幕間 AEO・08、迎撃 II

 七年前。二〇一四年の夏の頃。ハワイ沖合から南南東に二一二〇キロメートル。

 ほぼ赤道直下の位置に、対隕石迎撃用の航空部隊を抱える空母『リュペルス・ヴァルチャー』が航行していた。

 夜明けを迎えたばかりで、太陽が未だ海に半身を沈めている赤黒い空の下であった。

 暁の光に照らされる飛行甲板には、機体下部に巨大な対隕石ミサイル(AMM)を搭載したF-15N AMETが二機、離陸準備に入っていた。双発の可変サイクルジェットエンジンを搭載した大型の戦闘機で、更に空母から発艦が可能な様に改装された機体である。機体の背部、垂直尾翼の間には機体全長の半分ほどもある巨大な筒、増設ブースターが装着されており、特徴的な輪郭が赤く浮かび上がる。

 その後ろには、同型で無人機仕様のUF-15N AMETが支援の為に同じく離陸準備を進めている。

 二機のF-15N AMETが定位置に付き、最終確認を終える。空母に備え付けられた防護板、ジェット・ブラスト・ディフレクターが機体の後方にせり上がると、機体は遠慮無くエンジン出力を最大まで上げた。排気ノズルから凄まじい勢いで熱風が吐き出され、甲高い音が船上に高らかに鳴り響いていく。

 離陸許可が下りた。

 機体の排気ノズルが絞られ、炎がダイヤモンドリングを煌かせながら伸びる。黄色のジャケットを着たカタパルトオフィサーが機首の傍で片手を水平に伸ばし、コントロールステーションへ合図を送った。操作員がカタパルト射出ボタンを押す。

 カタパルトによって一気に洋上に弾き出された機体は、すぐに高度を上げる。

 少し遅れて無人機の二機も射出され、合わせて四機の小隊は迎撃ポイントへと向かった。


  ◆


 テレビ画面には落着予想地点の情報が流れ、ニュースキャスターが避難を呼びかけ続けている。時折画面が切り替わり、関係省庁の職員が迎撃第二フェイズ失敗の原因はまだ詳しく判明していないと状況を説明しつつ、やはり避難を呼びかける。

 既に避難シェルターに居る人物達にとっては、ただ情報を受け入れ続けるしかない。それが焦燥感を生む。

 静観している様に見える者も、よくよく見れば忙しなく指を動かしていたり、俯いては顔を上げてと繰り返していたりする者も居る。疲弊しているのだろう、横になっている者も思い出したかのように顔をテレビ画面に向ける。

 誰もが不安を抱えていた。それはアリスの母もそうであった。

 しかし、その眼差しだけは違う。不安の色は帯びていても、絶望は無い。

 幼いアリスにはそれを上手く読み取る事は出来なかったが、握る母の手が震えてもいない、力を込め過ぎてもいない事は、何かとても凄い事のようだと感じていた。

 母はちらりと腕時計を見て、アリスの方を向いて小声で囁いた。

「今、お父さんが空母から飛び立った所だよ」

 そう言いつつ、右手をアリスの顔の前に近付ける。人差し指、中指、薬指をくっつけて、飛行機の形にした。それを、すっ、と顔の前を通って、上へ跳ねる。そのまま旋回して、高い空へ飛び立つ様に上を向く。

 航空機に見立てた自らの手を見ながら、母は呟いた。

「お父さんはね、世界で一番高い所まで行ける飛行機に乗って、隕石なんて一発で壊す大きなミサイルを持っていくの。それに、仲間も居る。お父さんと同じくらい強い人が居て、その人が隊長。それと凄く賢いコンピュータが動かす飛行機が居るの」

