだ。これは青かな」

「綺麗。不思議な光。熱が出ないんだね」

 アリスは手をかざして息吹灯の明かりに熱が無い事を確かめた。ユーナも、そう言えばといった様子で息吹灯を覗き込む。

 二人で息吹灯の青い光を見ていると、守護の樹から出てきたフィヤが声をかけてきた。

「良かった、まだいらっしゃいましたね。ユーナ、今日の晩は私もアリス様のお世話をしますから、一緒に行きましょう。オエゴーエブ様の住居なら何度か訪ねた事がありますから」

「ありがとー。実はオエゴーエブ様の家って入った事無いんだよね」

 ユーナのみならず、フィヤにまで身の回りの世話をしてもらう事になったアリスは、少し困った様な顔で二人の妖精を見た。

「なんだか何から何まで悪い気がする」

「そう仰らず。住居とは言っても、アリス様の世界とは勝手が大きく違うかもしれませんし……。朝になって水や食事に困ってしまっては、お身体にもよくありません」

 そう言われてしまうと言葉に甘えるしかない。アリスにとって飲用水とは蛇口を捻れば出てくるものだ。もし、印象から受ける生活様式からして、例えば井戸を活用していたとしたら、アリスはどうすればいいか迷う所であろう。

「確かに、うーん……よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いしますね」

「それじゃあ行こう、アリス」

 目的地である住居まではそう遠くないと事前に話をされている。妖精の距離感覚でそうなのだから、実際にそこまで遠くは無いのであろう。

 どの様な住居なのかと想像しつつ、アリスは深呼吸をした。全身が気怠い。

 今日はもう休む他に無いだろう。食事もそうだが、足がそろそろ悲鳴を上げそうになっている。

 しかし明日からはどうするのか。ここでの、妖精と共にある森での――あるいは他の何処かでの――生き方を決めていかないといけない。

 今日の朝までは、自分の将来をどうするかすら、はっきりとは決めていなかった。それが一日を経たずして、身の振り方や生き方を定めねばいけない状況になった。人間では無く死霊たる存在として。

 だが、家に辿り着いたらまず靴を脱ごう、何とはなしにそう決めて、妖精の持つ明かりを頼りにアリスは歩き始めた。

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