 手の平の航空機がゆっくりと上昇する、母の顔まで手が上がった所で、アリスに問い掛けた。

「怖い?」

 アリスは首を振って否定する。

 それ以外の答えは出せなかった。母の態度がそう教えてくれたからだ。

 しかし、周囲から伝染する恐怖はアリスの心の中にもじわりと根を張り始めている。母に身を寄せて、周囲がそうする様にテレビへと視線を映した。母も視線を戻す。

 ニュースキャスターが迎撃第三フェイズに入った事を伝えていた。


   ◆


 太平洋上を飛行する四機の迎撃機が指定されたポイントへ到着した。夜明けの太陽と未だ暗さを残す海だけの空間。分け隔てる水平線も淡く、太陽の明るさが無ければ全ては海と空の紺色に溶けてしまいそうな、広大な世界だった。

 先頭を進む二機のF-15N AMETが機首を上げ、ほぼ垂直に近い角度を取る。すぐさま無人機も同じ姿勢になり、遅れず後に続く。

 夜明けの空に四つの眩い光が輝く。四機の迎撃機は背部に搭載されたブースターを点火し、そのまま上へ上へと駆け登りながら群青の空を切り裂いて行く。上昇と共に海の波間は見えなくなり、海全体が太陽を映す一枚の鏡と化した。

 雲は既に遥か下方。何も無い空には、ブースターの生み出す白煙だけが星を目指す光の軌跡となって伸びる。

 四機は容易く音速を超えて上昇を続け、成層圏へと到達した。高度三万五千メートル。地球の空を後方に眺める事が出来る場所で、しかし彼らはその更に上を睨みつける。

 戦術データリンクによって様々な衛星や地上観測施設からの情報が連結され、地球に突入せんと猛進する天体、AEO・08の軌道が確定される。F-15N AMETの一番機が目標を捉えた。

 レーダーによるロックオンが完了し、対隕石ミサイルに目標への情報が流し込まれる。

 発射。一番機の胴体に吊るされた大型ミサイルが切り離され、一瞬だけ宙に浮くと、炎を吐いて暗い空の彼方に吸い込まれていく。

 数秒の沈黙。四機は更に上昇を続ける。

 空に小さな光が瞬いた。天球に輝く星々の様に小さなその光は、ミサイルがAEO・08に着弾した証であった。

 だが――四機には新たな情報がもたらされる。

 確実にミサイルが着弾したAEO・08は、しかしほぼ軌道を変える事無く、地球への落着コースを辿っていた。その身を十四個の新たな破片に変えて。

 ミッションアップデート。ミサイルを撃ち切った一番機は機体を翻し、降下準備に入る。それと入れ替わる様に前に出た二番機と、その後ろに二機の無人機が随伴する。

 ミサイルの威力は十分なはずである。各所の観測データが次々と更新され、機体搭載コンピュータが演算を続ける。

 AEO・08はミサイルが着弾する直前に砕けたのだ。内部にガスが溜まっていてその圧力を要因とするのか、それとも迎撃第一フェイズで分裂した際のダメージによるものなのか、それは解らない。

 破片の大半は初撃のミサイルが吹き飛ばしたが、十四個の破片が健在。その事実だけが残った。

 ブースターの燃料が尽きるまで残り三秒。

 十四の天体、改めAEO・08001から014の内、既に半分は脅威となり得ない事が判明している。このまま大気圏で燃え尽きる事が確実となったのだ。だが、残りの天体は未だに計算結果が出ていない。

 三機が一斉にブースターを切り離す。燃料が尽きたブースターは地球の引力に従い、このまま海へと落下する。

 高度四万メートル、大気圏の上層部。この後、機体は下降を始め、そして迎撃可能なコースを外れてしまう。

 機体のエンジンは最大出力で推進力を生み出そうとしているが、高すぎる空の大気は余りにも薄く、それを許さない。何よりも燃料が尽きようとしている。ブースターで得られた慣性も消え、機体の上昇が止まる。

 直後、脅威目標が再定義された。

 更新された観測情報を元に、機体搭載コンピュータは光速の電子戦をやり遂げた。未だ脅威と認定されている半数の天体の内、最も大きな天体である012と、それと同じ軌道を取る小振りの011がリストアップされた。

 二番機はすぐさま012をロックオン。無人機である三番機が011を捉える。

 同時にミサイル発射。二発の対隕石ミサイルが地球の大気より外に飛び出していく。

 二番機と三番機は身を翻し降下体勢に入った。四番機も上昇限界に達して、高度が下がり始める。これ以上は何も出来ない。

 四番機が降下姿勢に入る直前、そのメインカメラは確かに捉えた。

 放たれた二発のミサイルが瞬き、脅威目標を破砕したのだ。


   ◆


 歓声が上がった。攻勢突入天体、AEO・08の迎撃が成功したとの速報がテレビから流れる。その前に居た人々が声を上げ、拍手し、隣の誰かと抱き合って無事を喜び合った。

 その喧騒は地下シェルター内に伝播し、全員が心から脅威が去った事を喜んだ。

 アリスもまた、周囲と同様に喜んだ。母を見てみれば、目を伏せて大きく息を吐いて、周囲に合わせる様に静かに両手を叩いていた。

 しばし喜びの中に浸っていた二人であったが、母はアリスの小さな手を取り、そっと囁いた。

「アリス、空を見てこよう。そっとね」

 人差し指を口元に当てる姿を見て、アリスは小さく頷いた。

 二人は立ち上がり、喜びに沸く人々の間を通り抜け、気が緩んでいた教員の脇を抜けてシェルターを出た。歓声が響く防火扉を尻目にコンクリートの階段を上がる。

 体育館の一階部分に出る扉からは赤い陽光の色が漏れ出ていた。母は躊躇わず扉を開く。眩しさにアリスは手で目を覆った。明るさに慣れるまでには少しだけの時間を必要とした。

 ゆっくりと手を動かし、体育館の内部を見渡す。

 橙色の朝焼けが東側の窓全てから射し込み、体育館の床が光を反射する。周囲の全てを太陽が染め上げていた。

 アリスがその光景にしばし見とれている間に、母は窓際に取り付けられたガラス破損防止用の窓格子に手を付いて、アリスを手招きした。誘われ、アリスは窓格子の隙間から外を見る。

 東の空、建物の間に真っ赤な太陽が昇っているのが見えた。世界が照らされようとしている。朝が来た事をアリスは実感していた。

 そこで、ふと気付く。空の天辺、高い空にはまだ夜の色が残っている。そこから一瞬見えたもの。

 流れ星。

 未だ残る夜の名残から、太陽とは逆の方向に落ちて行った星。アリスは覗く窓を少しずつ移動しながら、その残滓を追う。

 また一つ星が落ちる。アリスは目を見開いた。

 瞬きを一つ、二つとした次の瞬間から、空には幾多の流れ星が駆け抜ける。短い軌跡を残し瞬く様に消えるもの、大きく長く尾を引き、太陽から地平線までを切り裂くもの。

 流星群よりなお密度の濃い、星で描かれた空のドレス。

 思わず感嘆の声を上げるアリスの傍らに立つ母が、幾多の流星を指して言った。

「隕石の小さな小さな破片が、空で燃え尽きて流れ星になっているの。もう地上には落ちてこない。お父さんが頑張ったからだよ」

 アリスは母の顔を見る。どこか自慢げで、こうなる事を確信していたかの様な堂々とした瞳の奥に、父の影を見たような気がした。

 再びアリスは空に目を向ける。

 流れ星が落ちていく暁の空。そこに、四本の白い帯が太陽の方向へ向かって伸びていた。遅れて、街全体に響く唸り音。航空機のジェット音だ。

 その航空機は、後になって思えば都市上空を警戒する機体であって、父の所属する部隊の機体では無かった。

 それでも幼いアリスには父が帰ってきたように思えたのだ。

 朝日の中、流星を空に仰ぎながら四機の航空機が航跡を残していく。

 紺色と橙色の空に彩る多くの事象は、アリスの目に強く焼き付いた。

「アリス。お父さんはさ、あんまりお家に帰ってこれないけれど、でも空を飛んでアリスを護ってくれているんだよ」


 その日から、アリスは父の仕事と、父が乗る戦闘機に興味を抱いたのだ。

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